第十三話 地図の外
翌朝、レオンとともに講義室へ入ると、先に席へ着いていた赤みがかった髪の少年が顔を上げた。
「よおレオン、そいつが昨日の?」
「そう。アウル・ストラウド」
少年はエインをひと通り眺め、椅子の背へ腕をかけた。短く跳ねた赤茶色の髪に、きりっとした眉。引き締まった顔には、どこか負けん気の強さが表れていた。
「ダリオ・ベルグだ。よろしく」
「ああ。よろしく」
「昨日、訓練場で打撃柱壊したろ? お前、結構やるな」
「見ていたのか?」
「あれだけ派手にやればな」
頭の中で、アウルが鼻を鳴らした。
『目立ってんじゃねぇか』
(好きで目立ったわけではない)
隣の椅子を引いて腰を下ろすと、ダリオは口の端を上げた。
「まあ、俺も負けてねえけどな」
「そうか」
「……もう少し何かないのかよ」
「他に何を言えばいい?」
レオンが笑いながら、反対側の席へ座った。
「ダリオ、こいつはそういう奴だから諦めろ」
ダリオが言い返しかけたところで、教卓を叩く音がした。ハロルドが木杖を手に、集まった候補生たちを見渡している。
「話はそこまでだ。始めるぞ」
机には人数分の地図が置かれ、正面の壁にも大きな一枚が広げられていた。山脈や川の間を細い道が縫い、その先に街や村の名前が記されている。
「今日は地理をやる。地名を暗記するだけなら、教本を読めばいい。必要なのは、自分がどこにいて、何が危険なのかを把握することだ。退くにしても、帰る場所がどちらにあるか分からなければ話にならん」
木杖の先が、地図の中央付近を指した。
《メルシア地方》
城塞都市レグナードを擁する、人類生存圏の中心地。平野や丘陵に農地と村が広がり、各地から延びる街道が城塞都市へ集まっている。今いる東部方面第七支部は、その北東部、広い森林地帯に接する位置に記されていた。
《オルディス地方》
西へ向かうにつれて土地は河口の低地や湿地へ変わり、その先に海が広がる。沿岸には港町が点在し、漁業や交易が営まれていた。魚や塩を各地へ運ぶ船が行き交う一方、旧文明の遺跡も多く確認されているという。
《ヴァルケイン地方》
東方の大半を占める巨大な森林地帯だった。人間の町や村はなく、魔物の多い外域が続いている。水や土に恵まれ、森を開けば農地にできる場所も多いが、人が暮らせるだけの安全を保つことが難しいらしい。
《ノルグレン地方》
北へ上がると山々が連なり、人間の町や村は山麓や谷沿いに点在していた。鉱山から採れる鉄や銅は各地へ運ばれるが、寒さと険しい地形が行き来を妨げる。街道を外れれば、魔物に遭遇しなくても命を落としかねないと、ハロルドは念を押した。
エインは手元の地図で、第七支部から東へ目を移した。
(君たちが暮らしていたのは、この森か?)
『ああ。ヴァルケインの西の方だ。メルシアとの境から少し入った辺りだな』
(こんな所に住んでいたのか)
『まぁな。理由は聞くなよ。俺も知らねぇ』
森林を示す模様の間に、川が細く描かれている。教会へ向かう途中で越えた斜面や小川を思い返したが、目印にできそうなものは見当たらなかった。
それに比べて、西側は細かい。レグナードの周囲にはいくつもの町や村があり、そこから延びた街道の途中にも、人の住む場所が続いていた。
「地方名は、場所を分けるためのものだ。メルシアの中にいるから安全、という意味じゃない」
ハロルドの木杖が、村の周囲に並ぶ短い線をなぞった。同じ印はほかの町や村にもあり、第七支部の外周にも並んでいる。
「人間が暮らす場所を守っているのは、聖杭だ。刻印を施した石柱を複数配置し、囲んだ土地を上空まで包む結界を張る。目には見えんがな」
エインは門へ辿り着く前に見た杭を思い出した。道を横切るように並び、その列が両側の森へ伸びていた。
(あれは、拠点を囲んでいたのか)
『そうだ。あそこまで来りゃ、ひとまず安心だからな』
聖杭に守られた土地を、守護圏と呼ぶ。
町や村だけでなく、その周囲の農地も含まれるが、離れた集落までの道がすべて守られているわけではない。街道にも結界が続くのは主にレグナード周辺で、地方へ向かう道の多くは守護圏の外を通っていた。
(この道も、外なのか)
『森の中よりは安全だろうがな。外域といえば外域だ』
(それでは、普通の人間はどうやって行き来する?)
ハロルドの説明によれば、主要な街道は聖灯士が巡回しており、普段なら日中は商人や旅人だけでも通れるという。ただし、魔物の出没が確認された場合や、辺境・夜間の移動には護衛が必要になる。
木杖の先が、街道沿いの小さな村で止まった。
「旅では、日が暮れるまでに次の町か村へ入るよう行程を組む。近いからと森を横切ったり、遅れを取り戻そうと夜道を進んだりするな。予定どおり着けなかった時にどうするかも、出る前に考えておけ」
レオンが地図の上で、隣り合う二つの村を指で辿った。エインもその間の道を目で追ったが、紙の上で指一本に収まる距離を、実際にはどれだけ歩くのだろうか。
「じゃあ、聖杭の内側まで戻れば安全なんですか?」
ダリオの問いに、ハロルドは木杖を下ろした。
「外よりはな。強力な魔物なら結界を越えるし、杭が壊れれば、そこに穴が開く。魔力の補填を怠っても役に立たん」
聖杭の点検や補填、入り込んだ魔物の排除も、人間の暮らしを支える仕事だった。各地の教会と巡回する聖灯士が、それぞれの持ち場を守っている。
「守護圏は、人間が生きやすいように保っている場所だ。放っておいても安全な土地じゃない」
エインは改めて地図を眺めた。町や村の印を囲む線は、離れた場所にも点々と続いている。その間には森や山が広がり、東へ目を向ければ、人の住む印そのものがなくなっていた。
(人間が暮らしている場所は、随分狭いんだな)
『そうか?』
(この地図の大半は外域だろう)
『俺とジジイは、外で普通に暮らしてたぞ』
(それは普通じゃないだろう)
返事が来るより先に、ハロルドが続けた。
「外域に人間がまったくいないわけじゃない。猟師や薬草採りも入るし、そのまま住み着く変わり者もいる」
『ほら見ろ』
(変わり者と言われているぞ)
『うるせえ』
エインは口元へ手を添え、地図へ視線を落とした。
続いて教本を開くよう指示があり、紙をめくる音が重なった。次に扱うのは、外域で遭遇する魔物の等級だった。
危険度は五段階に分けられ、数字が小さいほど高くなる。最も低い第五等級でも、一般人には命に関わる相手だという。正式な聖灯士なら単独での対処が目安となり、正常に働く聖杭の結界を越えることはない。
(ダスクウルフも確か第五等級だったな)
『ああ。そういやそう言ってたな』
人の灯りへ向かう途中、ハロルドとミラが二体を倒した場面を思い出した。あのときは言葉の意味も知らず、戦いが終わるのを隠れて待っていた。
(あれで一番下か)
『確かに大した魔物じゃねぇが、外域じゃ油断すれば死ぬ』
思わず眉を寄せると、隣のダリオが顔を近づけ、声を落とした。
「どうした。見たことあんのか?」
「……ああ。ここへ来る途中、遭遇した」
「……マジかよ。それで、どうしたんだよ?」
「倒した。別の魔物にも遭ったからな。おかげで酷い目にあった」
「二体ってことか? 酷い目って言っても、普通なら死んでるぞ。お前、もうそんなに戦えんのかよ」
思いがけず大きくなった声に、ハロルドが説明を止めた。
「話なら後にしろ」
「す、すみません」
ダリオは慌てて姿勢を正したものの、こちらへ向ける目にはまだ聞きたそうな色が残っていた。エインが教壇へ視線を戻すと、ハロルドは講義を再開した。
第四等級からは、聖杭の結界を越えるものも現れる。第三等級ともなれば部隊での対処が基本となり、さらに上は、一等灯士やそれ以上の戦力を要する相手だという。
「正規の聖灯士は、基本的に三等灯士から始まる。経験と実績を積み、二等、一等へ上がるにつれて、任される仕事も重くなる」
エインは教本の階級表へ目を落とした。一等灯士の上にも、まだ記載が続いている。
「さらに上に、聖灯卿という特別な階級がある。ただし、通常の任務隊を率いるのは一等灯士までだ。まずは、そこまで覚えておけばいい」
エインは教壇に立つハロルドへ目を向けた。森で名乗ったとき、確か二等灯士だと言っていた。
(森で暮らしていた頃も、この魔物の等級を目安にしていたのか?)
『いや、等級なんて知らなかったな。ただ、ジジイには、まず危ねぇ奴の見分け方を叩き込まれた。知らねぇ相手に手を出すなともな。今じゃヤバいやつは見りゃなんとなく分かる』
(君でも逃げるのか?)
『当たり前だ。勝てねぇなら逃げるに決まってんだろ』
迷いのない返事だった。森で剣の構え方を教えてきたときと、声は変わらない。
ハロルドは再び地図へ向き直り、第七支部の周辺を示す。
「お前たちが最初に出るのは、支部周辺の巡回や、近隣の村に関わる任務だ。その先には、東の森での討伐や調査の護衛もある。今日の話は、そのつもりで覚えておけ」
候補生たちが書き終えるのを待ってから、木杖を教卓へ立てかけた。
「ここで一度休憩にする。戻ったら、次は旧文明と魔人について話すぞ」
椅子を引く音が重なり、教室に話し声が戻った。ダリオも大きく背を伸ばすと、こちらへ顔を向ける。
「さっきの話、後で聞かせろよ。魔物と戦ったときのやつ」
「ああ」
答えながら、エインは手元の地図へ目を落とした。第七支部の印から東へ、森の中を道が延びている。
教会へ着くまでは、森を抜けて人のいる場所へ辿り着くことしか考えていなかった。聖灯士になれば、今度はそこから外へ向かう側になる。
エインはその道を目で辿り、戻ってくる場所となる第七支部の位置を、もう一度確かめた。
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