2話 重み
「じゃあ……猫屋隊長のSランクって、どれくらいなんですか」
空は少しだけ間を置いてから、別の疑問を口にした。
一瞬、隊室の空気が静かになる。
猫屋はきょとんとした顔をしたあと、口元だけで笑った。
「お、そこ気になる?」
「気にはなります」
猫屋が肩をすくめる。
その問いに答えたのは美景だった。
「Sランクは、基本的に最上位の隊員ランク」
視線はまっすぐだった。
「日本には、総監である黒鉄さんを除くと七人しかいない。さらに第1席から第7席まで席次が与えられている」
空は少しだけ目を細める。
「七人……」
「ええ」
美景は静かに頷いた。
「そのうちの第1席が猫屋隊長、つまり日本で1番上ってことよ」
空の視線が自然と猫屋へ向く。
当の本人は、どこか気まずそうでもあり、別に誇る気もなさそうな顔で手を振った。
「一応そういうことになってるね」
「一応で済む話じゃないでしょう」
功刀が呆れたように言う。
それから今度は、まっすぐ空を見た。
「いくら一般人だったとはいえ、十年前の事件の英雄『猫屋広信』と『黒鉄一』を知らないのか?」
空はわずかに眉を寄せる。
名前そのものは聞いたことがあったのかもしれない。
だが、10年前の空にそんな余裕はなかった。自分の記憶すら曖昧だ。
猫屋が苦笑する。
「いやあ、そんな責めなくてもよくない? 10年も前の事なんだし」
「知られていて当然の名前です」
「功刀くん、時々そういうとこ真面目すぎるんだよなあ」
「あなたが軽すぎるだけです」
空は二人のやり取りを聞きながら、改めて猫屋を見る。
十年前の事件の英雄。
日本最強の男。
その肩書きと、目の前で気の抜けた顔をしている男が、どうにも上手く重ならない。
だが2日前、目にも止まらぬ早さで制圧されたことを思えば、只者ではないことだけは分かっていた。
「次に、異形の位階」
美景が端末の画面を切り替える。
「遭遇率が高いのは下位種。学校で出た個体がそう」
教室の窓を破って現れた白い異形が脳裏に浮かぶ。
あれで下位種なのか、と空は思う。一般人からすれば十分すぎる脅威だった。
「中位種は、市街地で出ればそれだけで災害扱いになる」
美景の声は変わらない。
「ショッピングモールで出現した三体がこれに当たる」
今度はモールの光景が浮かぶ。
三体の白い影。逃げ場のない人波。傷だらけになりながら立ち続けていた美景の背中。
「高位種以上は、前提が変わる」
功刀が口を挟む。
「単純な戦闘力だけじゃない。強力な”感覚”を保有している。だから遭遇時点で、もはや個人の勝ち負けで考える段階じゃない」
「異形が”感覚”を?」
空が小さく呟く。
「そう。明確に私たちの”感覚”と同じ類のもなのかは分かってはいないわ」
「何をしてくるか分からない以上、その場全体が危険になるってことか」
「そういうことだ」
功刀が答える。
猫屋が笑う。
「功刀、今日ちょっと優しいじゃん」
「どこがですか」
「一応会話は成立してるし」
「最低限です」
そのやり取りを聞きながら、空は机の上に視線を落とした。
隊員ランク。
異形の位階。
どれも今まで漠然としか知らなかった言葉だ。だがこうして聞くと、ただの設定でも肩書きでもない。それは誰をどこに出すか、誰が何を背負うか、何を諦め、何を守るかの基準なのだと分かる。
「一番大事なのは」
美景が言う。
「異形を倒すことが任務のすべてじゃないってこと」
空が顔を上げる。
「一般人を逃がすこと。被害を広げないこと。救助対象を連れ帰ること。倒せても、守るべきものを落としたら意味がない」
静かな言葉だった。
けれど、その一つ一つが重い。
自分がまだ何も知らない。
昨日、功刀に切り刻まれるみたいに差を見せつけられたばかりだ。
力の使い方だけではない。立っている場所そのものが違う。そう思い知らされた直後に、さらにこうして戦う世界の物差しまで突きつけられている。
逃げ出したいとは思わなかった。
ただ、簡単な場所ではないのだと、改めて実感した。
「ま、そんな感じかな」
猫屋が軽く手を打つ。
「細かいことは現場で覚えるしかないし、最初から全部飲み込めとは言わないよ。でも、ランクも位階も“格好いい呼び方”じゃないってことだけは覚えといて」
空は小さく息を吐いた。
「……はい」
「よろしい」
猫屋は満足そうに笑う。
隊室の空気は相変わらず静かだった。
けれど、入ってきた時とは少しだけ感覚が違っていた。
まだ馴染まない。
制服も、この場所も、この肩書きも。
それでも、ここが自分の知らない世界の入口であることだけははっきりしていた。
そして、その入口に、もう自分は立ってしまっているのだと。
今さらながら、その事実だけがじわじわと胸の奥へ沈んでいった。




