表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/40

2話 嫌悪

「ま、といっても教えられることは少ないんだけどね」


猫屋は壁にもたれたまま、あっさりと言った。


空は思わずぽかんとする。


「……は?」


気の抜けた声が、そのまま出た。


さっきまでの流れなら、てっきり猫屋の”感覚(センス)”の使い方や、あの圧倒的な戦い方の何かを教えられるのだと思っていた。

それが、教えられることは少ないと言われるとは思わなかった。


猫屋はそんな空の反応を見て、くすりと笑う。


「いや、気持ちは分かるよ? せっかくやる気になってる相手にそれ言う? って感じだよね」

「……そうですね」

「でも、本当なんだよ」


猫屋は軽く肩をすくめた。


「本来、”感覚(センス)”ってのは一人につき独自のひとつを極めるものなんだ」


その言葉に、空は少しだけ表情を戻す。


猫屋はそのまま続ける。


「白雪ちゃんなら”氷華(アイシクル)”。僕なら”操糸(ネコノテ)”。基本的には、自分の”感覚(センス)”をどう使うか、どう鍛えるか、どう広げるかって話になる」


訓練室の床に散らばった標的の破片を見下ろしながら、猫屋は指先を軽く動かす。


「だから教えられるのも、その”感覚(センス)”の中での話が中心なんだよね。出力の上げ方とか、発動の癖とか、間合いの取り方とか」


そこまで言ってから、空の方へ視線を戻す。


「でも、蒼月くんのそれは、ひとつに注力ってわけにはいかない」


空は黙る。


否定はできない。

自分の”感覚(センス)”は、氷だけでもなければ糸だけでもない。他の”感覚(センス)”も、見て取り込んで使うものだ。


それは便利なのかもしれない。

だが同時に、何をどう鍛えればいいのか、自分でもまだよく分かっていない。


猫屋は空の沈黙を見ながら、少しだけ声を落とした。


「だから、まず蒼月くんがやらなきゃいけないことは、”感覚(センス)”に慣れることだ」

「……慣れる」

「うん」


猫屋は頷く。


「出せるようになること。迷わず使えるようになること。考えるより先に、身体に馴染ませること」


その言い方は軽いのに、内容だけが重かった。


空は自然と、合宿所でのことを思い出す。


星馬たちが追い詰められていた時。

自分は真っ先に異形へ飛び込み、殴り飛ばした。

けれどそれでは終わらなかった。終わらせられなかった。


猫屋はその記憶をなぞるみたいに言う。


「合宿所の時も、まず異形を殴りつけてたでしょ」

「……はい」

「もちろん、あれは咄嗟だったし、間違いってわけじゃないよ。実際、あれで時間は稼げたしね」


猫屋はそこで一拍置いた。


「でも、ああいう時に最初から”感覚(センス)”が出ないといけない」


空は口を開きかけて、閉じる。


反論はできない。

あの時、自分はただ手が先に出ただけだった。相手が分身体だったからまだよかった。もし本物で、もし猫屋がいなかったら、あれでは足りなかった。


猫屋はいつもの調子のまま、でも少しだけ鋭く言葉を重ねる。


「殴ってから、じゃ遅いことがある」

「……」

「触る前に出る。踏み込む前に準備が終わってる。それくらいじゃないと、実戦だと間に合わない場面が出てくる」


空は無意識に拳を握った。


猫屋の言っていることは分かる。

分かるからこそ、余計に悔しかった。


結局、自分はまだ”感覚(センス)”を使う側の人間として未熟なのだ。

模倣できるとか、珍しいとか、そういう話ではない。もっと手前の、使うか使えないかの段階で引っかかっている。


猫屋はそんな空を見て、少しだけ目を細める。


「蒼月くんは今、”感覚(センス)”を自分の力だと思ってないんだよね」


空の眉が動いた。


「……自分の、力」

「うん。借り物みたいに扱ってる」


猫屋は自分の手を軽く持ち上げた。


「必要な時に引っ張り出して、使い終わったら切り離す。たぶん蒼月くんの中では、まだそういう感覚なんだと思う」

「……」

「だから一拍遅れる。出すかどうか、どこかでまだ迷う」


図星だった。


空は何も返せない。


猫屋は壁から身体を離し、訓練室の中央へゆっくり歩く。


「白雪ちゃんは、氷を出そうとして氷を借りてるわけじゃない」

「……」

「僕だってそうだよ。自分の中にあるものを、そのまま出してる」


そこで振り返る。


「でも蒼月くんは違う。たぶん無意識に、“これは本当は自分のものじゃない”って思ってる」


空の喉がわずかに詰まる。


それは、嫌になるほど正しかった。


自分の”感覚(センス)”を好きになれない。

それは単に痛いからでも、不安定だからでもない。


もっと根っこのところで、受け入れられていない。


「……嫌いなんです」


猫屋は急かさなかった。

ただ続きを待つみたいに、静かに立っている。


空は視線を逸らしたまま、低く言った。


「この力は、俺と妹を捨てた父親と酷く似ている」


訓練室の空気が、わずかに張る。


空は構わず続けた。


「”感覚(センス)”を使う度に、自分と父親が同じ存在になるんじゃないかって思うんです」

「……」

「自分の力だって認めるのが嫌なんです。こんなものまで同じだって思いたくない」


拳を握る。

胸の奥がじわじわと熱を持つ。


父親の顔は、もう細部までは思い出せない。

けれど、去っていった背中の嫌な感触だけは残っている。

海未と自分を置いていった男。

その男の持っていた”感覚(センス)”と、自分の力が似ている。


それがずっと、喉に刺さった骨みたいに残っていた。


「だから借り物みたいに扱ってるのかもしれません」

「……」

「自分のものだって思ったら、あいつと同じになる気がして」


言い切ってから、空は小さく息を吐いた。


こんなことを話すつもりはなかった。

でも、一度口にしてしまえば意外なほどあっさり出てきた。


猫屋はしばらく黙っていた。

それから、いつもの軽い調子を少しだけ落として言う。


「そっか」


短い一言だった。


けれど、変に慰める感じはなかった。


「まあ、嫌いなものをいきなり好きになれとは言わないよ」

「……」

「むしろ無理でしょ。そういうの」


空は黙ったまま聞いていた。


猫屋は肩をすくめる。


「でもさ。嫌いでも、似てると思ってても、結局蒼月くんは使うんだよね」

「……使わなきゃ守れないから」

「うん。そうだね」


猫屋の視線が、真っ直ぐに空へ向く。


「だったら最初の目標は、“好きになること”じゃなくていい」

「……」

「“自分のものとして扱えるようになること”で十分だよ」


空は少しだけ顔を上げる。


猫屋は続ける。


「好きじゃなくてもいい。納得しきれなくてもいい。でも、実戦で出す時だけは、自分の手足と同じように扱えないと困る」

「……」

「蒼月くんの”感覚(センス)”はたぶん、そこから先が長いんだろうね。受け入れるとか、割り切るとか、その辺は後」


それは、思っていたよりずっと現実的な言葉だった。


励ましではない。

綺麗事でもない。

ただ、前へ進むために必要な順番を言われた気がした。


「だから、今やることは変わらないよ」


猫屋は指を一本立てる。


「”感覚(センス)”に慣れること」

「……自分の力だと思えなくても?」

「うん。むしろ思えないからこそ、身体に先に覚えさせる」


猫屋はにこりと笑う。


「頭が納得する前に、身体の方を慣らしちゃうの」

「無茶苦茶ですね」

「そう? でも蒼月くん、たぶんそっちの方が向いてるよ」


空は少しだけ目を細める。

否定は、しなかった。


たしかに今の自分は、考えれば考えるほど止まる。

だったら先に動けるようにする、という理屈は分からなくもない。


猫屋は壁際へ寄りかかり直す。


「で、せっかくだし少し付き合おうか」

「……何にです」

「だから、”感覚(センス)”に慣れる訓練」


猫屋は崩れた標的の残骸を見て、それから空へ笑いかけた。


「今度は“上手く使う”じゃなくて、“自分のものみたいに迷わず出す”のを意識してみなよ」


空は標的を見る。


この力は嫌いだ。

たぶん、すぐには変わらない。

それでも、使わなければ届かない。


海未に。

そして、自分が守りたいと思ったもの全部に。


空は静かに息を吸った。


「……やります」


猫屋は満足そうに頷く。


「よろしい」


訓練室の空気はまだ熱を残していた。

崩れた標的の欠片が床に散らばる中、空は改めて前を向いた。


更新の励みになりますので、ぜひ感想・評価・ブックマークをお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ