夜に残るもの
――side. 井神 凉――
――別荘。四人の部屋。
部屋の灯りを落とすと、窓から差し込む青白い月明かりが、静かに畳を満たしていく。
温泉から戻ったあと、俺たちは示し合わせたわけでもないのにリビングを離れ、早々にこの部屋へ集まっていた。
四枚の布団が隙間なく敷き詰められ、一つの大きな島のようになっている。その上で俺たちは、いつものように寄り添い合っていた。
「……楽しかったねー」
静寂の中、最初に口を開いたのは茉依だった。
「やりたいこと、全部詰め込んだからね」
「欲張りなくらい、全部やりましたね」
玲茄と悠希も、眠りに誘われるような微かな声で続く。
「海も、街の散策もよかったけどさ」
俺は枕に頭を預け、薄闇に沈む天井を見つめた。
「……別荘で、こうしてみんなでだらだらしてる時間も好きだったな」
俺の言葉に、三人が暗闇の中で小さく頷く気配がした。布団がすれる乾いた音が響く。
電車、別荘、波の音、食べ歩いた街並み、そしてあの湯気。
振り返れば、この二日間のどの記憶も、鮮明な色と熱を持っている。
「……でも、優花たちには、少し気を遣わせちゃったかしら」
玲茄が、ふと独り言のように零した。
それは今日まで誰もあえて言葉にしなかった、けれど心の隅で確かに感じていたことだった。
一瞬だけ、夜の空気が小さく揺れた。
――side. 中里 茉依――
――あ。
温泉での、玲茄のあの言葉。
ゆーかちゃんが、ほんの一瞬だけ言葉を飲み込んで、踏みとどまってくれたあの間のこと。
「でもさー」
私は、その微かな揺らぎを優しく縫い合わせるように声を出す。
「ゆーかちゃんや、りゅーいちがああして自然に受け入れてくれてるから、私たちもこうして気楽に楽しめたんだと思うんだよね」
誰に向けたわけでもない。ただ、夜の静寂にそっと置くような言葉。
「……うん。そうね」
「……そうですね。本当に」
玲茄と悠希が、深く、噛みしめるように頷いたのがわかった。
「あの二人が、私たちの友達でいてくれてよかったよ」
その一言で、話題はそれ以上深まることはなかった。
私は布団に潜り込みながら、窓の外の月を見つめる。
れなっちが心配したことも、ゆーかちゃんが踏み込まなかったことも。
きっと、お互いがこの絶妙な"距離"を大切に思っていて、間違いたくないって願ってくれている証拠だから。
全部を言葉にしなくたっていい。
りゅーいちとゆーかちゃんが、この距離で、一緒に笑ってくれている。
それだけで、今は十分すぎた。
――side. 中里 悠希――
二人が付き合い始めた時期。
――中一の終わり。
それは、私たちが今の形になった頃と、ほとんど同じ時期。
あの頃の私は、自分の内側に閉じこもることで精一杯だった。
自分の足元と、凉くんの影しか見えていなくて、周りの景色を見る余裕なんて欠片もなかった。
見ていなかったのか、見ないように蓋をしていたのか。
あの時の私の世界は、この四人だけで完結していた。
「……」
小さく、熱を持った息を吐き出す。
けれど、今は違う。
今は、誰がどこに立っていて、誰が手を差し伸べてくれているか、ちゃんとわかる。
あの二人が、どんな覚悟で私たちの隣に立ってくれているのか。今の私なら、想像できる。
「……本当に、二人が友達でいてくれて良かったです」
茉依と同じ言葉が、無意識に唇から零れていた。
暗闇の中、隣にいる誰かの肩がそっと触れる。その微かな体温の繋がりが、今の私にはとても誇らしかった。
――
いつもの並び。いつもの距離。
四人はそれ以上言葉を交わさず、互いの静かな鼓動を感じながら、自然に深い眠りへと落ちていった。
――side. 白峰 優花――
寝る前にちょっとだけ顔を出したときの、四人の部屋の光景。
そこには、同じデザインのノートを広げ、ほとんど同じ速度でペンを走らせる三人の女子の姿があった。
聞けば、それは"交換日記"のようなものだと言っていた。
そこに井神くんの姿は見えなかったけれど、彼女たちがあの狭い世界で、今日という日の思い出を大切に閉じ込めようとしている姿は、どこか神聖で、一枚の絵画のようで……ほんの少しだけ切なかった。
「……今日さ」
自分たちの部屋に戻り、布団に入ってから、隆一の広く温かい背中に声をかけた。
「温泉でね、ちょっとだけ三人と話したんだ」
内容の詳細は言わなかった。
踏み込みそうになったこと。けれど、踏み込まなかったこと。
その空気感だけを、背中越しに伝えた。
「なるほどな」
隆一は、短く、けれどすべてを察したように答えた。
「この旅行は、四人に気兼ねなく楽しんでもらいたかったのはもちろんなんだけど」
暗闇の中で少し間を置いて、続ける。
「ボクたちも……四人と同じ時間を、ただ過ごしたかったんだと思う。特別な四人としてじゃなくて、ただのクラスメイトとして。普通の学生生活の思い出を、ちゃんと共有したかったんだ」
腫れ物に触るような、過剰な特別扱いじゃなく。
世界の端っこに切り離して、遠巻きに眺めるでもなく。
ただ、一緒に笑って、一緒に海を見て、隣を歩きたかった。
「……これで、よかったよね」
問いかけると、隆一は寝返りを打ち、ボクの身体をそっと自分の胸元へ引き寄せた。
「ああ。よかった」
低く、耳の奥を震わせるような、安心させる声。
隆一の力強い腕がボクをしっかりと抱きしめ、そのまま静かに、唇を重ねてきた。
もう、余計な言葉はいらない。
安堵と、愛おしさと、ほんの少しの切なさが混じって、自然に目尻から涙があふれてきた。
窓から差し込む月の光が、寄り添う二人を優しく、静かに照らし続けていた。




