第十八話 いつもの鐘
支部へ戻った頃には、空は赤く染まり始めていた。
門を抜けるなり、待機していた聖灯士たちが駆け寄ってくる。運んできた二つの担架を引き継ぎ、建物へ向かって足を速めた。一つにはローディが、もう一つにはダリオが横たわっている。
どちらにも、もう治療は必要なかった。
エインは二人が運ばれていくのを目で追った。アウルも何も言わず、担架が扉の向こうへ消えるまで、その場に立っていた。
「アウル」
振り向くと、少し遅れて門をくぐったハロルドが歩いてきた。服のあちこちが裂け、左腕に巻かれた布には血が滲んでいる。
「怪我は」
「大したことはありません」
ハロルドはエインの顔から手足へ目を移し、それから担架が消えた方を見た。しばらく黙っていたが、やがて低く口を開く。
「……すまない。俺の判断ミスだ。あの傷を見つけた時点で、調査を切り上げて戻るべきだった」
エインはハロルドの横顔を見た。何か答える前に、向こうがこちらへ顔を戻した。
「治療室へ行くぞ。傷を全部診てもらえ」
「いえ、私は――」
「大した怪我はしてない、だろ? だが、それは外側だけだ。内側は意外と自分でも分からない。いいからお前も来い」
「……分かりました」
ハロルドが建物へ向かう。その左腕から血が一滴落ちるのを見て、エインも後を追った。
◇
傷の確認を終えた頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。
細かな切り傷と打撲に、魔力の消耗。それ以外に大きな異常はなく、担当した治療士からは、食事を取って早く休むように言われた。
廊下へ出ると、帰還したときの慌ただしさはもう収まっていた。閉じた扉の向こうから、ときおり話し声や人の動く音が聞こえる。
『……腹減ったな』
(そうだな)
『飯、残ってるか?』
(食べてから休めと言われたんだ。あるだろう)
『なら行こうぜ』
エインが食堂へ向かおうとすると、壁際に立っていたレオンが顔を上げた。こちらへ歩み寄り、頭から足元までざっと目を向ける。
「よお。怪我は?」
「もう診てもらった。大したことはない」
「……そうか」
そこで一度、言葉が途切れた。レオンは治療室の扉へ目をやり、声を落とす。
「ダリオは?」
木に寄りかかっていた姿が浮かんだ。首元を濡らした血と、最後まで言葉を続けようとしていた唇。
「……死んだ」
レオンの表情が固まった。
何か言おうと口を開き、閉じる。視線がエインから外れ、床へ落ちた。
「……先に行くって、あんなに張り切ってたのにな」
「ああ」
レオンは俯いたまま、しばらく動かなかった。脇に下ろした手が握られ、やがてゆっくりと開く。
「俺も、もうすぐ外域に出る」
声は低いままだった。
「分かってたつもりだったんだけどな。実際に聞くと、全然違うな」
エインは返す言葉を探したが、何も思いつかなかった。
「ああ」
そう答えると、レオンは一度頷き、顔を上げた。
「呼び止めて悪かった。今日は休めよ」
「そうする」
レオンは廊下の脇へ寄り、道を空けた。エインが歩き出しても、すぐにはその場を離れなかった。
角を曲がる前に振り返ると、まだ壁際に立ち、足元へ目を落としていた。
◇
食事を終えて部屋へ戻ると、エドガーが訪ねてきた。
「アウル君。少し、いいですか?」
問いかける声はいつもと変わらず穏やかだった。エドガーは傍まで来ると、顔色を確かめるようにエインを見た。
「ダリオ君のことは聞きました。帰ったばかりのところをすみません。顔を見ておきたくて」
「治療は済みました。特に問題はないそうです」
「そうですか」
エドガーは頷いたものの、そのまま立ち去ろうとはしなかった。
「朝は、二人とも元気に返事をしてくれたのですが……」
目を伏せ、小さく息を吐く。エインにも、剣の留め具を締めていたダリオの姿が浮かんだ。朝食は食べたかと聞かれ、隣で答えていた声も覚えている。
「エドガー司祭。伝えておきたいことがあります」
「はい」
「ダリオが最後に、『母ちゃんに』と。その先は、言葉になりませんでした」
エドガーは黙って聞いていた。
「私は、伝えると答えました」
「……分かりました。ハロルドにも伝えておきます。お母様へのお話は、こちらで引き受けますから」
「お願いします」
何を伝えようとしていたのかは分からない。分からない以上、勝手に言葉を足すこともできなかった。
エドガーはしばらくエインを見つめてから、静かに尋ねた。
「あなたは、今夜一人で休めそうですか?」
「はい。私は問題ありません」
「そうですか。ただ、話したくなったら、いつでも来てください。今すぐでなくても構いませんから」
エインが不思議そうに頷くと、エドガーの表情が少しだけ和らいだ。
「ガレス殿から、あなたを頼まれていますからね。様子を見にも来なかったと知れたら、化けて出てこられそうです」
『あのジジイがそんなことで出てくるかよ。逆に甘やかすなってぶっ飛ばされるぞ』
(どちらにせよ、化けて出てくるじゃないか……)
内側で返しながら、エインはエドガーへ向き直った。
「ありがとうございます」
「食事は取れましたか?」
「先ほど、食べてきたところです」
「では、今日はもう休んでください。おやすみなさい」
「はい」
エドガーが部屋を出ていくのを見送ってから、エインは靴を脱ぎ、横になった。
◇
翌朝、鐘の音で目が覚めた。
『……朝か』
(ああ)
大きく欠伸をして起き上がると、肩から背中にかけて鈍い疲れが残っていた。
『身体、まだ重いな』
(昨日かなり魔力を使ったからな。筋肉にも疲労が残ってる)
『飯食えば治るだろ』
(まずは食べよう)
身支度を済ませて廊下へ出る。人が行き交い、食堂の方からは食器の触れ合う音が聞こえてきた。
昨日までなら、その中にダリオがいてもおかしくなかった。
エインは食堂へ向かう候補生の背中を見送り、少し歩調を緩めた。
『どうした?』
(ダリオは、もう来ないんだな)
『……ああ。気にするなとは言わねぇが、変に引きずるなよ。やれることはやったんだ。外域に出ればそう珍しい話でもねぇ』
(分かっている。……君への認識を少し改めよう)
『あ?』
(君は意外と親切なようだ)
『チッ……余計なこと言ったな。さっさと飯食いに行くぞ』
エインは僅かに口元を緩め、また歩き出した。
階段へ向かう途中、外から車輪の軋む音がした。窓へ目を向けると、門の前に一台の馬車が止まっていた。
職員が扉を開けると、四十前後の女性が姿を見せた。ひどく青ざめた顔をしていて、地面へ足を下ろしたところで膝が揺れる。
傍で待っていた教会の女性が、すぐにその腕を支えた。職員へ短く何か告げると、相手は一礼して先に建物へ入っていく。
教会の女性は馬車から降りた女性へ声を掛け、その歩調に合わせて歩き出した。
『……誰だ?』
(分からない)
エインは窓を離れ、階段を下りた。一階の廊下へ出ると、先ほどの二人が歩いてくるのが見えた。
道を空けると、青ざめた女性は周囲へ目を向けることなく、エインの前を通り過ぎた。付き添う相手の腕を、強く掴んでいる。
「ダリオは……」
その名前に、エインは足を止めた。
教会の女性が足を緩め、相手の顔を見て低く答えた。言葉までは聞き取れなかった。やがて二人は廊下の奥へ進み、職員が開けた扉の前で立ち止まる。
『……母親か』
(おそらく)
――母ちゃんに。
最後に聞いた声が蘇った。その先を伝えることは、もう誰にもできない。
母親が部屋へ一歩入り、誰かの名を呼ぶように口を動かした。次の瞬間、その膝が崩れる。付き添っていた教会の女性も身を屈め、倒れ込む身体を支えた。
「ダリオ……!」
泣き声が廊下まで響いた。
エインは離れた場所に立ったまま、戸口を見ていた。声を掛けようとしても、名前のほかに何を言えばいいのか分からなかった。
教会の女性は母親の傍を離れず、背に手を添えていた。やがて戸口の職員がエインに気づき、静かに扉を閉めた。姿が見えなくなっても、泣き声は聞こえていた。
外では朝の鐘が、いつもと変わらず鳴っていた。
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