エピローグ
トンネルの外へ出ると、薄曇りの空気が肺に入った。
閉ざされた暗闇の中にいたせいか、外の光が少しだけ眩しく感じる。
冷たい風が頬を撫で、張りつめていた神経がようやく少し緩んだ。
封鎖線の少し外れた場所に、猫屋が立っていた。
壁にもたれるでもなく、ただ何でもない顔でこちらを見ている。
けれど、その視線が二人の無事な姿を捉えた瞬間、わずかに空気が変わったのを空は感じた。
猫屋は歩み寄ってくる二人を見て、いつもの調子で口を開く。
「おかえり」
その一言に、美景が小さく頷く。
「ただいま戻りました」
「対象は討伐済みです」
空も続ける。
猫屋はそれを聞いて、二人の姿を改めて見た。
大きな外傷はない。
消耗はしているが、足取りはしっかりしている。
何より、二人ともちゃんと前を向いて立っていた。
「へえ」
猫屋が小さく声を漏らす。
「さすがだね」
軽い言い方だった。
だが、その目はしっかり二人を見ている。
「中は?」
「下位種の死体が大量にありました」
美景が簡潔に報告する。
「恐らく共食いを繰り返していた中位種上位の異形がいました」
「”感覚”ともとれる異常な再生能力を有していました」
空が引き取る。
「普通に斬ったくらいじゃすぐに再生するタイプでした。最終的には白雪が動きを止めて、俺が”活性”を流し込んで無理やり自壊させました」
その報告に、猫屋の眉がぴくりと動く。
「……”活性”?」
「はい」
「春日部隊長には内緒にしておいた方がいいかもしれません」
美景が真顔で言う。
一拍置いて、猫屋が吹き出した。
「ははっ、なるほどね」
肩を揺らして笑う。
「それは陽奈ちゃんに怒られちゃうやつだ」
空は小さく息を吐いた。
さっきまでの緊張が、少しだけほどける。
猫屋はひとしきり笑ってから、改めて二人を見る。
その表情から、ふっと軽さが抜けた。
「でも」
その声は静かだった。
「ほんとに、もう大丈夫そうだね」
短い一言だった。
けれど、その言葉の意味は十分すぎるほど伝わる。
神社での一件。
美景が止まり、空が満身創痍で撤退したあの時から、二人がここまで戻ってこれるかを猫屋は見ていたのだろう。
美景はその言葉に、ほんの少しだけ目を見開いた。
それから、小さく視線を伏せる。
「……はい」
答えた声は静かだったが、もう震えていない。
空も隣で、無意識に肩の力が抜けていくのを感じた。
猫屋はそんな二人を見て、満足そうに頷く。
「これなら、ようやく次の話ができそうだ」
その言い方に、空はわずかに目を細める。
美景もまた、猫屋の次の言葉を待つように視線を向けた。
風が吹く。
封鎖線のテープがかさりと揺れた。
廃トンネルの奥は、もう静かだ。
けれど二人とも分かっている。
ここで倒した中位種の異形は、終わりではない。
もっと深く、もっと厄介な存在が、まだどこかに潜んでいる。
それでも今は、確かに一つ前へ進めた。
神社で立ち尽くしたあの日とは違う。
もう、二人とも止まらない。
空は隣に立つ美景を一瞬だけ見る。
美景もまた、静かに前を向いていた。
その横顔に、もうあの日の怯えはなかった。
あるのは、まだ消えない恐れと、それでも向き合うと決めた意志だけだ。
猫屋はそんな二人を見比べて、いつものように少しだけ口元を上げた。
「じゃ、帰ろっか」
軽い声だった。
けれどその言葉は、二人がもう一度前へ進むことを許された合図みたいにも聞こえた。
◇
深夜の廃トンネルに、ひとつの足音が響く。
乾いた靴音は、静まり返った暗闇の奥でゆっくりと止まった。
その先に転がっていたのは、白い大量の肉片だった。
弾け飛び、潰れ、原形すら留めていない残骸。
ついさっきまで異形だったものの成れの果てが、トンネルの床に無造作に散らばっている。
「あーあ、また壊されちゃった」
男はその光景を見下ろし、愚痴るように呟いた。
声色は穏やかだった。
まるで、少し気に入っていた玩具が壊れたのを惜しんでいるだけみたいに。
「今回のは自信作だったんだけどな」
しゃがみ込み、足元の肉片をひとつ手に取る。
白い指先に掴まれたそれは、まだかすかに脈打っているようにも見えた。
ぐしゃり。
男がそれを握り潰す。
すると肉片は形を失い、どろりと溶けるように崩れた。
崩れた白は男の手を伝い、そのまま吸い込まれるように男の体へ取り込まれていく。
暗がりの中で、男は小さく目を細めた。
「まあいいか」
穏やかな声だった。
「次は、もっと上手くやろう」
トンネルから出てきた男は、異様なほど白かった。
三章完結となります。この章は美景にフォーカスをあてた章となりました。
ヒロインとしての彼女を描けたでしょうか?
引き続き、よろしくお願いいたします。
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