レイ編第十五話「暁光の月 九の日」
朝。
宿の机には、昨日受け取った書類が広げられていた。
建築ギルドの見積書。
商業ギルドから渡された資料。
必要な設備。
必要な費用。
何度見直しても、数字は変わらない。
レイは小さく息を吐いた。
高い。
想像していたより、ずっと。
店を持つ。
それは昔から考えていた夢だった。
誰かが帰ってこられる場所。
疲れた人間が、少しだけ安心できる場所。
そんな場所を作りたかった。
でも。
夢だけでは店は作れない。
それを昨日、改めて思い知らされた。
「……まだまだ足りないな」
呟きながら、書類を畳む。
諦めるつもりはない。
ただ。
知らないことが多すぎる。
そう感じていた。
航を互助会へ送り届けた後、レイはそのまま建物の中を歩いていた。
昨日までは、店を持つために必要な金額を知るために動いていた。
今日は違う。
商人として、自分に足りないものを知りたかった。
受付で相談すると、一人の職員が対応してくれた。
「お店を持ちたい、と」
「はい」
「どのようなお店を?」
「食堂……小さな酒場のようなものを考えています」
職員は頷きながら、いくつか質問を続ける。
場所。
規模。
仕入れ先。
扱う商品。
客層。
レイは答えていく。
しかし、質問されるたびに気付かされることがあった。
自分は料理のことばかり考えていた。
何を作るか。
どうすれば喜んでもらえるか。
そこばかりだった。
でも。
店を持つということは、それだけではない。
「商人にとって、一番大切なものは何だと思いますか?」
突然の問いに、レイは少し考えた。
「……お金、でしょうか」
職員は少し笑う。
「もちろん、それも必要です」
「ですが、それだけではありません」
机の上に、一枚の紙が置かれる。
そこには、いくつもの取引記録が並んでいた。
商品の内容。
取引相手。
過去の実績。
紹介者。
そして、信用。
「良い商品を持っている人間が、必ず成功するわけではありません」
「信用される人間だからこそ、良い商品を扱えるのです」
レイは紙を見る。
今まで考えたことがなかった。
商売とは、商品と金だけで成り立つものだと思っていた。
でも。
その間には、人がいる。
「信用売買というものもあります」
職員の説明は続く。
商品を仕入れる時。
必ずしも、その場で全ての代金を用意する必要はない。
ただし。
誰でも利用できるわけではない。
過去の取引。
商人同士の繋がり。
保証する人間。
積み重ねた信用。
それらがあって初めて成立する。
レイは静かに聞いていた。
借りる。
それとは少し違う。
ただ誰かに頼るのではない。
自分が今まで積み重ねてきたものを使う。
「……商人って、お金を扱う仕事だと思っていました」
レイが呟く。
職員は頷いた。
「それも間違いではありません」
「ですが、本当に扱っているものは別かもしれませんね」
「信用もまた、商人にとって大切な財産です」
夕方。
互助会本部を出る。
街の中では、今日も商人達が忙しく動いていた。
荷物を運ぶ者。
値段を交渉する者。
新しい取引を始める者。
昨日までとは、少しだけ見え方が違う。
ただ商品を売っているように見えた人々。
その一人一人が、積み重ねた信用の上で商売をしている。
そう思えた。
宿へ戻る。
航は覚えたばかりの言葉を書いた紙を見せてきた。
まだ少ない。
でも。
昨日より確実に増えている。
レイは思わず笑った。
「頑張ったね」
航は小さく頷く。
その姿を見ながら、レイは考える。
この子にも。
そして、自分自身にも。
帰ってこられる場所を作りたい。
夜。
レイは机に向かう。
建築ギルドの見積書。
商業ギルドの資料。
そして、今日聞いた商人の話。
並べて見る。
まだ分からないことは多い。
店を持つまでの道は、まだ遠い。
でも。
昨日とは違う。
何が足りないのか。
何を知らなければいけないのか。
少しだけ見えるようになった。
レイは書類を整理する。
そして、一つ決めた。
一人で考え続けるのはやめよう。
次に会った時。
両親に相談してみる。
商人として生きてきた二人なら。
きっと、自分には見えていないものを知っている。
窓の外。
商業都市の灯りは、夜になっても消えることはなかった。




