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11話 一矢

功刀が踏み込む。


また来る。


だが今度、空は引かなかった。


半歩だけ前へ出る。


美景が目を見開く。


「蒼月くん・・・!」


功刀の手刀が空の肩口へ伸びる。


避けなければ切られる。


それでも空は、その軌道の内側へ身体を滑り込ませた。


鋭い痛みが肩を裂く。


だが、その一瞬で十分だった。


功刀の懐に入る。


空の右拳が、功刀の脇腹へ叩き込まれる。


鈍い音が響いた。


「っ……」


功刀の身体がわずかに揺れる。


初めて、明確に一撃が入った。


空はすぐに後ろへ跳ぶ。


肩から血が落ちる。


だが、功刀に入れた。


確かに。


猫屋が小さく口笛を吹いた。


「へえ」


美景もまた、目を見開いたままだった。


功刀は脇腹に手を当て、数秒だけ沈黙する。


それから、ゆっくりと空を見る。

その目から、最初の軽視が少しだけ消えていた。


「……今のは、悪くない」


褒めているわけではない。


だが、少なくとも最初とは違う声だった。


空は荒い呼吸のまま立っている。


全身が痛い。


傷も増えている。


それでも、ただ斬られるだけでは終わらなかった。

その事実だけが、かろうじて空を立たせていた。


功刀の言葉が途切れたあとも、演習場の空気は張りつめたままだった。


空は肩で息をしながら、功刀を見据える。


脇腹に入れた一撃は浅くないはずだ。だが、それで流れがひっくり返ったわけではない。むしろ功刀の目つきは、さっきまでよりわずかに鋭くなっていた。


「一発入れた程度で終わると思うな」


「……思ってません」


空は短く返す。


それでも、さっきまでとは違った。


ただ追い立てられるだけの空気ではない。


功刀が、初めてこちらを“相手”として見始めている。


それだけで十分だった。


猫屋が壁際で面白そうに目を細める。


「いいねえ。ようやく演習っぽくなってきた」


美景は何も言わない。

ただ、空から目を離していなかった。


功刀が脇腹から手を離す。


構えは相変わらず曖昧だ。


けれどその曖昧さの中に、さっきより明確な圧が混じっている。


「来い」


短い言葉だった。


空は小さく息を吐く。


来いと言われて素直に突っ込めば、また切られる。


功刀の”斬体(ブレイド)”は近距離でこそ本領を発揮する。なら、本来は近づかない方がいい。


だが、あの速度に対して距離を取り続けることは困難だ。


空は足の位置を少しだけずらした。

功刀の間合い、その一歩外。


さっきまで削られながら見ていた距離だ。


功刀が動く。


その瞬間だった。


空の脳裏に、昨日の光景が閃く。


総監室。床に叩き伏せられる寸前、ほとんど見えもしなかった細い軌跡。


猫屋の糸。


速かった。


功刀のそれよりもなお、直線的で、そして捉えづらい。


功刀に必要なのは接触。なら、その外から先に縛ればいい。


距離がある。速度がいる。届かせるには、“これ”しかない。


空の指先が、わずかに震えた。


嫌悪がないわけじゃない。


躊躇いが消えたわけでもない。


けれど、今この瞬間だけは、それより先に身体が答えを出していた。


「――“模倣(デッドコピー)”」


美景の目が見開かれる。


空が放つ異様な圧に功刀の踏み込みが、ほんの一瞬だけ迷いが生じる。


空の中で、昨日触れた感触を引きずり出す。


鋭く、しなやかで、目に見えないほど細い糸。


イメージするのは、昨日一瞬で自身を拘束した糸。


既に条件は満たしている。


空の指先が、わずかに動いた。


刹那。


「はい、そこまで」


猫屋の声が、場を断ち切った。

あまりにも軽い声音だった。


だが、その一声だけで空気が変わる。


張りつめたものが、不自然なほど綺麗に止まった。


空の指先から、力が抜ける。


功刀もまた、踏み込みかけた足を止めたまま、眉をひそめた。


「……隊長」


明らかな不満が混じった声だった。


猫屋はそんな二人を見て、いつものように笑う。


「いやいや、功刀はああ言ったけど現役の隊員、それもBランクに一撃入れれば充分だよ、功刀もだいたい見たいもの見られた顔してるし」


それから、少しだけ視線を細めて空を見る。


「しかも、最後はちゃんと踏み込んだ」


功刀は舌打ちこそしなかったが、納得もしていない顔だった。


「ここで続けて本気になられても困るんだよね。模擬戦なんだから」


それは尤もだった。


尤もなのが腹立たしい。


空は荒い息を吐きながら、ようやく肩の力を抜く。


一気に痛みが押し寄せてくる。


脚が重い。


功刀はしばらく黙っていたが、やがて視線を空へ戻した。


「……なるほどな」


低い声が落ちる。


「少なくとも、ただの口先じゃないらしい」


それは認めた、ということだった。


全面的にではない。


けれど、最初の“何も守れない半端者”として切り捨てる温度では、もうなかった。


功刀はさらに続ける。


功刀(くぬぎ) 鋭二(えいじ)だ。お前を認めたわけじゃない」


遅すぎる自己紹介からの最初の一言は、やはりそれだった。

だが、その続きは少しだけ違っていた。


「だが、何もできないまま立ってるだけの人間でもなさそうだ」


空は黙ってそれを聞く。


それが今の功刀なりの評価だった。

歓迎には程遠い。


それでも、最初よりはずっとましだった。


空は短く息を吐く。


「……蒼月 空です。よろしくお願いします」


功刀は頷きもしない。


ただ視線を外し、背を向けた。


「次はもっとまともにやれ」


それだけ残して、訓練区画の奥へ歩いていく。


空はその背中を見送りながら、ようやく自分の拳を見た。


血が滲んでいる。


自分のものか、功刀のものかは分からない。


けれど、確かに届いた感触だけは残っていた。


そして同時に、指先にはまだ、出しかけた糸の残像みたいなものが残っている気がした。


美景が静かに近づいてくる。


「大丈夫?」


その声で、張っていたものが少しだけ緩む。


空は肩で息をしながら答えた。


「……大丈夫には見えないだろ、せっかく貰った制服がお釈迦だ」


「そうね」


美景は小さく笑いながら息を吐く。


けれどその目には、昨日昼休みに問い詰めてきた時とも、今朝の教室で見せた静けさとも違う色があった。


猫屋が二人の方へ歩いてくる。


「いやあ、思ったよりずっとよかった」


「……どこがですか」


空が言うと、猫屋はいつものように笑った。


「ちゃんと怒れたとこ」


意味の分からない評価だった。


空が眉をひそめると、猫屋はそれ以上説明しない。


ただ、細めた目のまま満足そうに頷く。


「じゃ、改めてかな。僕は君の上司になる猫屋 広信(ひろのぶ)


そう言って、猫屋は空の正面に立った。


「ようこそ、VECへ。蒼月空くん」


その言葉は軽いのに、不思議と冗談には聞こえなかった。


空は数秒、何も言わなかった。


演習場の白い照明。裂けた制服。残る痛み。功刀の言葉。美景の視線。猫屋の笑み。


その全部を抱えたまま、空は小さく息を吐く。


ここから先は、もう昨日までの延長じゃない。


そう思いながら、空はゆっくりと目を上げた。

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