6話 予兆
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猫屋隊の隊室へ顔を出すことにも、少しずつ慣れてきていた。
最初の頃こそ、扉を開けるたびに場違いな感覚が先に立っていたが、今はそこまででもない。まだ完全に馴染んだとは言えない。けれど、少なくとも「入ってはいけない場所」ではなくなっていた。
この日も、空は放課後そのまま本部へ来ていた。
軽くノックをしてから扉を開ける。
すると、いつもより隊室の空気が少しだけ張っていることに気づいた。
中には猫屋と功刀、それに見覚えのない隊員が二人いた。
全員が中央の机を囲むように立ち、端末の画面を見ながら何か話している。雑談ではない。空が入ってきてもすぐには視線が向かない程度には、話の中身へ意識が寄っていた。
空は一歩だけ中へ入り、自然と足を止める。
「……失礼します」
その声で、ようやく猫屋が顔を上げた。
「お、蒼月くん。いらっしゃい」
いつもの軽い口調だった。
けれど、その目はさっきまでの流れをまだ引きずっている。
「今ちょっと手が離せないから、適当に座ってて――」
言いかけたところで、空の視線が机上の端末へ吸い寄せられる。
表示されていたのは地図だった。
郊外の山間部。林道。施設の位置。周辺の等高線。
見覚えがある。
空はわずかに眉を寄せた。
どこで見たのか、すぐには思い出せなかった。
だが次の瞬間、数日前の教室での会話がふっと頭に浮かぶ。
――うちのサッカー部、近々合宿なんだよ。
――ちょっと郊外の方。ほら、前に林間とかでも使ってた合宿所あるだろ? あの辺。
――金曜から二泊三日。
そこでようやく、記憶と画面の地図が繋がった。
空は無意識に、もう一歩だけ机へ近づく。
「……ここ」
気づいた時には、口から言葉が漏れていた。
猫屋が首を傾ける。
「ん?」
空は画面を見たまま聞く。
「ここって、合宿所があるところですか」
一瞬、隊室の空気が静まる。
猫屋がちらりと画面へ目を落とし、それから空へ視線を戻した。
「うん。そうだけど」
軽い返答だった。
だが、空の中ではその一言だけで十分だった。
やはり、あそこだ。
星馬のサッカー部が行くと言っていた合宿所。
金曜から二泊三日。さっき空に絡んできた連中も一緒に行くと、星馬は面倒そうに話していた。
功刀がわずかに眉をひそめる。
「急に何だ」
その声音に、空はようやく自分が話し合いへ割り込んだ形になっていることに気づいた。
だが今さら引く気にもなれなかった。
「……知り合いが、その合宿所に行ってるって聞きました」
「知り合い?」
猫屋が反応する。
「学校のクラスメイトです。サッカー部で。日程も、多分今日からです」
それを聞いた見知らぬ隊員の一人が、端末を操作して何かを確認し、頷く。
猫屋もふっと表情を薄くした。
「なるほどね」
その声音から、さっきまでの軽さがほんの少しだけ抜ける。
空は視線を外さず続ける。
「何か起きてるんですか?」
今度は猫屋もすぐには答えなかった。
机上の端末に目を落とし、数秒だけ考えるような間を置く。
「簡単に言うとね」
やがて口を開く。
「その一帯が、外からまったく干渉できなくなってる」
「干渉……できない?」
「うん」
猫屋は端末を指で軽く叩いた。
「通信が通らない。監視ドローンも一定ラインから先へ入れない。映像も拾えない。現地へ向かった一般の捜索隊も、途中から進めなくなって引き返してきてる」
「何が起こってるんですか?」
空が低く言うと、猫屋は肩をすくめた。
「わからない、だから厄介なんだよ」
功刀が言葉を継ぐ。
「単なる地形障害や機械トラブルでは説明がつかない。異形由来の現象である可能性が高い」
「異形の”感覚”によるもの、ってことですか」
空の問いに、猫屋が頷いた。
「そう見てる。もちろん断定はできないけどね。でも、もし異形の”感覚”による空間干渉だとしたら」
そこで猫屋は少しだけ笑みを消す。
「位階は高位種以上って考えるのが妥当かな」
その一言で、空の喉がわずかに詰まった。
高位種。
この前説明を受けたばかりの言葉だ。
単純な戦闘力の問題ではない。ただでさえ、生物離れした力を持つ異形が”感覚”を持っている。個人の勝ち負けで考える段階ではない相手。
猫屋はそんな空の反応を見ても、口調自体は大きく変えなかった。
「だから、僕が行く」
あまりにもあっさりしていた。
だがその自然さが、かえって重い。
隊室にいた他の隊員たちも、その決定自体には異を唱えないらしい。すでにそういう前提で話していたのだろう。功刀も腕を組んだまま、特に驚いた様子はない。
空は一度だけ、浅く息を吸う。
星馬の顔が頭に浮かんでいた。
あの気の抜けた調子。合宿がだるいと笑っていた顔。さっき絡んできた連中も一緒だと面倒そうに言っていたこと。
そして同時に、別の考えもあった。
猫屋が行く。
高位種以上の関与が疑われる現場へ、この男が出る。
初対面の時、自分は目にも止まらぬ速さで制圧された。
十年前の事件の英雄。日本最強。VEC第1席。
説明としては聞いた。だが実際に、その強さがどれほどのものなのかは、まだ断片しか知らない。
空の口が、半ば反射的に動いた。
「自分も行きます」
机を囲んでいた空気が、また少しだけ止まる。
功刀が即座に顔をしかめた。
「は?」
猫屋はきょとんとしたあと、目を細める。
「蒼月くん?」
空は自分でも分かるくらい早口になりそうなのを抑えながら言葉を継ぐ。
「その合宿所に行ってるやつの顔は分かってます。部活のやつらのことも多少は聞いてる。もし中に取り残されてるなら、知らない人間が声をかけるより動かしやすいかもしれない」
功刀が冷たく言う。
「私情だろう」
「それだけじゃないです」
空は視線を逸らさなかった。
「個人的に連絡先も知ってます。外からは無理でも中からなら繋がるかもしれません」
それは半分本音で、半分は言い訳だった。
本当は星馬のことが気になっていた。
何事もなければいいと思う一方で、この事件の中心に星馬たちがいるかもしれないと知って、平然としてはいられなかった。
だがそれだけではない。
猫屋がどう戦うのかも見たい。
高位種以上が相手かもしれない現場で、この男が何をするのか。
自分がこれから足を踏み入れていく世界の頂点が、どれほど遠いところにいるのか。
それをこの目で見たいという気持ちも、確かにあった。
「……なるほどねえ」
猫屋が小さく笑う。
その笑い方に、空は一瞬だけ息を止めた。
見透かされている気がしたからだ。
猫屋は机の端に腰を預けるようにして、空を見たまま言う。
「ま、べつにいっか」
功刀は露骨に顔をしかめた。
「ふざけているんですか。高位種以上の関与が疑われる案件に、Cランクを連れて行く気ですか」
「ふざけてないよ」
猫屋はあっさり返す。
「蒼月くんの言ってることは一理ある。現地の合宿参加者に顔見知りがいるなら、救助時の混乱を減らせるかもしれない。少なくとも完全に無意味ではない」
「しかし――」
「もちろん僕が守る対象に彼は入ってない」
その一言で、功刀も一度口を閉じる。
猫屋は続ける。
「民間人が大量にいるなら、僕がどこまで蒼月くんを気にかけれるか分からない。なら自分で頑張ってもらうしかない。その上で、知り合いがいることがプラスに働くなら悪くないでしょ」
功刀は納得していない顔だった。
だが真正面から反論しきれない程度の理屈ではあるらしい。
猫屋は今度は空の方へ向き直る。
「行きたい?」
「……行きたいです」
それはもう、誤魔化しようのない本音だった。
猫屋は数秒だけ空を見ていた。
やがて、小さく肩をすくめる。
「分かった。同行は許可するよ」
空がわずかに息を止める。
「ただし」
猫屋が人差し指を立てた。
「自分の身は自分で守ってね」
声音は軽かった。
だが、それが冗談でないことくらいは分かる。
空は短く頷く。
「もちろんです」
猫屋は満足そうに笑った。
「よし。じゃ、準備して出ようか」
その一言で、隊室の空気が一気に次の段階へ進む。
空は無意識に、自分の制服の袖を握った。
星馬の顔がまた頭に浮かぶ。
あの時は、ただの雑談だった。
高位種以上。
異形の”感覚”による空間干渉。
そして、その現場へ向かう猫屋と空。
これから目にするものが、自分の知っている戦いとはまるで別の領域にあるのだろうということだけは
もう、分かっていた。
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