レイ編第八話「暁光の月 五の日・雨宿り」
五の日
雨が降り始めたのは、修道院が見えた直後だった。
最初の一滴が頬に落ちる。
レイは空を見上げた。
やっぱり降った。
そんな感想だけが頭を過る。
隣では航が空を見ていた。
同じ空を見ている。
けれど、見えているものはきっと違う。
レイは知っている。
流転者は最初、何も持っていない。
言葉も。
知識も。
居場所も。
だからこそ、最初に失う。
助けを求める方法を。
互助会へ運ばれてきた人達を思い出す。
誰にも声を掛けられなかった人。
言葉が分からず逃げ出した人。
そのまま姿を消した人。
生きることはできる。
けれど、生き続けることは難しい。
だから放っておけない。
特別だからではない。
むしろ逆だった。
特別ではないから。
誰かが手を伸ばさなければ、簡単に消えてしまう。
そんな人を何人も見てきた。
航が雨粒を見ている。
少し前までなら、何も分からなかったはずだ。
けれど今は違う。
「雨」
そう言えば空を見る。
それだけで十分だった。
レイは少しだけ笑う。
言葉はまだ届かない。
でも、音は残る。
それでいい。
今はまだ。
修道院の門が見える。
古い石造りの建物。
互助会の支援先のひとつ。
レイにとっては見慣れた場所だった。
門を叩く。
中から返事が聞こえる。
扉が開いた。
顔を出した修道女は、レイを見るなり表情を緩めた。
その後ろで航を見て、目を丸くする。
何かを言われる。
レイは肩をすくめた。
説明するには長くなる。
そんな意味だった。
修道女が笑う。
レイもつられて笑った。
航は黙ってその様子を見ていた。
不安そうには見えない。
怒ってもいない。
ただ観察している。
その姿が少しだけ面白かった。
中へ案内される。
外の雨音が遠ざかる。
代わりに聞こえてきたのは、子供達の声だった。
走る音。
笑い声。
誰かを呼ぶ声。
その中の一人が航を見つける。
立ち止まる。
航も立ち止まる。
しばらく見つめ合う。
どちらも動かない。
やがて子供が笑った。
航も少しだけ表情を緩める。
その瞬間。
レイは少しだけ安心した。
大丈夫。
理由なんてない。
根拠もない。
それでも。
この人はちゃんと生きていける気がした。
雨はまだ降っている。
旅も終わっていない。
けれど。
今だけは足を止めてもいい。
レイは静かに息を吐いた。
修道院の灯りは、外の雨よりもずっと温かく見えた。




