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名も無き戦場  作者: 六花
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レイ編第十四話「暁光の月 八の日」

朝。


目を覚ますと、街の音が聞こえていた。


馬車の車輪。


荷を運ぶ人々の声。


店を開ける音。


商業都市の朝は早い。


修道院村の静かな朝とは違う。


けれど、レイにとっては慣れた音だった。


机の上には昨日受け取った見積書が置かれている。


目に入った瞬間、小さくため息が漏れた。


高い。


何度見ても高い。


建築費。


登録費。


人件費。


数字を追えば追うほど、夢は遠く感じられる。


レイは紙を畳み、荷物の奥へしまった。


今考えても答えは出ない。


まずは今日やるべきことをやる。


それが今の自分に出来ることだった。


宿を出る。


航はいつも通り隣にいた。


昨日よりも周囲を見るようになっている。


街そのものに興味を持ち始めたのかもしれない。


レイは少しだけ嬉しくなった。


けれど、それを口にはしない。


まずは市場だ。




市場へ入る。


昨日と同じ景色。


昨日と同じ賑わい。


だがレイの目は人ではなく商品を追っていた。


干し肉。


乾燥果実。


薬草。


布。


金属製品。


旅先で売れそうな物。


今後必要になる物。


値段を見る。


品質を見る。


他の店と比べる。


頭の中で自然と計算が始まる。


この干し肉は少し高い。


薬草は安い。


ただ、この品質なら村で売れる。


こちらの乾燥果実は利益が薄い。


その代わり日持ちはする。


旅人向けなら悪くない。


そんなことを考えながら店を回る。


航は静かについてきていた。


店員と話している時も。


商品を選んでいる時も。


値段を確認している時も。


ただ黙って見ている。


けれど今日は少し違った。


店員が話している時、航はその口元を見ていた。


音を聞こうとしている。


言葉を覚えようとしている。


そんな気がした。


レイは少しだけ目を細める。


変わろうとしているのかもしれない。




一軒の店で足を止める。


乾燥果実。


旅人向けによく売れる品だった。


「少し高くない?」


レイは商品を持ち上げる。


店主が肩をすくめた。


「最近は雨が多くてな」


「なら傷むのも早いでしょ」


「……」


「その値段なら隣かな」


店主が苦笑する。


少しだけ値段が下がった。


レイも笑う。


こういうやり取りは嫌いではない。




昼。


宿へ戻り、荷物を整理する。


買った物。


売る予定の物。


残っている在庫。


そして帳簿。


レイは慣れた手つきでページをめくった。


旅に出る前に仕入れた商品の記録。


どこで買ったか。


いくらだったか。


どれだけ売れたか。


数字を追う。


少しずつ減っていく在庫。


少しずつ増える資金。


大きな儲けではない。


けれど旅を続けるには十分だった。


本来なら。


ここへ来るまでのどこかの町で補充する予定だった。


干し肉。


乾燥果実。


薬草。


旅人向けの小物。


いつもなら、その土地に合わせて仕入れを調整していた。


けれど今回は違う。


航を拾った。


互助会へ向かった。


修道院へ行った。


雨が続いた。


予定外のことが重なり、気付けば仕入れを考える余裕も無くなっていた。


レイは在庫表を見る。


まだ足りる。


けれど、そろそろ補充を考えなければならない。


行商人として、それは当たり前のことだった。


帳簿を閉じる。


そして昨日の見積書を横へ置いた。


手持ち資金。


残りの在庫。


見積書。


数字を見比べる。


思わず苦笑した。


遠い。


本当に遠い。


今の自分が持っている全てを集めても届かない。


店を持つという夢は、まだ遥か先にあった。


それでも。


帳簿を見ていると、不思議と絶望だけでは終わらなかった。


少しずつだ。


本当に少しずつ。


前へ進んでいる。


そう思えた。




夕方。


街を歩く。


人の流れにも少し慣れてきた。


その途中だった。


「レイ」


呼ばれて振り返る。


航がこちらを見ている。


何か言いたそうだった。


けれど、その先が出てこない。


言葉が見つからないのだろう。


しばらく黙った後、航は口を閉じた。


レイは少しだけ笑う。


「大丈夫」


昨日と同じ言葉だった。


伝わっているかは分からない。


それでも構わなかった。


航の肩から少し力が抜けたように見えた。




夜。


机へ向かう。


帳簿を開く。


今日確認した仕入れ候補。


残りの在庫。


手持ち資金。


そして見積書。


数字を見比べる。


現実は変わらない。


今すぐ店を持つことはできない。


けれど昨日ほど苦しくはなかった。


その時だった。


視線を感じる。


顔を上げると、航が紙を見ていた。


読めるはずがない。


意味も分からないはずだ。


それでも視線を逸らさない。


理解しようとしている。


レイはその姿を見つめた。


昨日は隣に座っただけだった。


今日は紙を見ている。


少しずつ。


本当に少しずつ。


前へ進んでいる。


レイは帳簿を閉じる。


そして見積書を荷物の奥へしまった。


まだ無理だ。


でも諦めない。


その紙は、いつか必要になる気がした。


窓の外では商業都市の灯りが揺れている。


その光を見ながら、レイは静かに思った。


いつか。


きっと。


その時には、この紙も違う意味を持つのだろうと。

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