9話 白煙
「誰が何を見たか。何が起きて、どこで分かれたか。そこから聞かせて」
猫屋に促され、部員たちは顔を見合わせた。
誰から話すか迷っているようだったが、その中の一人――一年らしい小柄な男子が、おそるおそる口を開く。
「えっと……。朝、合宿所に着いて、最初は普通だったんです」
声が少し震えている。
無理もない、と空は思う。さっきまで異形に追い詰められていたのだ。落ち着いて見えても、まだ混乱は抜け切っていない。
その生徒は唾を飲み込み、続けた。
「でも、顧問の先生がいないことに気づいて」
「先生が?」
猫屋がやわらかく聞き返す。
「うん。バス降りた時にはいたはずなんですけど、荷物運んでるうちに見えなくなってて……」
別の部員が小さく頷く。
「最初は、山の下のコンビニとか行ったのかなって話してたんです。飲み物とか、そういうの買いに」
「なるほどなるほど」
猫屋は軽い調子で相槌を打つ。
責めるでも急かすでもなく、ただ先を促すような声だった。
そのおかげか、話している部員の表情がほんの少しだけ和らぐ。
「それで、何人かで探しに行ったんですけど……」
そこで生徒は言葉を詰まらせた。
記憶を確かめるみたいに、視線が宙をさまよう。
「どうやっても、この辺りから出られなくて」
空がわずかに眉を動かす。
「出られない?」
今度は星馬が答えた。
「最初は道に迷ったのかと思ったんだよ。山だし、似たような景色ばっかだし」
星馬はまだ少し息が乱れていたが、声自体はもうだいぶ落ち着いている。
「でも、明らかにおかしかった。進んでるはずなのに、気づくと同じとこ戻ってる。看板も木も、何回見たか分かんねえくらいで」
猫屋が「ふんふん」と頷く。
「時間はほとんど経ってないはずなのに」
今度は別の部員が口を開いた。
「辺りはどんどん暗くなっていって……」
その言葉に、空は思わず上を見た。
今いる空間は、まだ外界の昼とは切り離されたままだ。
夜みたいに暗い空。薄く沈んだ光。あの違和感の正体が、その話とぴたりと重なる。
「で、気づいたら異形が大量に出てきてました」
今度は、最初に話していた一年がはっきり言った。
「最初は一体か二体だけだったと思うんです。でも、逃げてるうちにどんどん増えて……」
「必死に逃げたけど追い詰められて、さっきに至るって感じです」
最後は、壁際で座り込んでいた男子が吐き出すように締めた。
言葉が終わると、その場に短い沈黙が落ちる。
猫屋は腕を組むでもなく、いつもの軽い調子のまま「ふんふん、なるほど」と頷いた。
「先生が最初に消えた、と」
「はい……」
「で、外に出られなくなって、暗くなって、異形が増えた」
「そんな感じ、です」
「オッケー」
猫屋はそう言って、小さく息を吐く。
部員たちの間に、少しだけ安堵の色が広がる。
事情を分かる側の人間がいる。それだけでだいぶ違うのだろう。
その時だった。
背後の木立が揺れた。
ざ、と複数の気配が走る。
空が反射的に振り向くより早く、白い影が周囲へ滲み出るように現れた。
一体、二体、三体――さっきまで何もなかったはずの空間から、異形が取り囲むように姿を見せる。
「……っ!」
部員たちの顔が一気に強張る。
猫屋は振り返りもせず、軽く言った。
「蒼月くん、みんなを見ててあげて」
その言葉に空はすぐ動いた。
部員たちの前へ半歩出る。守る位置に立つ。咄嗟の動きだったが、今度は迷わなかった。
次の瞬間、猫屋の指先が動く。
見えない糸が走る。
異形たちの身体が、まとめてずれた。
腕が落ちる。
脚が裂ける。
胴が滑る。
一掃だった。
何体いたのか数える間もなかった。
白い肉塊が地面へ崩れ落ち――
そこで、空の目が止まる。
「……あれ」
落ちたはずの異形が、崩れたまま残らない。
煙みたいに、散る。
輪郭がほどけるように崩れて、そのまま霧のように薄れて消えていく。
空は眉をひそめた。
「なんか……今更ですけどいつもの異形と違いませんか」
猫屋がわずかに目を細める。
空は消えていく残滓を見ながら続けた。
「煙みたいに消えた……っていうか」
その言葉が終わるのと、ほぼ同時だった。
また、異形が現れる。
今度はもっと近い。
木立の影からではない。そこに何もなかったはずの空間から、滲み出るように白い影が形を取っていく。
一体。
二体。
三体。
空の背筋に冷たいものが走る。
猫屋はその光景を見ながら、次の瞬間にはまた指先を動かしていた。
現れた異形をまとめて断ち、崩し、消す。
けれどその間にも、頭の中では別のことを考えているようだった。
――考えてみれば。
この数の異形を、ここまで接近されるまで気づけないわけがない。
猫屋の細められた目が、わずかに開く。
また白い影が揺らぐ。
今度は左右同時。
発生の瞬間すら曖昧なまま、異形たちが形を取っていく。
猫屋は一歩だけ前へ出た。
「蒼月くん」
「はい」
「おそらくこの異形は、分身体か何かだ」
猫屋の声は静かだった。
「今この場で発生してる」
空は息を呑む。
「……分身体」
「うん。だから数が多いし、消え方も変なんだろうね」
また一体、猫屋の糸に裂かれて煙みたいにほどけて消える。
本物じゃない。
だが、だからといって脅威でないわけではない。
部員たちの顔がまた青ざめるのが、空にも分かった。
猫屋は前を向いたまま言う。
「たぶん本体は別にいる」
その声音は相変わらず軽い。
けれど、今度ばかりはその中に確かな鋭さがあった。
「で、こっちはこっちで、分身を出して足止めしてるってところかな」
空は拳を握る。
本体。
分身体。
煙のように現れては消える異形。
つまり、今ここで相手にしているものは本命ではない。
本体がどこかにいて、この場そのものを支配しながら、異形を湧かせ続けている。
猫屋はその場に立つ部員たちを一瞥し、それから空へ視線だけを向けた。
「さて」
軽く笑う。
「ちょっと役割分担、必要かもね」
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