第九章・エピローグ
――side. 井神 凉――
どれくらいの時間、あの日々を思い返していただろう。
窓の外は、まだ深い夜の底にある。
中学一年の春から、今日まで。
"普通の中学生"だった俺たちが、今の形に行き着くまでの過程が、記憶の底から浮かんでは、静かに沈んでいく。
「……眠れないの?」
暗闇の中に、不意に声が落ちた。
振り返ると、布団の中から半身を起こした玲茄が、どこか窺うような目で俺を見ていた。
「起こしたか?」
「ううん。……なんとなく、目が覚めたの」
玲茄はそう言いながら、音を立てないようにそっと布団を抜け出し、俺の足の上に腰を下ろした。
隣の布団では、茉依と悠希が静かに眠ったままだ。
「ちょっと、昔のことを思い出してた」
「……昔?」
「中学の頃。俺たちがまだ、こうじゃなかった頃のことを」
玲茄は少しの間、黙っていた。
俺の首筋に、顔を埋めたまま。
「どこまで?」
「最初から。グループ学習のこととか、初詣のこととか……おばあちゃんが亡くなったあとのこととか」
俺がそう言うと、玲茄は俺の背中に回した腕の力を強めた。
「……懐かしいわね」
「ああ。あの頃の俺、今より全然ガキだったと思う」
「今も、大概よ」
静かに笑う声が、暗い部屋に溶けた。
俺もつられて、少しだけ笑った。
しばらく、二人で抱き合ったまま時間だけが過ぎていく。
深夜の静寂の中に、茉依と悠希の柔らかな寝息だけが続いている。
「なあ、玲茄」
「なに?」
「お前が最初に、俺に話しかけてきたんだよな。あのグループ学習で」
「……それ、覚えてるんだ」
「覚えてるよ。全然、引かなかったから」
「あなたも、引かなかったでしょう」
「まあな」
また、短い沈黙。
首筋に伝わる吐息が、ほんの少し温かい。
「ねえ、凉」
「ん?」
「本当に、後悔、してない?」
「……何を?」
「今の、この形になったこと」
問いかけは静かだったが、その奥に、何か真剣なものが潜んでいた。
俺は少しだけ考えてから、正直に答えた。
「してない」
「……そう」
「玲茄は?」
玲茄は今度こそ、長い時間黙っていた。
返事を待つ間に、窓の外の夜がほんの少しだけ白みを帯びてきた気がした。
「……してないわ」
その声は、いつもより少しだけ低かった。
俺はそれ以上、何も聞かなかった。
玲茄も、それ以上は何も言わなかった。
ただ二人でしばらく、夜が明けていくのを黙って見ていた。
「……もう少ししたら、春ね」
「ああ。三年生だ」
高校最後の一年。
四人が同じ場所へ進むための、絶対に踏み外せない、試練の年。
「なんとかなるよ」
「当然ね」
玲茄は当たり前のようにそう言って、体重を俺に委ねた。
その重みが、妙に心地よかった。
「……凉」
「ん?」
「このまま、少し眠らせて」
「……ああ。おやすみ」
目を閉じた玲茄の寝息が、やがて穏やかになっていく。
俺はその重みを感じたまま、夜の終わりを見つめていた。
夜明けまで、もう少しだ。
――side. 宮藤 玲茄――
凉の首筋に顔を埋めたまま、私は目を閉じていた。
眠ってなんかいない。ただ、このままもう少しだけ、ここにいたかった。
凉の体温が、伝わってくる。
茉依と悠希の、柔らかな寝息が聞こえてくる。
窓の外が、薄く白み始めている。
後悔していないか、と凉は聞いた。
私は、していないと答えた。
本当のことを言えば――後悔しているかどうかなんて、もうわからない。
ただ、欲しかったものを手に入れた。
ただ、ここに居場所を作った。
それだけのことなんだと、ずっとそう思ってきた。
けれど――あのときの涙の理由が、今でもわからなかった。
私はそのまま、静かに息を吐いた。
春が来る。
高校生の四人で迎える、最後の春が。
そしてその先に、凉が一人で背負っている"約束"のリミットが、静かに口を開けて待っている。
私は、その"答え"を強制するつもりはない。
ただ――その先で、凉がどんな顔をしているのかを。
この楽園が、どんな形で完成するのかを。
私はずっと、そばで見ていたいと思う。
私には、その結末を見届ける義務があるから。
第九章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
幕間エピソードを挟んだのち、第十章を開始します。
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