3話 指令
「そういえば」
猫屋が机の上の端末を閉じながら、ふと思い出したように声を出す。
「蒼月くん、たぶん気になってるよね。この隊室、思ったより人いないなって」
空は少しだけ視線を上げた。
言われてみれば、その通りだった。
隊室というからには、もっと人の出入りがあるものだと思っていた。実際、部屋そのものはそれなりの広さがあるし、机も椅子も今いる四人だけで使うにはかなり多い。
だが、今この場にいるのは猫屋、美景、功刀、そして自分だけだった。
「……まあ」
空が短く返すと、猫屋は「だよね」と笑う。
「猫屋隊って名前なんだから、他にも隊員はいるよ。ちゃんと」
「ちゃんと、って」
「いや、ほら。僕しかいないみたいに見えると寂しいじゃん?」
「見えますね」
功刀が即答した。
猫屋はわざとらしく肩を落とす。
「ひどくない?」
「事実です」
そのやり取りを横目に、美景が補足する。
「猫屋隊所属の隊員自体は複数いる。ただ、今は全員外に出ているだけ」
「……全員?」
「うん」
猫屋が軽く頷く。
「というか、猫屋隊に限らずVEC全体がそんな感じだね。本拠地にずっと人が揃ってることの方が珍しい。異形案件って別に、都合よく一か所でまとめて起きてくれないし」
空は黙って聞いていた。
たしかにそうだ。
学校で習う時は、VECはいつでも呼べば来る組織として語られる。だが実際には、誰かがどこかへ出ているから来るのであって、便利な仕組みが勝手に動いているわけではない。
「日本中、あっちこっちで異形は出る」
猫屋の口調は軽いままだった。
「市街地、山間部、海沿い、地下施設、廃墟、住宅街。しかも討伐だけじゃなくて、封鎖、調査、救助、痕跡確認って仕事もある。そうなるとね、人手なんていくらあっても足りないんだよ」
「慢性的な人員不足ってことですか」
空が言うと、猫屋は笑った。
「うん。すごく簡単に言えばそう」
「足りていないのはただの人数じゃない。位階ごとに必要戦力が違う以上、上位任務に出せる隊員はさらに限られる」
功刀が口を挟む。
「まあ、それもそうなんだけど」
猫屋は頬杖をつき直す。
「蒼月くんに伝えたいのは、VECはいつも余裕がある組織じゃないってこと。常に誰かが出払ってて、常にどこかが薄い。だから一人増える意味もあるし、一人欠ける重さもある」
その言葉に、空はほんのわずかに視線を落とした。
一人増える意味。
自分のことを言っているのだろう。
まだCランクで、基礎任務と同行補助が前提。そう説明されたばかりだ。そんな自分にどれほどの意味があるのかは分からない。だが、少なくともこの組織は「余っているから入れた」のではないらしい。
「猫屋隊も、基本は分散して動いてるの」
美景が静かに続ける。
「隊単位でまとまって出ることもあるけど、常にそうとは限らない。案件の規模と性質に応じて、必要な人員が必要な場所へ振られる」
「じゃあ、“猫屋隊”っていうのは」
空が問う。
「いつも同じメンバーで動く班、ってわけじゃないんだな」
「ええ」
美景は頷く。
「所属と運用は近いけれど、完全に一致はしない。特に今みたいな状態では」
「今みたいな状態、っていうのは?」
「万年人手不足」
今度は猫屋ではなく功刀が言った。
「理解できたなら十分だろ」
ぶっきらぼうだったが、間違ってはいない。
猫屋が小さく笑う。
「功刀、ほんとそういう要約だけは上手いよね」
「褒められている気がしません」
美景がわずかに息を吐いた。
呆れた、というより、いつものことだと受け流している反応に近い。
空は改めて隊室を見渡した。
空席の机。
使われていない端末。
誰かが戻ってくることを前提に整えられた空間。
静かに見えていたこの部屋も、ただ人がいないだけなのだろう。
空なのではなく、外で埋まっている。そう思うと、妙に現実味が出た。
「で」
猫屋が指を二本立てる。
「人が足りてないって話をした流れで言うのもなんだけど、蒼月くんにはさっそく任務に出てもらおうかなって」
空が顔を上げる。
「……任務?」
「うん」
猫屋はあまりにも軽く頷いた。
「もちろん、いきなり異形と殴り合ってこいって話じゃないよ? 初任務。同行枠。現場の空気に慣れるところから」
それでも、“任務”という言葉が落ちる重みは小さくなかった。
空は無意識に、自分が着ているVEC制服の袖を見た。
二着目の制服。傷はない。まだただの布にすぎないはずなのに、その一言で急に現場の匂いを帯びた気がした。
「誰に同行するんですか」
空が問うと、猫屋は机の向こうの美景へ視線を向ける。
「白雪ちゃん」
美景は静かに目を瞬く。
「私ですか」
「うん。ちょうど一つ入ってるし、タイミング的にもいいかなって」
功刀が腕を組んだまま、わずかに眉を寄せる。
「……昨日上がったばかりのBランクに、新入りの同行を付けるんですか」
「だってちょうどいいじゃん」
「どこがです」
「白雪ちゃんにとっては、初めてのBランク隊員としての任務。蒼月くんにとっては、初任務。お互いに悪くない経験になると思わない?」
「思いません」
即答だった。
猫屋は「辛辣だなあ」と笑う。
だが美景は、功刀ほど否定的でも、猫屋ほど気楽でもなかった。
少しだけ考えるように沈黙してから、空へ視線を向ける。
「内容次第です」
「もちろん、その辺はちゃんとしてるよ」
猫屋が端末を操作する。
画面にいくつかの情報が表示されたが、空には詳細までは読めない。ただ、既に具体的な案件として処理されていることだけは分かった。
「下位種案件。市街地寄り。被害規模は大きくない見込み。避難誘導と状況確認込み」
「……軽め、ではありますね」
美景が画面を見て呟く。
「でしょ?」
猫屋はにこやかに頷いた。
「蒼月くんにとっては、まず“任務がどういうものか”を知るところからだし。白雪ちゃんにとっても、Bに上がって最初としては悪くない」
空はその会話を黙って聞いていた。
軽め。
そう言われても、昨日までの自分なら、その“軽め”という分類すら遠い話だった。異形案件というだけで十分に現実感が薄い。だが今は、その現場へ自分も行く側に立たされている。
「嫌?」
不意に、猫屋がそう聞いた。
空は視線を上げる。
軽い口調だった。だが試すようでも、突き放すようでもない。単純に確認しているだけの声だった。
空は小さく息を吐く。
「……嫌かどうかで言えば、行きたくないです」
功刀が小さく鼻で笑った。
だが空は、そのまま続ける。
「でも、行かないと分からないことがあるのも事実なんでしょう」
隊員ランク。
異形の位階。
倒すだけではない任務。
それらをさっき聞いたばかりだ。
机上の説明で全部理解できるほど、自分は器用じゃない。
たぶん、現場を見なければ分からない。自分がどれだけ足りないのかも含めて。
猫屋は少しだけ目を細めた。
「うん。いい返事」
「褒めてるんですか、それ」
「一応ね」
美景が静かに言う。
「私は構わないわ」
空がそちらを見る。
美景の表情はいつも通りだった。
だが、その言葉は思っていたよりずっとあっさりしていた。
「同行するなら、現場で余計なことをしないで。勝手に前へ出ない。指示があるまでは動かない。できる?」
「……善処する」
「“はい”でいいでしょう」
空は美景を睨みかけて、やめた。
ショッピングモールではたまたま上手くいっただけだ
「……分かった。勝手なことはしない」
「ならいいわ」
美景はそれ以上言わなかった。
猫屋が端末を閉じる。
「じゃあ決まり。初任務、白雪ちゃん同行。蒼月くんは補助兼見学枠ってことで」
見学、という言い方に少し引っかかるものはあった。
だが、今の自分がその枠から外れていないことくらいは理解している。
「出発は昼前。詳細は白雪ちゃんから共有してもらって」
「分かりました」
美景が短く答える。
隊室の空気は相変わらず静かだった。
だが、さっきまでの説明だけの時間とはもう違う。
任務。
現場。
同行。
言葉だけだったものが、一つずつ具体的な形を持ち始めている。
空は無意識に制服の袖口を軽く握った。
二着目のVEC制服。
まだ傷はない。
けれど今日、それが初めて“任務に出るための服”になるのだと。
その事実だけが、遅れて胸の奥へ重く落ちてきた。




