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湯の中の距離

 ――side. 白峰 優花――


 ――女湯。


 暖簾をくぐった瞬間、重い湿り気を帯びた空気と、かすかな硫黄の匂いが鼻先を撫でた。


 脱衣所で服を脱ぎ、浴場へ一歩足を踏み入れる。

 濡れた石の床。高い天井に反響する、いくつもの水の音。


 湯気に煙る空間の中で、周囲の視線がふわりとこちらに流れてくるのを肌で感じた。

 理由は、すぐに理解できた。


 ボクの隣を歩く、三人だ。


 ――正確には、三人の圧倒的な造形美と、その立ち居振る舞いだ。


 玲茄、茉依、悠希。

 湯気越しでもはっきりと分かるほど整った輪郭。無意識のうちに揃ってしまう歩幅と、互いの指先が触れそうなほど近い距離。

 "綺麗"という言葉だけではこぼれ落ちてしまう何かが、そこにはあった。

 他人の視線を引き寄せて離さない、引力のような磁場。


 けれど、本人たちはそれに気づいていながら、呼吸をするのと同じくらい当たり前に受け流している。

 それは、いつもの光景だった。


「温泉に来るの、久しぶりだねー」

「……うん。のぼせないように気をつけないと」


 茉依が何でもない調子で言い、悠希が少しだけ頬を緩める。

 四人並んで洗い場に腰を下ろすと、泡立てた石鹸の香りが湯気に紛れて広がった。


「今日、さすがに歩きすぎだよー」

「足、ちょっと張ってますね」

「あとで、凉にマッサージしてもらお」


 そんな、どこにでもある取り留めのない会話。

 けれど、鏡越しに見える彼女たちの距離感は、ボクの知る"友達"のそれとは決定的に何かが違っていた。



 ――


 身体を流し終え、四人で大きな湯船に向かう。

 湯に足を入れた瞬間、足先から、熱がじわりと染み込んできた。


「はぁ……」

「しみわたるー……」

「溶けちゃいそうです……」


 四人、横一列。

 三人の肩は、磁石が吸い寄せられるように自然に触れ合っている。

 ボクと彼女たちの間には、ほんの数センチだけ、空白が空いていた。



 ――


「……そういえばさー」


 肩まで湯に浸かりながら、茉依がふと思い出したように首を傾げた。

「ゆーかちゃんとりゅーいちって、いつから付き合ってるんだっけ?」


 その瞬間、三人の視線がボクに集まった。

 そういえば、彼女たちに馴れ初めを詳しく話したことはなかったかもしれない。


「中一の終わり頃かな。告白されたのは」

「あれ? そんな時期だったんだ。もっと前だと思ってたよ」

「意外ですね」


 三人が顔を見合わせる。

 しかし、玲茄が次に口にした言葉で、ボクの思考は一瞬だけ止まった。


「私たちと、あんまり変わらない時期だったのね」


 軽い、羽毛のような響き。

 けれどその言葉の裏には、深淵のような重みが隠れている気がした。


 "私たち"。


 どう、とらえるべきなのだろうか。


 一瞬の逡巡。

 どう言葉にするか迷っていると、茉依が次の話題を振った。


「……二人はさ、喧嘩とかしないの? 学校だと、いつも仲良しに見えるけど」


 ボクは少しだけ苦笑いをして、湯面に浮かぶ気泡を見つめた。


「……するよ。普通に。意見が合わなかったり、言い方が気に入らなかったりしてさ」


 そう答えると、三人は不思議な生き物を見るような目で顔を見合わせた。


「そうなんですね」

 悠希が、小さく声を漏らす。

「私たちは、そういうの、ないですね」


 さらっとした、湿度を伴わない肯定。

 そこに嘘や強がりがないことは、横に並んでいれば嫌でも伝わってくる。


「恋愛的な意味での"衝突"なら、って話だけど」

 玲茄が、補足するように目を細めた。

「うん。そういうのとは、ちょっと違うからねー、私たちは」


 茉依も、深く頷いた。

 ボクは、その言葉の先に手を伸ばしそうになって――けれど、無意識のうちに踏みとどまった。

 踏み込んではいけない。いや、この薄い膜のような湯気の向こうには、ボクの知らないロジックがある。


「……井神くん、優しそうだもんね」


 代わりに、差し障りのない言葉を置いた。

 目線を三人に戻すと、玲茄とだけ、一瞬、深く目が合った。

 三人はそれぞれ何かを反芻するように黙り込み、そして誰からともなく首を振った。


「優しさに甘えてるってわけじゃないけれど」

「りょーくんは、ただ、受け入れてくれてるだけだから」

「私たち三人も、それでいいと思えるんです。それ以外、いらないから」


 そこから先の言葉は、形を成さないまま湯気に溶けて消えた。

 ボクは、その言葉の本当の意味を、喉の奥で噛み締める。


 全部を知ることはできない。

 けれど、彼女たちの"核"に、ほんの少しだけ触れられた。そんな実感が、じんわりと胸を温めた。



 ――


 湯から上がり、髪を乾かして着替えを済ませる。

 脱衣所を出るとき、また周囲の視線が集まるのを感じた。


 けれど、今はもう不思議と気にならなかった。

 ロビーへ出ると、少し離れたベンチで隆一と井神くんが並んで待っているのが見えた。


「お待たせ」

 声をかけると、二人は鏡合わせのような動作で同時に顔を上げた。



 ――帰り道。


 火照った身体に、夜の空気が心地いい。

 六人で並んで歩き出す。並び方は、いつも通り。


 四人と、二人。


 けれど、その間を流れる空気は、別荘を出る前とは少しだけ違っているように感じた。


 全部を理解し、同化する必要なんてない。

 ただ、隣に並んで歩けるという事実だけで、今は十分だった。


 空から降り注ぐ月の光は、夜道に伸びる六つの影を、そっと一つに繋ぎ合わせていた。

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