指導する理由が、見つからない
――side. 担任教師――
私立折崎高校、二年A組。
このクラスの担任として教壇に立つようになってから、三週間が経過した。
教室は今日も、朝特有の埃が光の粒となって舞うような、浮き足立った喧騒に包まれている。
――どこにでもある、ありふれた高校の風景だ。
だからこそ、その"異質さ"が際立って網膜に焼き付いてしまう。
井神凉。
宮藤玲茄。
そして、中里茉依と悠希の姉妹。
意識を逸らそうとしても、視界の端でその四人の存在感が異様な引力を放っている。
座席は離れている。授業中に私語を交わすような真似もしない。
学習態度、成績、生活指導。どの項目においても彼らは瑕疵のない優等生だ。
それなのに――あの四人が存在する座標だけ、空間の"密度"が決定的に異なっている。
示し合わせているわけではないはずなのに。
ノートのページを捲るタイミング、ペンを置く微かな音、ふとした瞬間に交差する視線の軌道。それらが、おそろしく精密な歯車のように噛み合っている。
(……無意識の同調だとしたら、あまりにも不気味ね)
教師として注意する名目など、どこにもない。
それでも、私の直感が胸の奥で、絶え間ない警鐘を鳴らし続けていた。
私は彼らと出会ってまだ日が浅い。昨年は三年生を受け持っていたため、この関係性がどのような過程を経て"構築"されたのかを知らない。
だが、彼らのその姿は、若さゆえの"未完成な輝き"ではなく、精巧に作られた"造花"のように見えてしまうのだ。
――
昼休みの職員室。
事務書類に目を通していると、背後から声をかけられた。
「二年A組の様子はどうですか。馴染めそうですか」
声の主は、昨年彼らの担任を務めていた学年主任だった。
「……はい。特に問題はありません」
即答だった。客観的な事実として、それは間違いではないからだ。
「例の四人も、ですか」
「……はい。今のところは」
私の返答を聞き、学年主任は疲労と諦観が混じったような溜息を零した。
「やはり気になりますか。彼らを隔てる、あの透明な壁のようなものが」
「……正直に申し上げれば。距離感も、男女という組み合わせも。固定されたあの四人だけが、クラスの中に……例えるなら、独立した別の"王国"を作っているように見えます」
学校という集団生活の場において、過度に強固な閉鎖集団は、時として"指導対象"となり得る。
だが、学年主任は周囲を憚るように声を潜め、静かに諭してきた。
「一つだけ、経験から言っておくとですね」
「はい」
「彼らの領域に、深入りしようとしてはいけません。……それを試みると、やがてクラス全体が見えなくなります。それが、一番恐ろしい」
忠告というよりは、自分自身に言い聞かせるような――それは、かつて彼らと向き合おうとした人間の"実感"なのだろうか。
「……そういうものだと思うしか、ないのでしょうか」
「ええ。もしどうしても介入が必要になった時は、学級委員長の白峰さんか、綿部くんに相談するといいでしょう。彼らだけが、あなたの言う"王国"の国境を越えるための"通行証"を持っているようですから」
――
午後の授業。
グループワークの時間が訪れる。
「今日は、自由にグループを組んでください」
その指示をトリガーにして、教室内が椅子を引く音と共に流動を始める。
四人は、コンマ一秒の迷いもなく、ひとつの班へと収束した。
誰も異論を挟まない。誰もその輪に干渉しようとしない。
周囲の生徒たちもまた、それを"世界の理"であるかのように無意識に受容し、彼らを迂回して自分たちのコミュニティを形成していく。
役割の分担は、流れるように滑らかだった。
誰かが自己主張をして突出することもなく、誰かが沈黙して取り残されることもない。
(……理想的すぎて、隙がない)
成績は上がる。クラスの秩序を乱すこともない。
管理する側からすれば、これほど手のかからない賞賛すべき生徒たちはいない。
それにもかかわらず、正体不明の不気味な感覚が、私の胃の奥底に静かに溜まっていく。
――
放課後。
「行こっか」
「はい」
「うん!」
帰りのホームルームが終了すると、四人はいつものように連れ立って教室を後にした。
――なぜ、彼らは崩壊しないのか。
高校生の人間関係など、もっと不安定で、不格好なはずだ。
感情が理性を凌駕し、距離感を見誤り、どこかで摩擦が生じる。
しかし、あの四人からは、そうした人間らしい"ノイズ"が一切聞こえてこない。
ふと、以前テレビで見た造園のドキュメンタリー番組を思い出す。
徹底的に管理された温室の中で、完璧な温度と湿度を与えられ、美しく狂い咲く毒花。
彼らを見ていると、時折、その温室特有の息が詰まるような甘い芳香が漂ってくる錯覚に陥る。
「……考えすぎ、よね」
自嘲気味に首を振り、思考のループを断ち切る。
ふと、窓越しに校門付近を見下ろすと、先程教室を出た四人が、ひと塊になって立ち話をしていた。
想像以上に長く、彼らのことを考えてしまっていたらしい。
職員室へ戻ろうと窓から視線を剥がしかけた、まさにその瞬間だった。
井神くんが制服のポケットからスマートフォンを取り出し、画面に目を落とした。
――その刹那。
まるで外部からのコマンドを受信した精密機械のように。
四人の間に漂っていた"親密な熱"が、ふっと音もなく霧散したのだ。
一瞬前までの温かな雰囲気は消え失せ、彼らはただそこに等間隔で配置されただけの"無機物"へと変貌した。あまりにも鮮やかで、異様な切り替えだった。
直後、井神くんがスマートフォンをポケットに仕舞うと、その不気味な空白が幻であったかのように、再び元の温かな空気が四人の間に充満した。
「……」
私は明日も、教壇に立つ。
しかし、この胸の内側に燻り続ける得体の知れない違和感の正体が、私のただの"考えすぎ"であることを――願わずにはいられなかった。




