湯気の向こう側
――side. 井神 凉――
朝。
朝食を終えたダイニングテーブルで、今日の予定を軽く共有する。
予定といっても、おおまかな観光スポットをいくつか拾い上げ、あとは現地に着いたら自由行動という緩い方針だ。
外に出て、海沿いの道を進む。
視界の端に映る砂浜は、今日も朝から変わらず賑わいを見せている。昨日、俺たちもあの喧騒の中に溶け込んでいたはずなのに、今はどこか遠い世界のことのように思えた。
――
目的地周辺は、観光地というだけあって人が多い。
予想はしていたが、すれ違うたびに様々な言語が飛び交い、カメラを構える外国人観光客の姿が目立つ。
「外国の人に話しかけられたら、悠希か優花に任せるわね」
「右に同じー! って玲茄が一番英語得意じゃん!」
「スワヒリ語だけ私担当します」
「それ、ボクの出番しか回ってこないじゃないか…」
そんな冗談みたいなやり取りをしながら、六人は人の流れに乗りつつ、散策を開始した。
土産物屋のひしめく通り。
路地裏にひっそりと佇む小さなカフェ。
海を一望できる展望台へ続く、長い石畳の坂道。
明確な目的地があるわけではない。
ただ、気になった場所にふらりと立ち寄って、それぞれ好きなものを見て、買って、食べる。
歩くときの"四人と二人"。
立ち止まったときの"四人と二人"。
人波を避けるように分離し、また自然と一つの塊に戻る。流れるように入れ替わるその境界線の明滅を、俺は無意識のうちに目で追っていた。
昼を過ぎる頃には、足も、頭も、心地よい疲労感に包まれていた。
――
夕方前まで観光を楽しみ、一度別荘へ戻るために海沿いの道を引き返す。
暴力的に照りつけていた日差しは少し和らぎ、空の色が、ゆっくりとオレンジ色に変わり始めていた。
――夜。
これから向かうのは、歩いて十五分程の距離にある温泉施設だ。
各自準備を済ませ、玄関に再度集合する。
「隆一、ふんどしは持ったか」
「井神くん、ボクがちゃんと持っているから問題ないさ」
「…お前らほんとノリいいね」
そんな軽いやり取りのあと、再び夜の風の中へ出た。
――
温泉は、想像以上に広々としていた。
木の香りと、白く立ち込める湯気が、視界を柔らかくぼやかしている。
男湯と女湯の暖簾の前で、短い言葉を交わす。
「じゃあ二人とも、またあとでね」
「よーし茹だるぞー」
「……使い方間違ってますよ」
「先に上がった方が、休憩所で場所を取っておこう」
男湯の暖簾をくぐり、広い脱衣所で服を脱ぐ。
隆一の見事に仕上がった身体は、やはりこんな場所でも目を引く。本人は鏡に映る自分の筋肉に向かって、満足げに軽くポーズを決めていた。
「……相変わらずだな」
俺が思わず呆れたように言うと、隆一は笑いながら大きな肩をすくめた。
身体を軽く流してから、広い露天の湯に浸かる。
熱すぎず、ぬるすぎず。
肩までゆっくりと沈んだ瞬間、張り詰めていた身体の芯の力が、お湯の中へとじんわり溶け出していった。
――side. 綿部 隆一――
白く濁った湯気の向こう側で。
凉が湯船の縁に頭を預け、ぼんやりと宙を見つめている。
あの顔は、頭の中で何か考えを巡らせているときの顔だ。
こいつは時々、ああいう顔をする。
凉を見ていると、ふと中学の頃を思い出す。
一年の時は、こいつとの接点はまったくなかった。
クラスも違ったし、廊下ですれ違った時に「少し目立つイケメン野郎がいるな」と思う程度。
あの四人の中で最初に接点があったのは、悠希だった。
といっても、当時はまだ付き合っていなかった優花と悠希がよく一緒にいたから、俺がその輪に必死に混ざろうと話しかけていただけだが。
一年の終わり頃。悠希がしばらくの間、学校を休んだ。
心配になって優花に聞いても、詳しい理由はわからないという。
ただ、休み始める直前に『彼女が大切にしていた祖母が亡くなった』という話だけは聞いていた。
二週間ほどして、悠希は登校してきた。
その日からだ。あの四人が、今のあの形になったのは。
今と何も変わらない、あの"四人だけの世界"。
当然、学校では噂になった。
四人がずっと一緒にいることへの好奇の目や、根も葉もない憶測。
そんな声が飛び交うなか、春休みに入る前日、俺は優花に告白し、恋人になった。
二年になり、クラス替えで、四人と俺たちが一緒のクラスになった。
現在、高校でも続いているこの六人の組み合わせは、そこから始まっている。
あいつらの学校生活は、いたって真面目だ。
成績も優秀だし、俺たち以外の友人関係もそれなりに良好。
ただ、"四人"という異質な構造だけが、日常の中で静かに際立っていた。
最初こそ、俺も少し気にはなっていた。
ある時、優花にそのことを軽く尋ねたこともある。
『本人たちがいいなら、それでいいじゃないか』
優花のそのあっさりとした一言で、俺の心は決まった。
優花がそう言うなら、間違いねえ。
そこからは自然と仲良くなり、今ではこうして六人で旅行に来るまでの関係だ。昨日の海でのナンパ野郎の一件のように、目配せだけで通じ合える、かけがえのない友人。
湯の中で、手を軽く握り、開く。
凉を含めたあの四人の関係性は、客観的に見て確かに異常だ。
普通じゃない。世間から見れば、説明も、理解もされにくいだろう。
境界線のない四人と、線を引きあった俺たち。
俺にだって、あいつらのすべてを理解するのは無理だろう。
でも――。
俺は、ああいう形で、ただ静かに存在しているあいつらが、嫌いじゃない。
むしろ、本当にいい友人を持ったと思っている。
それで、十分じゃないか。
――
「……どうかしたか?」
いつの間にか、凉が視線をこちらに向け、俺の方をじっと見ていた。
俺は小さく鼻で笑って、首を振る。
「なんでもねぇよ。……ちょっと、のぼせたかもな」
涼はそれ以上何も聞かず、再び視線を宙に向けた。
湯気の向こうで、浴槽から溢れ落ちる水の音が、規則正しく響いている。
俺は、その心地よい音に身を預けるように、肩まで深く湯に沈んだ。




