休日の境界線
――side. 井神 凉――
土曜の朝。
カーテンの隙間から差し込む春の光が、寝室の空気を薄白く染めている。
目を覚ますと、家の中はまだ深い静寂に包まれていた。
昨夜、俺の部屋に泊まったのは玲茄だ。
「……起きてる?」
寝返りを打った拍子に、細い腕が俺の胸に回ってくる。無意識の、しかし完全に刷り込まれたいつもの癖。
「まだ」
「そっか」
それだけを交わし、また二人で目を閉じる。
シーツの中で混ざり合う素肌の熱が、昨夜の余韻をゆっくりと引き出していく。
平日であれば、ここで一度幕引きだ。
各自が一度自分の家へ帰り、身支度を整えてから"四人"として再合流する。
でも今日は――休日だ。
休日の朝は、誰も、どこへも帰らない。
――
午前八時前には自然と全員が合流し、リビングに揃う。
「おはよー」
「朝ごはんどうする?」
「昨日の残りのスープ、温めますね」
誰が泊まっていようと、後から来た二人が遠慮するような素振りはない。
ここには「お邪魔します」という他人行儀な壁すら、とうの昔に消滅している。
朝食と片付けが終わると、リビングのソファは自然な重力に従うように埋まっていく。
俺の左右に、あるいは足元に、誰かの体温が吸い付いてくる。
茉依は俺の右隣。
悠希はその反対側。
玲茄は俺の足の間に背中を預ける形で床に座り、俺の膝を枕にしている。
「……近くないか?」
「休みだし」
「当然です」
それは論理的な理由にはなっていなかったが、この空間では絶対の真理として全員が納得する。
休日の俺たちは、距離を測らない。
視線が合えば、磁力に引かれるように顔が近づく。
唇に触れるだけの、ついばむような軽い口づけ。
深くはしない。けれど、呼吸をするのと同じように、あるいは皮膚の一部であるかのように何度も繰り返す。
「ねえ、ちょっと出かけましょうか」
「どこ行くー?」
「とりあえず、駅の方に行きましょう」
行き先が決まれば、全員で一斉に動く。
――
明確な目的地があるわけでもなく、ただ四人で街をブラブラと歩く。
どの店へ寄るのも、当然のように四人一緒だ。
玲茄はアクセサリーや化粧品が並ぶ、年頃の女の子らしい華やかな棚を。
茉依は新作のスイーツや季節限定のドリンクがある、甘い香りのする場所へ。
悠希は本屋や文房具屋の、少し静かな一角を好む。
趣味も目的もバラバラだ。なのに、誰一人として"別行動"という選択肢を口にすることはない。
「あ、クレープ食べたい」
「半分こね。はい、あーん」
「おいしー! 凉くんも食べる?」
今は茉依リクエストのクレープを、四人で分け合いながら歩いている。
「……え、なに? 撮影?」
「モデルかなんかじゃないの? カメラマンどこ?」
通りすがりの声が、春の風に乗ってはっきりと耳に届いた。
反射的にスマホを構える人間。周囲をきょろきょろと見回し、見えないカメラを探す人間。
――もちろん、なにもない。
ただ四人で歩き、ただ笑い、ただ一緒にいるだけ。
周囲から見れば虚構にしか見えないその光景も、俺たちにとっては、休日を構成する景色の一部でしかなかった。
――
夜になり、風呂の時間になる。
休日のルールは明確に決まっている。
三人でじゃんけんをして、勝った一人が俺と入る。
平日のような"順番"ではない。純粋な運だ。
湯気の向こうで、触れ合う肌と、湿り気を帯びた視線。
それ以上のことは、言葉にしない。
けれど、閉ざされた空間で何一つ起きていないわけがないことだけは、全員が知っている。
深夜になれば、俺の部屋に布団が敷き詰められる。
明かりは、いつもより早めに消される。
誰がどこの位置にいるかなんて、暗闇の中ではもう意味を持たない。
触れていることが、前提。
肌に感じるぬくもりが、平日よりも多く、重い。
いつにもまして湿気を帯び、離れられないほどに熱い。
日曜日の昼も、夜も。休日はそうして、あらゆる境界線が消失したまま、深く甘く溶けていく。
――
月曜日の朝。
だんだんと空が白み始めてきた頃。
全員が示し合わせたように起き出し、それぞれの家へ帰る準備を始める。
それが、日常へと戻るための"リセット"だ。
「じゃ、また後で」
「じゃあねー。お弁当、忘れないでよ?」
「今日は小テストがありますからね」
玄関で一度別れ、"戸籍のある場所"へと、一時的に帰還するのだ。
数時間後。また、四人で並んで登校するために。
平日は、少しだけ"外側の社会"に適合させている。
休日は、完全に"内側の世界"だけで完結している。
でも――
どちらも、偽りのない俺たちだ。
何も変わっていない。
この均衡が、俺たちの世界を形作っている。




