セイリス編第八話「暁光の月 八の日」
朝の礼拝堂は静かだった。
高い天井から差し込む光が、石畳の床を淡く照らしている。
セイリスは最前列の長椅子に腰掛け、祈りの言葉を唱えていた。
いつもと変わらない朝。
いつもと変わらない祈り。
それなのに、胸の奥だけが落ち着かなかった。
戦災支援から戻って数日。
目を閉じれば、今もあの日の景色が浮かぶ。
崩れた家々。
泣き叫ぶ子供。
瓦礫の中で家族を探し続ける人。
救えた命。
救えなかった命。
そして、救いの形。
答えは出ない。
けれど、忘れることもできなかった。
礼拝堂を出る。
朝の空気は少し冷たかった。
中庭を歩きながら、セイリスは数日前のことを思い出す。
互助会で見かけた少年。
見慣れない服装。
聞いたことのない言葉。
最初は何か困っているのだと思った。
けれど違った。
少年は子供達に囲まれていた。
何かを教えている。
意味は分からない。
それでも、子供達は楽しそうだった。
不思議な光景だった。
自分の知らない言葉を話す少年が、誰かに何かを渡している。
その姿だけが妙に記憶に残っている。
午前。
年長の修道女に呼ばれた。
案内された先は書庫だった。
壁一面に並ぶ本。
古い紙の匂い。
静かな空気。
セイリスの好きな場所だった。
修道女は一冊の本を机の上へ置く。
「聖者について学んでみなさい」
セイリスは少しだけ目を瞬かせた。
聖者。
教会に属する者なら誰もが知っている存在。
神に選ばれた者。
人々を導く者。
けれど、それ以上のことは知らない。
本を開く。
ページをめくる。
歴代の聖者達の記録。
その歩み。
残した言葉。
人々との関わり。
読み進めるほど、不思議な感覚が残った。
「セイリスは、聖者とはどのような存在だと思いますか?」
修道女の問いに、セイリスは少し考えた。
以前なら答えられたかもしれない。
神に選ばれた特別な存在。
そう信じていた。
けれど今は違う。
戦場を見た。
人の痛みを見た。
簡単な言葉だけでは語れない現実を知ってしまった。
「……分かりません」
正直に答える。
修道女は責めることなく頷いた。
「それで良いのです」
「答えを持つことより、問い続けることの方が大切な時もあります」
午後。
セイリスはそのまま書庫に残った。
聖者の本だけではない。
各地の記録も読み始める。
すると、奇妙なことに気付いた。
同じ神を信じているはずなのに、人々の祈りは少しずつ違う。
ある土地では豊穣を願う。
ある町では航海の無事を願う。
ある地域では死者の安息を祈る。
同じ神。
同じ教え。
それなのに、向けられる願いは違う。
セイリスは本を閉じる。
なぜだろう。
その疑問だけが胸に残った。
夜。
部屋へ戻る。
着替えようとして、ふと鏡を見る。
左胸の辺り。
肌が少し赤くなっていた。
怪我をした覚えはない。
指で触れてみる。
痛みもない。
支援活動の時に擦れたのだろうか。
それとも昨日の木剣訓練か。
どちらにしても大したことではないはずだった。
セイリスはしばらくその赤みを見つめる。
だが、やがて視線を逸らした。
そのうち消えるだろう。
そう思うことにした。
机に向かう。
昼間に読んだ本を開く。
聖者。
人々の願い。
違う祈り。
答えはまだ見つからない。
それでも気になった。
明日も書庫へ行こう。
もっと調べてみよう。
答えが欲しいわけではない。
ただ、知りたかった。
暁光の月、八の日。
少女はまだ知らない。
自分が避けようとしている答えが、少しずつ近付いていることを。




