美しく残酷な絵画と、ただ一人の観客
――side. 四谷 慶――
土曜日。午前九時四十分。
うちは待ち合わせ場所である駅前広場に、少し早めに到着していた。
何度も鏡の前で合わせて決めた、お気に入りのアイボリーのコートと、少し大人っぽい膝丈のスカート。メイクも気合を入れて、いつもより念入りに仕上げてきた。
冷たい風に身をすくませながら待っていると、人混みの中から、ひときわ目を引く二人の姿が現れた。
「慶、おはよ。待たせちゃったかしら?」
「四谷、おはよう。……寒かっただろ」
玲茄と、井神くんだ。
上品な黒のコートを羽織った玲茄はモデルのように美しく、隣を歩く井神くんは、私服姿だと大人びていて、どこか危険な感じが増して見えた。並んで歩いてくる二人は、まるで一枚の映画のポスターみたいで、道行く人が思わず振り返るほどだった。
「ううん、うちも今来たとこ! 二人とも、おはよ!」
うちは努めて明るく声を返した。
井神くんは「そっか」と短く頷くと、近くの自動販売機に向かい、温かいミルクティーを買ってうちの手にスッと押し当ててきた。
「え……?」
「手が真っ赤だったから。それ、少しはカイロ代わりになるだろ」
「あ……ありがとう……っ」
さらりと、何でもないことのように気遣ってくれる優しさ。
じんわりと手のひらに伝わる温かさに、うちの心臓は一気に跳ね上がり、顔がカッと熱くなるのを感じた。
そして、三人でのショッピングモール巡りが始まった。
洋服を見たり、雑貨屋を覗いたり。歩いている間、井神くんは常に周りに気を配り、人がぶつかりそうになれば自然とうちの肩を引いて守ってくれた。うちがとりとめのない話をしても、決して遮らずに相槌を打って聞いてくれる。
(……やっぱり、井神くんはすごく優しくて、かっこいい)
一緒にいる時間が長くなるほど、うちの中で彼への想いはどんどん膨れ上がっていった。
――だけど。
幸せな時間と同じくらい、うちの胸の奥には、黒くて重い"モヤモヤ"が澱のように溜まっていったのだ。
お昼ご飯に入った、おしゃれなイタリアンカフェでのこと。
「このパスタ、玲茄好みかもしれない。……食べるか?」
「ええ、少し貰おうかしら」
井神くんが自分のフォークにパスタを取り分け、そのまま玲茄の口元へと運ぶ。
玲茄は幸せそうにそれをパクリと咥え、「ん……美味しい」と妖艶に微笑んだ。
会話なんて、ほとんど必要なかった。
玲茄が空のグラスをスッと差し出すと、井神くんは自然に水差しを手に取り、無言でグラスを満たす。食後のコーヒーが運ばれてくると、玲茄は当然のように井神くんのソーサーに手を伸ばし、ミルクを彼好みの絶妙な量だけ注いでかき混ぜてから、静かに彼の前に戻す。
それは「仲が良い」なんていう次元の話じゃない。
お互いの呼吸、思考、細胞のすべてが完全にリンクしているかのような、"阿吽の呼吸"。
(……うちは、なんなんだろう)
目の前で繰り広げられる、二人の世界。
さっきまで井神くんに優しくされて舞い上がっていた自分が、なんだか滑稽で惨めなものに思えてきた。
うちはただ、二人の美しい絵画を外側から眺めているだけの"観客"でしかないんじゃないか。そう思わされるたびに、嫉妬で胸が張り裂けそうになった。
やがて、夕暮れ時。
空が茜色に染まる頃、私たちは駅前へと戻ってきた。
「今日は楽しかったわね、慶」
「う、うん! すっごく楽しかった! 玲茄、誘ってくれて本当にありがとう!」
うちは、胸の中に渦巻くモヤモヤを隠して、精一杯の笑顔を作った。
嘘じゃない。楽しかったのは本当だ。でも、それ以上に、息苦しかった。
「それは良かったわ」
玲茄は満足そうに微笑むと、ふと、井神くんの方を振り返り、そして再びうちを見た。
「それじゃあ……次は、凉と慶の"二人"でお出かけね?」
「――――えっ?」
うちは、自分の耳を疑った。
「ふ、二人で……? うちと、井神くんが……?」
「ええ。せっかくなんだし、もっと凉のことを知ってほしいもの」
玲茄は悪戯っぽく笑い、井神くんの腕にそっと手を添えた。
驚いて井神くんの顔を見ると、彼は嫌がる素振りを見せるわけでもなく、ただ静かに「ああ、構わないよ」と頷いたのだ。
(……え? なんで……?)
嬉しいはずなのに。ずっと望んでいた、井神くんとの二人きりのお出かけなのに。
うちの背筋に、冷たい水滴が垂れたような違和感が走った。
だって、おかしい。
あんなに絶対的な繋がりを持っている玲茄が、どうして自分の"特別"な男の子を、うちみたいな女の子と二人きりで遊ばせようとするの?
そして、井神くんはどうして、玲茄の決定に何一つ疑問を持たずに従うの?
「ふふっ。じゃあ、日程はまたあとで決めましょうね。またね、慶」
思考がフリーズしているうちを置いて、玲茄は艶やかな笑みを残し、井神くんと共に一度も振り返ることなく歩き去っていった。
遠ざかる二人の背中を見つめながら、うちは自分の心臓が、恐怖と期待で激しく早鐘を打っているのを感じていた。




