5話 午後
初任務は、それで何事もなく終わった。
下位種一体の討伐。
逃げ遅れていた作業員の救助。
それだけと言えばそれだけだったが、空にとっては思っていた以上に得るものの多い任務だった。
異形を倒して終わりではない。
むしろ、その後に何を優先するかの方が重要な場面もある。
頭では分かったつもりでも、実際に現場で見ると重さが違った。
美景の動きは戦闘だけでなく、救助対応まで含めて無駄がなかった。自分がまだ何も知らない側にいることを、嫌というほど思い知らされた気もする。
けれど、それを引きずるほど深刻な任務でもなかった。
昼前に出て、終わったのは昼過ぎ。
報告まで済ませても、まだ午後の授業には間に合う時間だった。
「午後から学校に戻るのか?」
本部の出口で空がそう聞くと、美景は当然のように頷いた。
「行けるなら行くわ。まだ平日だもの」
「……そういうもんか」
「そういうものよ」
あまりにもいつも通りの返答だった。
ついさっきまで異形を相手にしていたとは思えない調子に、空は少しだけ肩の力を抜く。だが、美景にしてみればそれが普通なのだろう。任務が終わったから学校へ戻る。ただそれだけの話だ。
空も結局、そのまま一緒に学校へ向かった。
◇
午後の校舎は、昼休み終了間際の少し気だるい空気に包まれていた。
廊下には急ぎめに教室へ戻る生徒もちらほら残っていて、購買の袋を提げたまま急ぎ足で走る者もいる。どこにでもある学校の午後の風景だった。
ただ、その中を美景と並んで歩いているというだけで、周囲の視線は少しだけ変わる。
「……あれ、白雪さん?」
「今来たのか」
「隣、蒼月じゃね?」
そんな声が小さく聞こえた。
空は聞こえないふりをして歩く。
美景もまた、特に気にした様子はない。背筋を伸ばしたまま、いつもの速度で前を行く。その隣に空がいるという構図だけが、余計に目立っているのだろう。
教室に入る直前、案の定というべきか、数人の男子がこちらを見ていた。
その中には、前から空に絡んでいた顔も混じっている。
露骨な敵意ではない。けれど、面白くなさそうな色は隠していない。
「……何だよ、また一緒かよ」
一人が机に寄りかかりながら言った。
「白雪さんとずいぶん仲いいんだな、蒼月」
軽い口調だった。
だがその奥にあるものは、この前絡まれた時と変わらない。
空は足を止めない。
「別に」
短く返して、そのまま自分の席へ向かおうとする。
だが、相手はそれで終わる気はないらしい。
「別に、ねえ」
くす、と後ろで笑いが漏れる。
「最近ちょっと調子乗ってない?」
「前はそんな感じじゃなかったのに」
その言い方に、空は小さく息を吐いた。
教室の空気が、ほんの少しだけ濁る。
直接的な悪意というほどではない。けれど、その一歩手前には十分にいる。
そのときだった。
「おーい」
場の端から、軽い声が割って入る。
「昼一から元気だな、お前ら」
教室の後方から歩いてきたのは、夜長 星馬だった。
相変わらずどこか気の抜けた笑みを浮かべていて、緊張感というものを少しだけ削いでしまうような空気がある。
「……何だよ」
絡んでいた男子の一人が眉をひそめる。
星馬は肩をすくめた。
「何だよって、チャイム鳴るぞって話」
「は?」
「あと、そんなとこで固まってたら邪魔じゃね?」
軽い。
露骨に庇うわけではない。
でも、そのまま続けるには少し間の悪い空気を作る。
「ほら、先生来たらまた面倒だろ」
「ちっ」
小さく舌打ちしながらも、結局その場は崩れる。
数人の男子はそれぞれ席へ戻っていった。
何事もなかった、とは言わない。
けれど、少なくともそれ以上広がることはなかった。
星馬はその背中を見送ってから、空の方へ顔を向ける。
「災難だな」
「……別に」
空が短く返すと、星馬は「またそれか」と小さく笑った。
そのまま、流れるように空の近くまで来る。
「ていうか、お前昼からなんだ」
「まあな」
「白雪さんも?」
その問いに、美景が小さく頷く。
「ええ。少し用事があったから」
嘘ではないが、説明にもなっていない返答だった。
けれど星馬は特に突っ込まない。
「そっか」
それだけ言って、あっさり引いた。
その距離感が妙に自然だった。
美景はそのまま自分の席へ向かう。
空も鞄を置いて席に座ると、星馬が斜め前の席へ体を向けてきた。
「そういえばさ」
気の抜けた調子のまま、星馬が口を開く。
「うちのサッカー部、近々合宿なんだよ」
空は特に興味もなく顔を上げる。
「へえ」
「反応うっす」
「いや、別にサッカー部事情とか知らねえし」
「それはそうだけどさ」
星馬は笑う。
その軽さに、空もそれ以上は突き放さなかった。
「どこ行くんだよ」
「ちょっと郊外の方。ほら、前に林間とかでも使ってた合宿所あるだろ? あの辺」
星馬は机の端に指で適当な形を描くようにしながら続ける。
「金曜から二泊三日。めんどいけど、まあ毎年そんなもん」
「ふーん」
空の返事は相変わらず薄い。
だが星馬は気にせず続けた。
「しかもさっきの連中も一緒なんだよ」
「……ああ」
それで少しだけ話が繋がる。
「正直、そこが一番だるい。合宿ってだけでも面倒なのに、ああいうのまで一緒だと余計にな」
星馬は肩をすくめる。
「別に仲悪いってほどでもないんだけど、うるさいんだよな。空気が」
その言い方は、悪口というより事実確認に近かった。
だからこそ、余計に実感がある。
「まあ、蒼月が1番迷惑してると思うが」
「まぁ...な」
「だろ?」
星馬は苦笑する。
「二泊三日、ずっとあれだと思うとちょっと気が重い」
「なら行かなきゃいいじゃねえか」
空が適当に言うと、星馬は「それができたら苦労しないって」と笑った。
「部活ってそういうもんだし。抜けると後で余計面倒なんだよ」
「大変だな」
「他人事だなあ」
「他人事だしな」
空がそう返すと、星馬は少しだけ吹き出した。
「それもそうか」
教室の中では、すでに午後の授業の準備が始まっていた。
教科書を出す音。椅子を引く音。誰かの小さな笑い声。さっきまでの空気も、今はもう薄く散っている。
星馬はそのざわめきの中で、ふと思い出したように付け加えた。
「あ、場所ちゃんと覚えてないなら送っとこうか?」
「別にいらねえよ」
「冗談だよ」
星馬は笑いながら端末を軽く振る。
「でも蒼月の連絡先は欲しいな。蒼月も俺の連絡先欲しくてたまらないだろ?」
「なら余計いらないな」
「冷たいなあ」
そう言いながらも、星馬は楽しそうだった。
結局、無理矢理な流れで星馬と連絡先を交換する羽目になった。
チャイムが鳴る。
星馬は「あー、始まる」と言いながら前を向いた。
空も机の中から教科書を引き出す。
日常は、何事もなかったかのように続いていく。




