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名も無き戦場  作者: 六花
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航編第十四話「暁光の月 八の日」

朝。


目を覚ますと、街の音が聞こえた。


馬車の音。


人の声。


扉の開く音。


遠くで誰かが叫ぶ声。


修道院の朝とは違う。


静かではない。


だが、不思議と嫌ではなかった。


航は窓の外を見る。


昨日よりも、人が多い。


昨日よりも、音が多い。


それでも。


昨日より少しだけ、世界が近く感じた。




宿を出る。


レイは昨日と同じように迷いなく歩いていく。


航はその後ろを追う。


街の中では、様々なものが売られていた。


布。


道具。


食べ物。


見たことのない物。


店の前には人が集まり、声を掛け合っている。


航は足を止めそうになる。


知らない。


何も分からない。


けれど、昨日とは違った。


分からないことが、ただ怖いわけではない。


知りたいと思う。


その感覚が少しだけあった。


レイは一つの店の前で止まる。


店員と話している。


航は横で待つ。


言葉はまだ届かない。


音として流れていくだけ。


だが、レイの表情を見ることはできる。


少し考えている。


少し困っている。


昨日も見た表情だった。


航は口を開く。


「レイ」


レイが振り返る。


続きの言葉を探す。


何か聞きたい。


何か伝えたい。


でも。


出てこない。


口の中に残るのは、覚えた音だけだった。


「……」


何も続かなかった。


レイは少しだけ目を細める。


そして、ゆっくりと言う。


「大丈夫」


その音はまだ完全には分からない。


けれど。


昨日の夜と同じだった。


安心させようとしている。


それだけは、なんとなく伝わった。




昼。


レイは荷物を整理していた。


買った物。


売った物。


受け取った紙。


並べられたものを見ても、航には意味が分からない。


数字。


文字。


記号。


ただの形にしか見えない。


けれど、その一つ一つに意味があることは分かる。


この街では。


言葉が分からないだけで、世界の半分を失っている。


そんな感覚があった。




夕方。


二人は街を歩く。


昨日より、人の流れに慣れてきた。


それでも。


聞こえる声のほとんどは理解できない。


航はふと立ち止まる。


隣を見る。


レイがいる。


一週間。


ずっと一緒にいる。


名前は知っている。


簡単な言葉も少し分かる。


でも。


それだけだった。


レイが何を考えているのか。


何に困っているのか。


何を喜んでいるのか。


まだ分からない。


胸の奥に、小さな違和感が残る。


(……足りない)


何が足りないのか。


最初は分からなかった。


でも。


今なら少しだけ分かる。


言葉。




夜。


宿へ戻る。


レイは今日も机へ向かう。


航はその姿を見る。


昨日と同じ。


ただ。


今日は少し違った。


昨日は、何もできないから隣に座った。


今日は。


もう少しだけ、何かを知りたいと思った。


航は机の上に置かれた紙を見る。


読めない。


意味は分からない。


それでも視線を逸らさなかった。


いつか。


この文字を読めるようになりたい。


この音を聞き取れるようになりたい。


そう思った。


まだ小さな気持ちだった。


でも。


それは初めて、自分から生まれた願いだった。

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