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名も無き戦場  作者: 六花
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セイリス編第七話「暁光の月 七の日」

朝。


修道院の裏庭には、静かな雨の気配が残っていた。


柔らかく湿った土は、踏みしめるたびにわずかに沈む。


その中央で、セイリスは木剣を構えていた。


振る。


遅れる。


受ける。


崩れる。


身体が剣に追いつかない。


重さではない。


ただ扱いに慣れていないだけだった。


何度繰り返しても、その動きはぎこちないままだった。


「もう一度」


指導役の修道女の声が響く。


セイリスは短く頷き、呼吸を整える。


振る。


また遅れる。


それでも止めなかった。


修道院の聖職者は皆、木剣の訓練を受ける。


聖者に選ばれる可能性がある以上、それは当然の務めだった。


祈りだけでは届かない場所がある。


その理屈だけは理解している。


だが意味は、まだ自分の中に落ちていなかった。




庭の端では孤児達が遊んでいた。


枝を拾い、木剣の真似をして振る。


「せいりすさま、みて!」


「できた!」


拙い動きでも迷いはない。


転んでも、笑いながら立ち上がる。


その姿はただ楽しげだった。


セイリスは一瞬だけ視線を止める。


同じ動作のはずなのに、自分とは違う。


理由は分からない。


ただ、どこか遠いもののように感じた。




休憩時間。


水を飲みながら庭を眺めていると、孤児の少年が駆け寄ってきた。


「見て!」


木剣を掲げる。


小さな手の中で、その形はまだ不器用だった。


それでも確かに、昨日よりも整っている。


「上手ですね」


自然にそう返すと、少年は誇らしげに笑った。


その笑顔を見ていると、不意に胸の奥が温かくなる。


もし。


この笑顔が失われることがあったなら。


そのとき、自分に何ができるのだろう。


答えはまだ形にならない。


ただ、胸の奥に沈むだけだった。




午後。


修道女の何気ない声が響く。


「今朝、流転者の方々も出発されたそうですよ」


それだけの報告だった。


セイリスは小さく首を傾げる。


「流転者……?」


「別の場所から来る方々です」


会話はそれ以上続かず、日常へと戻っていく。


セイリスは深く考えなかった。


ただ、知らない世界がある。


その事実だけが静かに残った。




夕方。


訓練は終わりに近づいていた。


木剣は折れていない。


だが手の中には確かな疲労だけが残っている。


それでも、まだ続けられる。


(今はまだ)


(届いていないだけ)


その言葉が自然に浮かんだ。




夜。


礼拝堂には静かな灯りだけが残っていた。


セイリスはひとり膝をつく。


祈りの時間。


いつもと同じ動作。


いつもと同じ沈黙。


だが胸の奥には、今日の光景が残っていた。


笑う子供。


振るう剣。


届かない動き。


静かに目を閉じる。


そして初めて、祈りの中に願いが混ざった。


強くなりたい。


誰かのために。


それはまだ確信ではない。


ただ、小さな形を持ち始めただけだった。

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