第十五話 刻まれた力
その日の午後、訓練場の長机には、同じ形の剣が並べられていた。
講義室から来た候補生たちが集まると、ハロルドは手にしていた一本を机へ置いた。
「今日はこれを使う。一人一本取れ。抜くのは指示してからだ」
エインは手前の剣を取り、鞘に収まったまま重さを確かめた。鍔も柄も簡素で、飾りらしいものはない。握った感触は、これまで訓練に使っていたものと大きく変わらなかった。
隣では、ダリオが鞘を裏返して眺めている。
「これ、俺たちが使うんですか?」
「ああ。ただ、実習で使うだけだ。今日は終わったら返してもらうぞ」
ハロルドは全員が剣を取ったことを確かめ、候補生同士の間隔を空けさせた。
「抜いてみろ。刃には触れるなよ」
鞘から現れた刀身に、エインは目を近づけた。光の当たり方を変えると、表面に細い刻み目が見える。傷にしては整いすぎていた。小さな文字のようなものが連なり、刀身に沿って幾筋もの線を作っている。
(これが刻印か)
『ずいぶん細けぇな』
「午前に聖杭の話をしたな。あれにも、この剣にも刻印魔法が使われている」
ハロルドは自分の剣の刀身を指した。
「刻印魔法は、主に武器や鎧などへ特殊な文字を刻み、魔力の働きをあらかじめ組み込む技術だ。」
教本にある文字とは、形が違っていた。エインは文字列を追ってみたが、どこが区切りなのかさえ分からない。
「これ、教本みたいに読めるんですか?」
レオンの問いに、ハロルドは首を横に振った。
「普通の文字とは違う。読み解くにも刻むにも、専門の知識が要る。見た目だけ真似して傷をつけても、使えるものにはならん」
ハロルドが剣を持ち上げると、薄かった刻み目に光が灯った。柄に近い部分から切っ先へ、細かな文字列が鮮明に浮かび上がる。
ダリオが身を乗り出しかけ、手元の剣を持ち直した。
「今、魔力を流したんですか?」
「ああ。刻印魔法を使うには魔力が要る。この剣なら、まず少量を流して術式を起動する。そのうえで、決められた聖句を唱える」
ハロルドは剣を構え、低い声で唱えた。
「灯よ、魔を断つ刃を与え給え」
文字列の光が強まり、刀身を薄い魔力の膜が覆う。
「近接補助だ。体内操作を補助して魔力の循環を安定させる。同時に、刀身の強度と切れ味も上がる」
剣を軽く振り、続けて別の聖句を口にした。
「灯よ、魔を祓う力を示し給え」
刀身を覆っていた膜が消え、切っ先近くの刻印が光を帯びた。
「こちらは遠隔補助。身体から離した魔力の狙いや形を保ちやすくし、魔法の威力も補助する」
ハロルドが空いている手を差し出す。
「光よ」
掌に生まれた灯りが離れ、候補生たちの前をゆっくりと横切った。頭より少し高いところで止まると、その場に留まったまま光を投げかけている。
「刻印魔法は、使う者に代わって、組み込まれた働きを受け持つ。この剣なら操作の補助だ。今、光を作って動かしているのは俺自身だからな」
ダリオが、自分の剣と空中の灯りを見比べた。
「斬りながら魔法も使いたいときは、どうするんです?」
「二つの補助は同時には使えん。自分が使う魔法に合わせて、どちらを補助させるか選べ」
「切り替えは、さっきの聖句で?」
「ああ。唱えれば、それまでの補助が閉じて、もう一方へ切り替わる。起動し直す必要はない」
ハロルドは灯りを手元へ戻して消した。
一つの道具へ刻める術式は、原則として一つだという。この剣も、別々の術式を二つ刻んでいるのではなく、一つの術式の中に補助を選ぶ仕組みが組み込まれていた。
「起動した後は、ずっと魔力を流し続ける必要もない。二等灯士までは制式の装備になる。使い方を覚えれば、お前たちも同じ補助を受けられる」
補助を解くと、刀身の文字は再び薄い刻み目へ戻った。
◇
まずは剣へ魔力を流すところから始まった。
エインが柄を握って魔力を通すと、刀身に刻まれた文字が光を帯びる。僅かな魔力でも、文字列は切っ先まで途切れず浮かんでいる。
「灯よ、魔を断つ刃を与え給え」
聖句を唱えると、身体を巡る魔力に僅かな変化があった。
強い力が湧いてくるわけではない。剣を構えて腕を伸ばしたとき、刀身まで通していた魔力の流れが乱れにくくなる。肩を動かし、重心を移しても、その感覚は続いていた。
『どうだ?』
(少し扱いやすい。だが、大きく変わるわけではないな)
『まぁ、そんなもんか』
隣ではレオンが、剣を持つ腕を慎重に上げ下げしていた。
「……これ、いいな。普段より魔力の流れが良くなる」
「だからといって、基礎の訓練を省くなよ」
背後からハロルドに言われ、レオンは慌てて姿勢を戻した。
「補助があっても、扱うのはお前だ。剣が無くなった途端に何もできなくなるようでは困る」
候補生たちは指示に従って足を運び、ゆっくり剣を振った。周りとの距離を確かめながら、構え直して同じ動作を繰り返す。
ひと通り終えると、今度は遠隔補助へ切り替えた。
エインも聖句を唱え、左手の人差し指に光よを灯した。その場に留めるだけなら、形は崩れない。浮かせようとすると、灯りは指先を離れたところで輪郭を揺らした。
いつもより僅かに長く保ったが、持ち直す前にほどけて消える。
(これでも駄目か)
『剣一本でできるようになるなら、苦労しねぇよ』
もう一度試していると、ハロルドが手元を覗いた。
「少しは保てたな」
「はい。ただ、離れるとやはり難しいです」
「なら、今はそれを覚えておけ。補助を使えば何が変わって、何が変わらないのか。外へ出てから初めて確かめるなよ」
エインは頷き、もう一度指先に光を灯した。
周囲では、頭上に灯りを留める者もいれば、浮かせる途中で消してしまう者もいた。ハロルドは候補生たちの間を回り、それぞれの扱い方を確かめていた。
全員の実習が終わると、ハロルドは候補生たちを机の前へ集めた。
「今日は操作を補助する刻印魔法を使ったが、できることはそれだけじゃない。聖杭なら、結界で囲む範囲や、魔物を遮る働きが組み込まれている。道具に何をさせたいかによって、刻む術式も変わる」
エインは、光の消えた刀身へ目を落とした。
「ただし、文字を刻めば何でもできるわけじゃない。刻印魔法は基本的に代価を求める。発動の条件、使用時の行動制限、使用後の反動だったりな。強い効果を得ようとすれば、それに見合うものを差し出さなければならん」
ハロルドは、候補生たちの持つ剣へ目を向けた。
「その剣のような補助なら、魔力と聖句だけで済む。だが、中には一生消えない制約を負うものもある。例えば身体に直接刻印文字を刻む、肉体刻印とかな」
「肉体刻印……ですか?」
「ああ。肉体刻印はその性質上、普通の刻印魔法とは比べ物にならないほど強力な効果を付与できる。ただし、肉体に刻んだ制約や反動は一生消すことができない。今のお前たちが気軽に手を出していいものじゃないからな」
これが自分の身体に刻まれ、一生消えずに残る。剣を借りて使うのとは、随分と違う話だった。
「今は、そういう技術があると覚えておけばいい。まずは今日使った二つの補助を、間違えずに扱えるようになれ」
説明を終えたハロルドは、剣の手入れの仕方を実際に見せてから、候補生たちにも同じようにさせた。刀身と刻印の状態を確かめ、一本ずつ返却を受ける。
エインも剣を拭い、鞘へ収めて机に置いた。
◇
訓練場を出てからも、ダリオは右手を握り直していた。
「まだ剣の感触が残ってるな」
「いつもの訓練のとは違ったか?」
「そりゃ違うだろ。あれ、親父も使ってたんだよ」
ダリオは少し得意そうに言った。
「君の父親は聖灯士なのか」
「ああ。俺が小さい頃に死んだけどな。魔物との戦いで」
エインが隣を見ると、ダリオは前を向いたまま続けた。
「家に鞘が残ってるんだ。今日のと同じ形でさ。持ったら、思ってたより重かった」
右手を腰のあたりへ下ろし、そこに剣があるような仕草をする。
「昔はよく、それを腰につけようとしてた。長すぎて引きずって、母ちゃんに怒られたけど」
思い出したように笑い、ダリオは続けた。
「母ちゃんいまだにうるさくてさ。候補生になるときも、親父と同じ仕事じゃなくていいだろって」
口ではそう言いながら、ダリオの声に強い苛立ちはなかった。
「まあ、心配してるのは分かるけどよ。俺は親父みたいな聖灯士になりたいんだ」
廊下の窓から差す光を横切り、こちらへ顔を向ける。
「だから、早く正規の聖灯士にならねぇとな。後から入ってきたお前に、いつまでも負けてられないし」
「私は競うつもりはないが」
「……お前、本当にそういうところだぞ」
ダリオが呆れた顔をした。
『放っとけ。勝手に競わせときゃいいだろ』
(君ならそう言うと思った)
『でもまあ、嫌いじゃねぇよ。ああいうの』
少し先で、ダリオが振り返った。
「明日の打ち合い、相手しろよ」
「ああ」
「今度は一本取るからな」
返事を待たずに歩き出した背中を、エインは追った。
◇
それから幾週か、訓練と座学の日々が続いた。
朝は走り込みと魔力操作、午後は打ち合いを重ねた。座学では地図を広げ、目的地への道だけでなく、負傷や遅れを考慮した帰路も学んだ。
ダリオは何度もエインの相手を買って出た。受け流されても力任せに追わず、一度引いて隙を窺うようになり、エインも相手の動きを見ながら強化の程度を調整することに慣れていった。レオンを交え、訓練が終わったあとまで互いの動きについて話す日も増えた。
ある日の訓練が終わり、木剣を片づけて戻ると、レオンが水桶の脇で待っていた。
「最後の、惜しかったな」
「だろ。もうちょっとだったんだよ」
ダリオは差し出された水を受け取り、半分ほど飲んでからエインを見た。
「アウル、お前どうなってんだよ。俺も手ごたえはあるのに、差が縮まった気がしねぇ」
「いや、君は確かに強くなっている」
「ならなんでだよ」
「アウルも強くなってるってことだろ」
レオンが横から言い、ダリオが顔をしかめた。
「お前は同じ緑なんだから、アウルをもっと見習え!」
「いやぁ、こいつと一緒にするなよ。俺も少しずつだけど強くはなってるんだよ」
エインも水を飲みながら、さっき剣を受けた手を開いた。力の強さだけなら以前からあった。だが、この頃は、どこから打ってくるかを見ていなければならない。
『だいぶ、魔力と身体の使い方が分かって来たんじゃねぇか』
(ああ、以前は身体に染みついた動きに任せるしかなかったが、今はかなり追いつけるようになってきた)
桶へ器を戻したところで、ハロルドが三人の方へ歩いてきた。
「アウル、ダリオ。明日は朝の鐘が鳴る前に、装備を整えて中庭へ来い」
ダリオが器を持つ手を止める。
「明日の訓練、時間が変わるんですか?」
「お前たち二人は随伴任務だ。俺ともう一人、正規の聖灯士について外域へ出る」
「え……マジですか!?」
「ああ。剣は出発前に貸与する。必要な物を伝えるから、あとで二人とも来い」
「はい!」
ダリオの返事に、近くの候補生が何人か振り向いた。エインも頷き、ハロルドの背中を見送る。
その横で、ダリオがレオンへ向き直った。
「よし、来た! 随伴任務だ! 悪りぃな、レオン。先に行くぜ」
「マジかよ、二人とも置いていくなよなー!」
レオンが大きく肩を落とした。
「明日は俺と打ち合うって言ってただろ」
「任務じゃしょうがねぇだろ。帰ってきたら相手してやるよ」
「急に偉そうだな、お前」
笑いながらダリオの肩を小突き、レオンはエインにも顔を向けた。
「まぁいいや。アウル。帰ってきたら、どんなだったか教えてくれよ」
「ああ。それより、随伴任務に出ると何かあるのか?」
「知らねぇのかよ……。随伴任務に出るってことは正規への昇格も近いってことだ」
ダリオが口を挟み、レオンも笑った。
「おいほら、早く行ってこいよ。教官、待ってんだろ?」
ダリオは空になった器を戻し、エインの肩を軽く叩く。
「そうだな。行こうぜ」
二人が歩き出すと、後ろからレオンの声が追ってきた。
「ダリオ、帰ったらちゃんと俺の番だからな!」
「分かってるって!」
振り返って答えたダリオは、まだ笑っていた。
制式刻印剣は剣であり杖であるイメージです。
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