幸せな六人目
――side. 四谷 慶――
『うちはうちのルールで、彼と一緒にいる』
あの日、空き教室で交わした契約。それは、井神くん……凉と友達以上の関係へと進むことができる手段。
そして、あのおかしな世界に飲み込まれず、自分自身を保つための、絶対の防衛線だった。
……はず、だったんだ。
最初の数日は、本当に理想的な"普通の恋人みたいな距離感"だった。
休み時間になれば凉とお話をして。放課後は、少しの時間だけど、二人の時間を作ってもらった。人気のない空き教室で、彼と手をそっと繋ぐ。
「凉の手、あったかい」
「四谷は、手冷たいな」
はにかむように笑う彼の横顔は、うちがずっと恋焦がれていた『優しくてかっこいい男の子』そのものだった。
帰るときは玲茄たち四人になるから、うちとは空き教室でバイバイする。
一緒に帰りたいな、ってちょっと嫉妬しちゃうけど、そこは割り切らないといけない。
ほら、やっぱり大丈夫だ。うちはあの異常な輪には入らない。こうして彼だけと、普通の青春を謳歌できるんだ。そう、本気で信じていた。
だけど、その境界線は、真綿で首を絞められるように、少しずつ曖昧になっていった。
「今日、一緒に帰ってもいい?」
一週間が経った頃、放課後の教室で、うちは四人にそう言っていた。
玲茄たちは、笑顔で迎え入れてくれた。
うちの家は四人と方向が同じだけど、一番遠い。途中でみんなとバイバイする。
四人はこれから、凉の家で夕食なんだって。心がちくちくした。
それから数日が経つと、うちは凉の家に寄ってから帰るようになった。
最初は、深入りだけはしないようにって警戒していたけれど、玲茄たちは、うちをまるで"特別なお客さん"のように歓迎してくれた。
「慶、凉がお茶淹れてくれるみたいよ」
「ケーキ買ってあるんだ! 慶ちゃん一緒に食べよ!」
彼女たちは、うちと凉が隣同士で座ることも当然のように受け入れ、微笑ましく見守っていた。
その歪な優しさが、うちの警戒心を少しずつ溶かしていく。
(……そっか。この人たちは、うちのこと、認めてくれてるんだ)
玲茄たちに優しくされればされるほど、そこが異常な空間であることを忘れそうになっていった。
そして、数週間が経った休日。
気づけばうちは、"六人"で、駅前のショッピングモールに出かけていた。
最初は「やっぱりおかしい」という違和感があった。傍から見れば、一人の男を五人の女が囲んでいる異様な集団だ。うちのルールから外れている。帰らなきゃ。
そう思って足を止めかけた時だった。
「――四谷」
凉が、ふいにお揃いの可愛いキーホルダーをうちの手に握らせた。
「これ、前欲しいって言ってたこと思い出したんだ」
少し照れくさそうに目を細める、あの優しい笑顔。
ドクン、と心臓が跳ねた。
その瞬間、理性を繋ぎ止めていた最後の糸が、ぷつりと音を立てて切れた。
(ああ……もう、どうでもいいや)
彼がこんなにも優しく笑いかけてくれるなら。こんなにも私を愛してくれているなら。
玲茄たちが隣で微笑んでいようが、誰からどう見られようが、そんなことはもう些細な問題だった。
「凉。これからうちのこと、慶って呼んで」
「……わかった。慶」
――ああ、幸せだな。
「慶ちゃん、あっちの服も見に行こ!」
「うんっ!」
うちは、茉依ちゃんと手を繋ぎ、凉の隣を歩く。
もう、どこまでが自分のルールで、どこからが彼らのルールなのかなんて、わからなくなっていた。いや、考えることすらしなくなった。
「ねえ、凉。次はどこ行く?」
うちが甘えるように見上げると、彼は優しくうちの頭を撫でた。
その様子を目を細めて見ていた玲茄が、思い出したように言った。
「この近くに、私たちがよく行くランジェリーショップがあるの。凉に選んでもらいましょ」
「え!? 凉に下着選んでもらうの!!? そんなのダメだよ!!」
その言葉に、恥ずかしさよりも先に「彼に選んでもらえる」という甘い悦びが勝ってしまった時点で。
うちはもう、このおかしな世界の、"幸せな六人目"になっていた。




