↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/26

第十八話 いつもの鐘

 支部へ戻った頃には、空は赤く染まり始めていた。


 門を抜けるなり、待機していた聖灯士(カンデル)たちが駆け寄ってくる。運んできた二つの担架を引き継ぎ、建物へ向かって足を速めた。一つにはローディが、もう一つにはダリオが横たわっている。


 どちらにも、もう治療は必要なかった。


 エインは二人が運ばれていくのを目で追った。アウルも何も言わず、担架が扉の向こうへ消えるまで、その場に立っていた。


「アウル」


 振り向くと、少し遅れて門をくぐったハロルドが歩いてきた。服のあちこちが裂け、左腕に巻かれた布には血が滲んでいる。


「怪我は」


「大したことはありません」


 ハロルドはエインの顔から手足へ目を移し、それから担架が消えた方を見た。しばらく黙っていたが、やがて低く口を開く。


「……すまない。俺の判断ミスだ。あの傷を見つけた時点で、調査を切り上げて戻るべきだった」


 エインはハロルドの横顔を見た。何か答える前に、向こうがこちらへ顔を戻した。


「治療室へ行くぞ。傷を全部診てもらえ」


「いえ、私は――」


「大した怪我はしてない、だろ? だが、それは外側だけだ。内側は意外と自分でも分からない。いいからお前も来い」


「……分かりました」


 ハロルドが建物へ向かう。その左腕から血が一滴落ちるのを見て、エインも後を追った。


    ◇


 傷の確認を終えた頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。


 細かな切り傷と打撲に、魔力の消耗。それ以外に大きな異常はなく、担当した治療士からは、食事を取って早く休むように言われた。


 廊下へ出ると、帰還したときの慌ただしさはもう収まっていた。閉じた扉の向こうから、ときおり話し声や人の動く音が聞こえる。


『……腹減ったな』


(そうだな)


『飯、残ってるか?』


(食べてから休めと言われたんだ。あるだろう)


『なら行こうぜ』


 エインが食堂へ向かおうとすると、壁際に立っていたレオンが顔を上げた。こちらへ歩み寄り、頭から足元までざっと目を向ける。


「よお。怪我は?」


「もう診てもらった。大したことはない」


「……そうか」


 そこで一度、言葉が途切れた。レオンは治療室の扉へ目をやり、声を落とす。


「ダリオは?」


 木に寄りかかっていた姿が浮かんだ。首元を濡らした血と、最後まで言葉を続けようとしていた唇。


「……死んだ」


 レオンの表情が固まった。


 何か言おうと口を開き、閉じる。視線がエインから外れ、床へ落ちた。


「……先に行くって、あんなに張り切ってたのにな」


「ああ」


 レオンは俯いたまま、しばらく動かなかった。脇に下ろした手が握られ、やがてゆっくりと開く。


「俺も、もうすぐ外域に出る」


 声は低いままだった。


「分かってたつもりだったんだけどな。実際に聞くと、全然違うな」


 エインは返す言葉を探したが、何も思いつかなかった。


「ああ」


 そう答えると、レオンは一度頷き、顔を上げた。


「呼び止めて悪かった。今日は休めよ」


「そうする」


 レオンは廊下の脇へ寄り、道を空けた。エインが歩き出しても、すぐにはその場を離れなかった。


 角を曲がる前に振り返ると、まだ壁際に立ち、足元へ目を落としていた。


    ◇


 食事を終えて部屋へ戻ると、エドガーが訪ねてきた。


「アウル君。少し、いいですか?」


 問いかける声はいつもと変わらず穏やかだった。エドガーは傍まで来ると、顔色を確かめるようにエインを見た。


「ダリオ君のことは聞きました。帰ったばかりのところをすみません。顔を見ておきたくて」


「治療は済みました。特に問題はないそうです」


「そうですか」


 エドガーは頷いたものの、そのまま立ち去ろうとはしなかった。


「朝は、二人とも元気に返事をしてくれたのですが……」


 目を伏せ、小さく息を吐く。エインにも、剣の留め具を締めていたダリオの姿が浮かんだ。朝食は食べたかと聞かれ、隣で答えていた声も覚えている。


「エドガー司祭。伝えておきたいことがあります」


「はい」


「ダリオが最後に、『母ちゃんに』と。その先は、言葉になりませんでした」


 エドガーは黙って聞いていた。


「私は、伝えると答えました」


「……分かりました。ハロルドにも伝えておきます。お母様へのお話は、こちらで引き受けますから」


「お願いします」


 何を伝えようとしていたのかは分からない。分からない以上、勝手に言葉を足すこともできなかった。


 エドガーはしばらくエインを見つめてから、静かに尋ねた。


「あなたは、今夜一人で休めそうですか?」


「はい。私は問題ありません」


「そうですか。ただ、話したくなったら、いつでも来てください。今すぐでなくても構いませんから」


 エインが不思議そうに頷くと、エドガーの表情が少しだけ和らいだ。


「ガレス殿から、あなたを頼まれていますからね。様子を見にも来なかったと知れたら、化けて出てこられそうです」


『あのジジイがそんなことで出てくるかよ。逆に甘やかすなってぶっ飛ばされるぞ』


(どちらにせよ、化けて出てくるじゃないか……)


 内側で返しながら、エインはエドガーへ向き直った。


「ありがとうございます」


「食事は取れましたか?」


「先ほど、食べてきたところです」


「では、今日はもう休んでください。おやすみなさい」


「はい」


 エドガーが部屋を出ていくのを見送ってから、エインは靴を脱ぎ、横になった。


    ◇


 翌朝、鐘の音で目が覚めた。


『……朝か』


(ああ)


 大きく欠伸をして起き上がると、肩から背中にかけて鈍い疲れが残っていた。


『身体、まだ重いな』


(昨日かなり魔力を使ったからな。筋肉にも疲労が残ってる)


『飯食えば治るだろ』


(まずは食べよう)


 身支度を済ませて廊下へ出る。人が行き交い、食堂の方からは食器の触れ合う音が聞こえてきた。


 昨日までなら、その中にダリオがいてもおかしくなかった。


 エインは食堂へ向かう候補生の背中を見送り、少し歩調を緩めた。


『どうした?』


(ダリオは、もう来ないんだな)


『……ああ。気にするなとは言わねぇが、変に引きずるなよ。やれることはやったんだ。外域に出ればそう珍しい話でもねぇ』


(分かっている。……君への認識を少し改めよう)


『あ?』


(君は意外と親切なようだ)


『チッ……余計なこと言ったな。さっさと飯食いに行くぞ』


 エインは僅かに口元を緩め、また歩き出した。


 階段へ向かう途中、外から車輪の軋む音がした。窓へ目を向けると、門の前に一台の馬車が止まっていた。


 職員が扉を開けると、四十前後の女性が姿を見せた。ひどく青ざめた顔をしていて、地面へ足を下ろしたところで膝が揺れる。


 傍で待っていた教会の女性が、すぐにその腕を支えた。職員へ短く何か告げると、相手は一礼して先に建物へ入っていく。


 教会の女性は馬車から降りた女性へ声を掛け、その歩調に合わせて歩き出した。


『……誰だ?』


(分からない)


 エインは窓を離れ、階段を下りた。一階の廊下へ出ると、先ほどの二人が歩いてくるのが見えた。


 道を空けると、青ざめた女性は周囲へ目を向けることなく、エインの前を通り過ぎた。付き添う相手の腕を、強く掴んでいる。


「ダリオは……」


 その名前に、エインは足を止めた。


 教会の女性が足を緩め、相手の顔を見て低く答えた。言葉までは聞き取れなかった。やがて二人は廊下の奥へ進み、職員が開けた扉の前で立ち止まる。


『……母親か』


(おそらく)


 ――母ちゃんに。


 最後に聞いた声が蘇った。その先を伝えることは、もう誰にもできない。


 母親が部屋へ一歩入り、誰かの名を呼ぶように口を動かした。次の瞬間、その膝が崩れる。付き添っていた教会の女性も身を屈め、倒れ込む身体を支えた。


「ダリオ……!」


 泣き声が廊下まで響いた。


 エインは離れた場所に立ったまま、戸口を見ていた。声を掛けようとしても、名前のほかに何を言えばいいのか分からなかった。


 教会の女性は母親の傍を離れず、背に手を添えていた。やがて戸口の職員がエインに気づき、静かに扉を閉めた。姿が見えなくなっても、泣き声は聞こえていた。


 外では朝の鐘が、いつもと変わらず鳴っていた。

お読みいただき、ありがとうございます。

毎日お昼12時に更新予定です。


楽しんでいただけましたら、評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。