11話 両断
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猫屋は、ほとんど止まることなく暗い林道を駆けていた。
「伸速」で糸を伸ばし、木々の間を縫うように一気に進む。
そのたびに視界の端で白い影が揺れた。
分身体。
木立の陰から。
地面の歪みから。
時には何もない空間そのものから、煙が形を持つみたいに異形が現れる。
「多いなあ、もう」
猫屋はぼやくように言った。
その口調に切迫感はない。
けれど指先の動きには一切の無駄がなかった。
「爪乱」
見えない斬撃が走る。
現れた分身体がまとめて裂け、煙みたいにほどけて消える。
だがすぐにまた別の場所で白い影が揺らぐ。
本体は近いはずだ。
この数の分身体を、これだけの範囲へ出している。
しかも、ただ湧かせているだけじゃない。進路を塞ぎ、視界を歪め、空間そのものに迷いをかけている。
しらみ潰しに進みながらも、猫屋の視線は常に先を見ていた。
そして。
開けた場所へ出た瞬間、猫屋は足を止める。
「……ようやくおでましか」
そこにいたのは、一際大きい異形だった。
二階建ての家くらいはある。
白いというより、灰に近い色をした身体。輪郭が一定しない。肉の塊にも、煙の塊にも見える。頭部らしき位置には穴のような暗がりが空いていて、顔という顔はない。
それでも、目が合った気がした。
異形が、声にならない叫びを上げる。
その瞬間、猫屋の周囲の空気が揺らいだ。
陽炎みたいに景色が歪む。
木立がぶれる。
地面が遠ざかる。
猫屋の立っている位置だけが、透明な何かに包まれるように閉じていく。
閉じ込めるつもりだ。
だが次の瞬間、その陽炎に亀裂が走った。
細い一本。
そこから二本、三本と裂け目が広がる。
乾いた音もなく、歪んだ空間が内側から断たれていく。
揺らぎを破って、猫屋がそのまま前へ出た。
「なるほど、なるほど」
軽く首を鳴らすように言う。
「お前の”感覚”は蜃気楼みたいなものか」
異形は答えない。
ただ、輪郭を不気味に揺らめかせるだけだ。
「蜃気楼のような物体を生み出すことで、分身体を作り出したり、はたまた空間そのものを飲み込んで外界と断絶する」
猫屋は笑う。
「なかなかに厄介だね」
──高位種。
街に現れれば、街一つを滅ぼせるとも言われる。
恐ろしく、驚異的な異形。
──しかし。
猫屋広信の敵ではなかった。
◇
「夜長!!」
空の声が暗がりに響く。
「ッ! みんな集まれっ! ”護円”!」
星馬が即座に反応する。
薄い光の膜が広がる。
半球状の結界が部員たちを包み、その外側で白い分身体が一斉に揺らぐ。
数が多い。
さっき猫屋がまとめて断ったはずなのに、また現れる。
しかも今度は、部員たちの位置を知っているみたいに最初から間合いが近い。
空は一歩前へ出る。
胸が熱い。
燃えるみたいに、奥がじくじくと焼ける。
痛む。
ショッピングモールで力を使った時の感覚に似ていた。
ただ、あの時みたいに勢い任せで広く薙ぎ払うわけにはいかない。
──ショッピングモールみたいに大規模にやっても、また次々と湧いてくる。
──たった一発打って気絶なんて論外だ。
空は息を整える。
──確実に、一体ずつ倒す。
「“模倣”」
胸の内側が軋む。
既に塞がったはずの切り傷が、じわりと疼いた。
皮膚の上ではなく、その下をなぞられるみたいな嫌な痛みだ。
「“斬体”」
次の瞬間、空の姿が前へ弾ける。
飛びかかってきた分身体へ、拳を叩き込む。
ただ殴るのではない。叩き込んだ一点から、斬撃のような線が走る。
刹那。
殴りつけた異形が、両断された。
白い身体が左右へずれ、そのまま煙みたいに薄れて消えていく。
部員たちの間に、息を呑む音が走る。
空は止まらない。
次の一体が迫る。
踏み込み、振り抜く。
裂く。
消える。
二体目。
背後から回り込もうとした三体目を、振り向きざまに叩き斬る。
四体目。
低く跳ぶように飛び込んできたところを、身を沈めて顎下から断ち上げる。
五体目。
護円の膜へ張りつこうとしたその横腹へ踏み込み、拳をめり込ませた。
煙みたいに散る。
「っ……!」
痛みが走る。
胸の奥。
模倣した”感覚”を維持するたびに、熱と痛みがじわじわ広がる。
だが止めない。
六体目。
星馬の正面へ出た分身体を、横から打ち抜く。
七体目。
木陰からにじみ出た瞬間、先に踏み込んで両断。
八体目。
背の高い部員が一瞬遅れて反応したその前へ滑り込み、そのまま斬る。
「下がれ!」
自分の声が飛ぶ。
部員たちがびくりと肩を震わせ、一歩下がる。
そのすぐ前に現れた九体目を、空はほとんど反射で叩き割った。
白い身体が裂け、また煙みたいに消えていく。
荒くなった呼吸を押さえ込みながら、空は視線を走らせる。
まだ来る。
終わらない。
けれど、前みたいに何もできないわけじゃない。
胸が焼ける。
痛い。
腕も重い。
それでも、今はまだ動ける。
木立の暗がりが揺れた。
次の一体。
今までより少しだけ大きい。
間合いを測るように、低く身を沈めている。
空は息を吸う。
「来い」
自分でも驚くほど低い声だった。
次の瞬間、分身体が飛び込んでくる。
速い。
けれど見えないほどじゃない。
空は半歩だけ踏み込みをずらし、その軌道を外した。
すれ違いざま。
「――ッ」
拳を叩き込む。
十体目。
異形の身体がきれいに断たれ、そのまま煙のようにほどけて消えた。
と、同時に。
闇色の空間に、亀裂が走った。
一本。
二本。
それは空の高い位置から広がり、まるで硝子細工にひびが入るみたいに、暗い世界そのものへ走っていく。
部員たちの間にざわめきが起こる。
空も思わず顔を上げた。
亀裂は徐々に広がり、やがて空間そのものが崩れ始める。
夜みたいに沈んでいた空が、音もなく剥がれていく。木立の輪郭がぶれ、闇が薄れ、遠くの景色が本来の色を取り戻していく。
見上げれば。
太陽が、雲の切れ間から覗いていた。
さっきまでの暗さが嘘みたいだった。
「いやー、おつかれおつかれ。よく頑張ったね」
すぐ横から聞こえた声に、空は肩を震わせた。
振り向くと、猫屋がいた。
いつの間に戻ってきたのか分からない。
さっきまで本体を追っていたはずなのに、もうそこに立っている。そしてそのまま、何のためらいもなく空の頭へ手を乗せた。
くしゃ、と軽く撫でられる。
「……」
疲れのせいか、振り払う気力も出なかった。
空はされるがまま、荒い呼吸のまま猫屋を見上げる。
「本体は」
喉が乾いていた。
それでも、それだけは確認したかった。
猫屋はいつもの調子で笑う。
「ばっちりさ」
その一言で、ようやく空の全身から力が抜けた。
安心した、のだと思う。
気づけば、その場に尻もちをついていた。
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