ヴァルク編第七話「暁光の月 七の日」
雨は去っていた。
数日続いた空模様が嘘だったかのように、雲の切れ間から朝日が差し込んでいる。
街道沿いの草はまだ水を含み、踏みしめる度に靴底を濡らした。
ヴァルクは肩に剣を担ぎながら、ゆっくりと道を進む。
昨日の特殊個体討伐から一夜。
本来なら依頼達成で終わっていてもおかしくない。
だが、冒険者ギルドからは追加で数日の街道保全依頼が出ていた。
雨の後は魔物の活動が活発になる。
念のための巡回。
そんな名目だった。
「面倒だな……」
呟いても返事はない。
そもそも返事を期待していない。
黒鉄傭兵団の仲間達は別方面を巡回している。
今はひとり。
それが、いつものことだった。
森の影が揺れる。
ヴァルクは視線だけを向けた。
次の瞬間、飛び出してきた狼型の魔物の首が宙を舞う。
剣を抜いたようにすら見えない。
それほど自然な動きだった。
一体。
二体。
三体。
四体。
どれも脅威と呼ぶには程遠い。
数分後には全てが地面に転がっていた。
ヴァルクは死体を一瞥する。
確認はそれだけだ。
再び足を動かした。
昼を過ぎる頃には変化があった。
街道を行き交う人影が増えていた。
最初はひとり。
次は二人組。
やがて荷馬車が現れる。
木箱を積んだ商人達だ。
彼らはヴァルクの姿を見つけると、どこか安心したように表情を緩めた。
「ああ、あんたか」
「通っても大丈夫そうだな」
「助かったよ」
ヴァルクは眉をひそめる。
何を言われているのか、一瞬分からなかった。
「助かった?」
「そりゃそうだろ」
商人の男は笑った。
「雨の後は魔物が増えるからな。ここ数日、誰も通りたがらなかったんだ」
男は荷馬車を軽く叩く。
「荷が届かなきゃ商売にならねぇ」
「街へ行けなくなる奴だっている」
「だから助かったんだよ」
当然のように言われる。
ヴァルクは少しだけ視線を逸らした。
「別にお前らのためじゃない」
「ははっ、そうかもしれねぇな」
商人は気にした様子もなく笑った。
「それでも助かったことには変わりねぇよ」
荷馬車はゆっくりと去っていく。
車輪の音だけがしばらく残った。
夕方。
巡回を終えたヴァルクは街へ戻る。
門の近くでは旅人の列ができていた。
雨が止んだからだろう。
人の流れが戻っている。
子供の声。
商人の呼び声。
馬のいななき。
街はいつもより少しだけ賑やかだった。
ヴァルクはその様子を眺めていたが、理由までは考えなかった。
考える必要がないと思っていた。
夜。
酒場は相変わらず騒がしい。
仕事終わりの冒険者や傭兵達が酒を飲み、笑い声を上げている。
その隅でヴァルクはひとり席に座った。
注文した酒が置かれる。
そこへ聞き慣れた声が飛んできた。
「報告書」
振り向く。
ミラだった。
「明日」
「昨日も聞きました」
「面倒だ」
「知っています」
即答だった。
ヴァルクはため息をつく。
ミラは慣れた様子で紙束を机に置いた。
「最近、街へ来る人が増えたそうですよ」
「そうか」
「商人達から感謝が届いています」
ヴァルクは酒を口に運ぶ。
「俺に言われても困る」
「そうでしょうね」
ミラは表情を変えなかった。
「ですが結果として、街道は安全になりました」
事実だけを告げる。
それ以上でも、それ以下でもない。
ミラらしい言い方だった。
ヴァルクは返事をしなかった。
だが。
昼間の商人の言葉が、不意に頭をよぎる。
――助かった。
ただの一言。
それだけだった。
それだけなのに妙に耳に残っている。
ヴァルクは酒を飲み干した。
理由は分からない。
分からないままでいいとも思った。
ただ。
戦うことで守れるものもあるのかもしれない。
そんな考えが、ほんの一瞬だけ脳裏をかすめる。
彼はその考えを追わなかった。
追う理由がなかった。
まだ、ない。




