ただ、きっかけを待っていた"私"
――side. 宮藤 玲茄――
井神くんは、他の男子たちとは少し違っていた。
五月に行われたグループ学習。私が、井神くんの提案に意見をした時。
普通の男子なら「じゃあそれでいいよ」と面倒くさがって妥協するか、あるいは機嫌を損ねるかのどちらかだ。
けれど、彼は違った。私の意見の正当性を冷静に認めた上で、「でも、僕はこっちがいいと思う」と、自分の思考を一切曲げずにぶつけてきた。
その淀みない知性と、媚びない瞳。
彼なら。もしかしたら、私のこの"息苦しい世界"を変えてくれるかもしれない。
そう興味を持ったのは、間違いなく私の方が先だった。
けれど――彼の瞳に映っていたのは、私ではなかった。
「あははっ! ちょっと井神くん、それ本当!?」
「本当だよ。僕のからあげにレモンをかけた父さんと、一ヶ月くらい口を聞かなかったんだ」
「井神くんって意外と頑固なんだね! 玲茄ちゃんもそう思うでしょ?」
「ふふっ、私は最初のグループ学習の時に頑固だなって思ってたわ」
休み時間。私の隣で、明るく無邪気に笑う茉依ちゃん。
彼女の笑顔を見つめる井神くんの横顔には、痛いほどの熱がこもっていた。
彼が茉依ちゃんに向ける視線は、論理や理屈なんかじゃない。ただの、中学生の男の子が"恋"をした相手に向ける、不器用で真っ直ぐな好意。
私に向かって微笑みかけてくる茉依ちゃんに「そうね」と優しく相槌を打ちながら。
私の胸の奥底では、どす黒く、ひんやりとした泥のような感情が、音を立てて渦を巻いていた。
――嫉妬。
どうして、私じゃないの。
最初に彼を見つけたのは私なのに。彼の言葉の本当の意味を、一番正確に理解できるのは私なのに。
どうして彼は、茉依ちゃんの前でだけ、あんなに柔らかい顔をするの。
普通の中学生の女の子なら、この嫉妬心に耐えきれず、井神くんに告白して玉砕するか、感情のまま当たり散らすか、あるいは茉依ちゃんから彼を遠ざけようと画策したかもしれない。
けれど、私はそんな見苦しい真似はしたくなかった。無理やり振り向かせたところで、彼の心に茉依ちゃんが残っているのなら、それは"本物"ではないからだ。
そんなふつふつとした感情を表面には一切出さず、私がただ静かに微笑み続けていると、やがて私たちの関係に小さな"異物"が混ざり始めた。
「お姉ちゃん」
隣の二組から、茉依ちゃんと全く同じ顔をした妹――悠希ちゃんが、頻繁に一組へ顔を出すようになったのだ。
彼女が現れると、クラスの空気が変わる。双子という特異な存在への、無遠慮な好奇の目。
それに晒された瞬間、茉依ちゃんから、井神くんの前でだけ見せる"太陽のような明るさ"がスッと消え失せ、殻に閉じこもるような"大人しい双子の姉"の顔に戻ってしまう。
その様子を見て、井神くんがひどく苛立ち、歯痒さを募らせているのがわかった。
そして私は、もう一つ、誰にも気づかれていない"決定的な事実"に気がついていた。
「井神くん、これ、余っちゃったのであげます」
「あ、ああ。ありがとう」
「……遠慮せず使ってくださいね」
悠希ちゃんは、何かと理由をつけて井神くんに話しかけようとしている。
(……なるほど。そういうこと)
私は、自分の内側で暴れ回る嫉妬心を無理やりに沈め、この状況を冷静に分析した。
井神くんは、茉依ちゃんに好意を向けている。
茉依ちゃんは、井神くんに心を開いているけれど、"自分だけ"の特別な感情を持つことに戸惑っていて、まだそれを恋心だと自覚しきれていない。
茉依ちゃんを見つめる井神くんの瞳が"恋"なら。
その井神くんを見つめる悠希ちゃんの瞳もまた、明確な"恋"だった。
なんて不安定で、いびつな矢印の交差。
こんなもの、長く保つはずがない。ちょっとしたきっかけで、誰かが致命的に傷つき、音を立てて崩れ去るだろう。
なら、私はどうする?
無理やり彼を奪いにかかるような、美しくない手は使わない。
なにか、きっかけがあればいい。
彼が、私を必要とするような、そんな"きっかけ"が。
――
冬休みが目前に迫った、ある日の放課後。
私は、教室に悠希ちゃんが来たタイミングで、三人に声をかけた。
「ねえ。お正月、四人で初詣に行かない?」
私が"四人"で出かけようと提案したのは、これが初めてだった。
井神くんは少し驚いた顔をした後、隣の茉依ちゃんを見て「行く?」と確認した。
茉依ちゃんは、ちらりと悠希ちゃんを見てから「……行こうかな」と遠慮がちに答えた。
悠希ちゃんも、無表情ながら瞳を輝かせて「行きます」と頷く。
「決まりね。楽しみにしてるわ」
私は、笑顔でそう告げた。
この誘いが、まさかあんな残酷な悲劇の幕開けになるとは、このとき誰にも――私自身ですら、知る由もなかった。
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次回更新は、4/28予定です。
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