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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
第九章 僕らが"普通"を捨てた日々
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まだ、何者でもなかった"僕たち"

 ――あれは、俺たちがまだ"普通"だった頃の記憶。

 誰かを純粋に想い、誰かの視線に戸惑い、当たり前の明日が来ると信じて疑わなかった日々。

 けれど、その眩しさはあまりにも脆くて。

 少しずつ交差していく歪な矢印に、当時の"僕"は、気づくことができなかった。



 ――side. 井神 凉――


 中学に入学して数週間が過ぎ、クラス内の人間関係も少しずつ固まり始めてきた頃。

 一年一組の教室内で、ひときわ目立つ女子が二人いた。


 一人は、中学生とは思えないほど大人びた雰囲気を纏う、宮藤玲茄さん。

 もう一人は、長い髪が印象的で、いつも大人しく宮藤さんの隣に寄り添っている、中里茉依さん。


 中里さんに関しては、もう一つクラスで話題になっていることがあった。

 隣の二組に、彼女と瓜二つの顔をした双子の妹――悠希さんがいることだ。


 とはいえ、僕にとって、彼女たちは「クラスにいる、目立って可愛い子たち」という程度の認識でしかなかった。

 自分のテリトリー外の出来事であり、積極的に関わろうとする理由もない。


 そんな距離感が大きく変わったのは、五月の中旬。

 授業の一環で、男女数名ずつのグループ学習が行われた時のことだ。


 僕のグループには偶然にも、宮藤さんと中里さんが一緒になった。

 与えられた課題に対して意見を出し合う中、僕は効率を重視した進行のアイデアを提案した。


「――だから、この手順で進めた方が、最終的なまとめの時間が短縮できると思うんだけど。どうかな」

 僕がそう言うと、グループの男子たちは「おー、それでいいと思う!」と安易に賛同した。


 だが、向かいに座っていた宮藤さんが、静かに手を挙げた。


「井神くんの案も良いとは思うんだけど、それだと役割分担に偏りが出ないかしら? 全員で均等に調べるなら、こっちのやり方の方が後々揉めないと思うの」

「……なるほど。でも、それだと調べるテーマが被って、二度手間になるリスクがある。僕はこっちがいいと思う」

「いいえ。最初の定義づけをしっかりすれば、二度手間にはならないわ」


 喧嘩腰というわけではない。ただ、お互いになんとなく「自分の方が論理的に正しい」という自負があり、一歩も引かずに意見が割れたのだ。

 他のメンバーが「どっちでもよくない……?」と戸惑う中、僕と宮藤さんは真剣な顔で議論を交わした。


「ね、ねぇ。玲茄ちゃん、井神くん……」

 そんな僕たちの間に、おずおずと割って入ってきたのが、中里さんだった。

「二人の言ってること、どっちもすごいと思うけど……だったら、玲茄ちゃんの分け方で、井神くんの進め方を組み合わせてみるのはどうかな……? ほら、ここをこうすれば……」


 中里さんがノートに書き込んだ図を見て、僕と宮藤さんは思わず顔を見合わせた。

 それは、見事な折衷案だった。


「……うん、それなら偏りも出ないし、効率も落ちないね。中里さん、すごいな」

 僕が素直に感心して言うと、中里さんは顔を真っ赤にしてパタパタと手を振った。


「そ、そんなことないよ! 二人の意見が分かりやすかったから、足してみただけで……っ」

「ふふっ。茉依ちゃんのおかげで助かったわね、井神くん」

「……うん。宮藤さんの指摘も、的確だったよ」


 この出来事をきっかけに、僕は彼女たちに強い興味を持つようになった。


 席替えで宮藤さんと席が近くなったこともあり、僕は彼女とよく話すようになった。

 宮藤さんと中里さんはいつも一緒にいるため、自然と中里さんとも言葉を交わす機会が増えていった。



 ――


 数ヶ月が経つ頃には、僕たちの仲はさらに良くなっていた。

 茉依さんと交流する中で、隣のクラスにいる妹の悠希さんとも、廊下などで少しだけ話すようになった。

 並んで立っている二人を見ると、本当にそっくりだ。最初は喋り方も表情も同じに見えて、どちらがどちらか分からなかった。

 けれど、茉依さんが若干髪の毛先にクセをつけていることに気づき、そこからははっきりと違いが分かるようになった。


 そして何より――僕と接している時の"茉依さん"は、周囲が思っているような"大人しい中里茉依"ではなかった。


「あははっ! ちょっと井神くん、それ本当!?」

「本当だよ。僕のからあげにレモンをかけた父さんと、一ヶ月くらい口を聞かなかったんだ」

「井神くんって意外と頑固なんだね! 玲茄ちゃんもそう思うでしょ?」

「ふふっ、私は最初のグループ学習の時に頑固だなって思ってたわ」


 休み時間。僕の前で笑う茉依さんは、抑え込んでいた素の自分を無防備に晒していた。

 本来の彼女は、とても人懐っこく、ころころと表情が変わる、太陽のように明るい女の子だった。


 僕が冗談を言うと、お腹を抱えて笑ってくれる。

 少し意地悪を言うと、むっと頬を膨らませて抗議してくる。

 そのどれもが新鮮で、愛おしかった。


(……可愛いな)


 気づけば、僕は目で茉依さんの姿を追うようになっていた。

 彼女に対する明確な好意。中学生になって初めて自覚した、"恋心"というやつだった。


 だが、思春期特有の恥ずかしさと、今の壊したくない心地よい関係性が壁となり、そこから一歩踏み込むことはできなかった。

 彼女も僕に好意を持ってくれているような気はする。でも、確証はない。


 そんなもどかしい時間を過ごしていた、ある日のことだ。


「お姉ちゃん」


 休み時間のたびに、二組から悠希さんが、一組の僕たちのところへ顔を出すようになった。

 別に、彼女に悪気があるわけじゃない。ただ、姉と一緒にいたいだけなのだと思う。

 だが、二人が揃うと、どうしても周囲の生徒たちが沸き立ってしまう。


「うお、すげぇ! 双子だ!」

「マジで見分けつかねー。どっちがどっち?」

「このクラスにいるのがお姉ちゃんの中里さんだよ」


 その無遠慮な"外からの目"と"声"に晒された瞬間。

 さっきまで僕の前で楽しそうに笑っていた茉依さんは、スッと表情を消し、"うつむきがちで大人しい中里茉依"という仮面を被ってしまった。


 悠希さんが来るたびに、茉依さんは素の自分を隠すようになる。

 時折、見ているこっちが苦しくなるような、ひどく思い詰めたような顔をして。


(……違う。茉依さんは、そんな子じゃないのに)


 僕は、自分の前だけで見せてくれていた彼女の本当の笑顔が、少しずつ奪われていくような錯覚に陥り、言いようのない歯痒さと焦燥感を募らせていった。


 そして、そんな僕の視線と、茉依さんの変化、悠希さんの介入――。

 そのすべてを、すぐ隣で静かに見つめている存在がいることに。


 当時の僕は、まだ気づいていなかった。

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