第十二話 内と外
候補生用の宿舎へ移った翌朝、エインが上着の留め具を確かめていると、部屋の入口から声が飛んできた。
「もう行けるかー? アウル」
同室のレオン・フォードが、開けた扉へ片手をかけていた。短い金茶色の髪があちこちへ跳ね、こちらを向いた顔には気さくな笑みが浮かんでいる。昨夜、空いていた寝台と私物用の木箱を教えてくれた候補生だ。年はアウルと同じで、魔力の色も緑だという。
「ああ、行ける」
「よし。初日から遅れたら、俺まで怒られそうだからな」
「それは悪いことをした」
「まだ遅れてないって。ほら、行こうぜ」
笑いながら廊下へ出ていく背を見送り、エインは寝台の脇へ手を伸ばした。
『朝からよく喋る奴だな』
(水場と食堂の場所も教えてくれた。親切な人間だ)
『そんだけで決めんなよ』
(少なくとも、君よりは親切だ)
『喧嘩売ってんのか?』
教本を取り上げたところで、隣の寝台にも同じ本が残っているのに気づいた。
「レオン。忘れ物だ」
扉から顔を出して差し出すと、レオンは空いている自分の手を見下ろした。
「あー、悪い。やっぱり置いていかなくて正解だったな」
「それとこれは関係ないだろう」
受け取った教本を脇へ抱えるレオンと並び、エインは廊下を進んだ。
◇
訓練場の石壁には、まだ朝露が残っていた。十人ほどの候補生が集まる中、壁際には木剣や丸盾、小さな的が区画ごとに置かれている。昨日は使われていなかった水桶や、砂を詰めた革袋も運び込まれていた。
ハロルドは候補生たちが並ぶのを待ってから、口を開いた。
「今日の基礎訓練は俺が見る。進み具合はそれぞれ違うが、まずは全員の扱い方を確かめる。できる者には次をやらせるから、勝手に先へ進むなよ」
返事が重なり、隣のレオンも背筋を伸ばした。
「これから学ぶのは、基礎魔法、魔力の色が持つ特性、それから刻印魔法だ。刻印については、実際に道具を使うときに教える。まずは、一番大事な基礎魔法からだ」
ハロルドは片手を持ち上げた。
「基礎魔法は三つ。体内操作、体外操作、魔力変換だ。身体から切り離さず魔力を扱うのが体内操作。身体を覆う魔力を循環させるのも、これに当たる。身体から離した魔力を操るのが体外操作。そして、光や炎などへ魔力を変えるのが魔力変換だ」
まずは魔力を纏うよう指示され、エインも胸の奥へ意識を向けた。手足へ流れが繋がると、朝の冷気に強張っていた身体が軽くなる。
「魔力を纏えば身体能力は上がる。だが、動いた途端に乱れるようじゃ、肝心なところで力が出ない。立っていればできる奴も、そこで終わりにするな」
ハロルドは人差し指を立てた。
「よし、では次は魔力変換だ。光よ」
人差し指の先に小さな灯りが生まれ、指先の周囲を照らした。
「今、魔力を光へ変えた。これが魔力変換だ」
灯りが指先を離れ、頭の高さまで浮かび上がる。
「離した後の位置や形を保ち、動かすのが体外操作。こうして組み合わせれば、手の届かない場所も照らせる」
灯りは頭上から降りてきて、ハロルドの指先に戻ると消えた。
「遠くへやるほど難しくなる。まずは指先から少しでいい。浮かせてみろ」
候補生たちが顔の前に人差し指を立て、訓練場のあちこちに光が灯った。レオンの人差し指にも小さな灯りが生まれたが、少し浮かんだところで揺れ、慌てて手を差し出している。
エインも人差し指を立てた。
「光よ」
指先に灯った光は、形を崩さず留まっていた。ところが、浮かせようとした途端、輪郭が解けて消えてしまう。もう一度試しても、手を離れるところで同じように崩れた。
『俺は体外操作がほとんどできねぇ。同じ身体だからかは知らねぇが、お前も一緒みたいだな』
(なるほど、ここまで違うのか)
指先へ集めるまでは、ほとんど意識する必要もない。繋がりが切れた瞬間から、どこへ力を向ければよいのか分からなくなる。
「アウル。少し、そのまま灯してみろ」
近づいてきたハロルドに手元を見せる。指先の光は、腕を上げ下げしても消えなかった。
「変換はできている。外へ出した途端に制御が落ちるな」
「訓練で改善できますか?」
「多少はな。ただ、緑にはそういう奴も珍しくない。不得手なものに時間を使いすぎて、得意なものまで鈍らせる必要はないぞ」
ハロルドは隣へ目を向け、灯りを追いかけて手を動かすレオンを止めた。
「手で追うな。留める場所を決めろ」
「はい!」
レオンが足を止めたのを見届け、再びエインへ向き直る。
「全部一人でできる必要はない。自分が使えなくても、仲間に任せられることはある。ただし、原理は覚えろ。何をしているか分からなければ、助けることもできん」
「分かりました」
しばらく経ち、全員の進捗を確認するとハロルドは手を叩き、休憩を告げた。水桶へ向かう候補生たちに続きながら、光を灯していた指先をエインは見つめていた。
◇
休憩の後、候補生たちは再び訓練場の中央へ集まった。
「次は、魔力の色が持つ特性だ。さっきの基礎魔法とは分けて考えろ。炎を出せば赤、というわけじゃない」
教本を開くよう指示され、エインは頁をめくった。五つの色と、それぞれの特性が記されている。
白の《拒絶》――事象を拒む。障壁に用いれば攻撃を遮り、治療に用いれば傷や欠損という事象そのものを拒絶する。ごく一部の白の治療師は、傷口が塞がる前であれば、治療で失われた手足さえ再生できる。
青の《干渉》――物質や現象に干渉し、その状態や働きへ作用する。相手の魔法を乱し、妨げることもできる。干渉の対象は、この世の理にまで及ぶ。
黒の《減衰》――対象の力や働きを弱める。攻撃の威力を削ぎ、身体の動きを鈍らせる。黒の魔力による減衰は生命活動にも及び、瞬時にその機能を停止させる。
赤の《増幅》――生じている現象やエネルギーを増幅する。物質そのものを増やすことはできないが、身体の動きや斬撃、魔法の威力を高める。増幅された炎よは、一帯を焼き尽くす規模にまで達する。
緑の《強化》――身体や物質の構造・機能を強化する。主には身体能力や武器の強度を高める。強化された肉体は、一撃で城壁を打ち砕く力と、並の刃も魔法も通さぬ強靭さを備える。
「魔力そのものが色を帯び、その特性を働かせる。身体や武器に使う者もいれば、基礎魔法と組み合わせる者もいる」
レオンが渡された木剣を握り直した。刀身をなぞるように緑の魔力が伸び、その先まで覆っていく。
「今のは、緑の《強化》を木剣へ働かせている。同じ色でも、何に、どう作用させるかで戦い方は変わる。まずは自分の特性を覚えろ」
候補生たちは進度と色に応じ、別々の訓練具へ振り分けられた。まだ色の出ていない者は基礎操作を続け、レオンは木剣を手に壁際の標的へ向かう。
エインは、太い打撃柱の前へ呼ばれた。地面へ深く据えられた柱の中央には、砂を詰めた革袋が厚く巻かれている。表面は何度も補修され、縫い目の周囲だけ色が濃くなっていた。
「昨日は色を使わせなかったな。今度は緑色の魔力を纏って打ってみろ」
エインは片足を引き、昨日確かめた間合いに立った。
(腕へ集めればいいのか?)
『ああ。肩から拳まで、魔力を集めろ』
全身を覆う魔力を緑色へ変え、拳を軽く握る。足から腰、肩へと力の通る感覚を確かめ、右腕へ魔力を集めた。
エインは地面を蹴った。
腰の回転に乗った拳が革袋へ食い込み、破裂する音とともに砂が噴き出した。衝撃はその奥の柱まで抜け、木の裂ける音が訓練場に響く。拳を引いた先で、柱の上半分が傾いた。裂け目を広げながら折れ、地面へ落ちて土埃を上げる。
近くで続いていた木剣の音が止まった。
「……やり過ぎだ」
ハロルドの声に構えを解き、右腕へ集めていた魔力を全身へ戻す。足元には砂が広がり、裂けた革袋が柱の折れ口から垂れ下がっていた。
「手を見せろ」
差し出した右手をハロルドが取り、拳と手首を確かめる。指を曲げても、痛みはなかった。
「何ともありません」
「ならいい。次は加減しろ」
「……どの程度の力が出るのか、分からなかったもので」
「ああ。だから次からだ」
手を離したハロルドは、折れた柱の断面へ目を向けた。少し離れたところでは、レオンが木剣を下ろしたままこちらを見ている。
『何見てんだ。手は無事だったろ』
(君はこうなることが分かっていたか?)
『当たり前だ。緑の魔力を使って本気で打ちゃ、ああなる』
(できればそういうのは事前に言って欲しいのだが)
『なんでだよ?』
エインは返事をやめ、足元へ転がってきた木片を拾った。
◇
最後の候補生が訓練場を出たところで、入口に聖職者が現れた。
「遺跡へ向かった調査隊が戻りました。回収した魔物について、報告があるそうです」
「負傷者は?」
「いません」
「分かった。すぐに行く」
門の内側には、泥に汚れた荷車が止まっていた。周囲に立つ三人の聖灯士も、外套の裾と靴に泥をこびりつかせているが、目立った傷はない。ミラがハロルドに気づき、荷台の傍を空けた。
厚い布の下には、大きな獣の形があった。端からはみ出した長い前腕は灰黒色の毛に覆われ、曲がった爪が荷台の縁へかかっている。
調査隊の一人、ニール・ローデンが布を持ち上げた。毛のない白い顔が現れる。口の隙間には、人のものに似た歯が並んでいた。
「古い討伐記録と照合したわ。白面喚獣。第三等級よ」
ミラは顎の下を指した。
「死因は、ここから頭部へ達した剣の一撃。現場に残っていた足跡や戦闘の痕跡も、あの子の話と一致してる」
「ほかの人間がいた痕跡は?」
「見つからなかった。教えられた場所には、第五等級のダスクウルフの死骸もあったわ。そっちの傷も説明どおり。二体とも、一人で倒したと見ていいと思う」
ハロルドは荷台へ近づき、白い顔を見下ろした。
第三等級。通常なら、三人の任務隊で討伐する相手だ。
緑を纏った拳で打撃柱を折った少年の姿が浮かぶ。力があることは、十分に確かめた。だが、誰の助けもない場所で、この魔物を仕留めて帰ってくることまで、あの一撃だけで測れるわけではない。
不意に、別の光景が重なった。
想定を超える数の魔物に隊列を崩され、仲間の声さえ届かなくなった戦場。その中を、命令も待たず、赤い雷を纏った少女が一人で駆け抜けていった。まだ彼女が、聖灯卿へ任じられるよりも前のことだ。
ハロルドはしばらく、顎下に残る傷から目を離せなかった。




