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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
第九章 僕らが"普通"を捨てた日々
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優しい居場所の"作り方"

 ――side. 宮藤 玲茄――


 今から語るのは――

 ただ私が、欲しいものを手に入れるために、静かに、丁寧に、一つずつ積み上げていったことの記録。


 振り返れば、すべての"部品"は最初から揃っていた。



 ――


 凉は、三人の女の子を"救った"。


 凉の目に映る自分の姿を、私はずっと観察していた。

 おばあちゃんの訃報に崩れ落ちた双子を、彼はとっさに支えた。その時の凉の顔は、痛みに駆られた純粋な衝動で満ちていた。

 けれど、茉依を和室で抱き止めた後の横顔は、違った。

 悠希を深い暗闇の底から救い出した後の表情も、違った。

 そして雨の夜、私を家に招き入れた瞬間の目は――もっと、違った。


 最初は温かい、無垢な"善意"だった。けれど、立て続けに三人を助けるうちに、彼の中で何かが変質していった。

 "誰かを救うことができる"という自信が積み重なるたびに、その裏側でひっそりと育っていったもの。

 それは"助けることで得られる優越感"――凉自身も気づいていない、底なしの渇望だった。


 私にはわかっていた。彼はもう、その感覚を手放せない。

 だから私は、その渇望を正確に育てることにした。



 ――


 双子のことを、私は井神くんに任せ、アシストに徹することにした。


 おばあちゃんが亡くなった知らせを聞いた時、私が最初にしたのは、双子の精神状態の観察だった。

 茉依ちゃんは辛うじて登校できているが、仮面の下で崩壊が進んでいた。悠希ちゃんは自室に閉じこもり、心を閉ざしている。


 私はすぐに自分が動けば、二人を元気づけてあげられる自信があった。

 私が茉依ちゃんに寄り添ってあげる。悠希ちゃんの様子を見てあげてほしい、とご両親に連絡する。


 でも私は、そうしなかった。


 井神くんが動くべきだった。

 茉依ちゃんの別室登校を知っても、私が「昼休みまで待って」と引き止めたのは、あの和室の場面を、二人の間だけで作るためだった。


 昼休みのチャイムと同時に立ち上がった井神くんを、私は和室の前まで連れて行き、「私は入らないわ」と告げ、彼一人を中に送り込んだ。

 そして引き戸が閉まった後、私は廊下にとどまった。


 数分と経たないうちに、養護教諭が廊下を歩いてきた。

「あら、宮藤さん。中里さんと、誰か会ってるの?」

「はい。茉依ちゃんと仲のいい友達が中にいて……今、二人でお話しているところなんです。もう少しだけ、このままにしておいてあげてもいいですか」

 私がそう言うと、養護教諭は「そう、わかった、終わったら声をかけてね」と踵を返した。


 引き戸の向こうから、くぐもった慟哭が微かに聞こえていた。


(これで、後戻りはできなくなった)


 私は静かに、廊下の壁に背を預けた。

 井神くんは今、茉依ちゃんを抱き止めている。彼女の涙を、彼の胸で受け止めている。

 「僕が守るよ」と、きっと言っている。

 その言葉は、一度口にしてしまえばもう取り消せない。井神くんという人間は、そういう人だ。自分が発した言葉の重さを、誰よりも真剣に背負い続ける。


 双子は井神くんに縋りつき、井神くんは双子を手放せなくなる。

 その関係は、もう元には戻れない。



 ――


 次に私がすべきことは、双子の"特別"に割り込むことだった。


 だが、ここで想定外のことが起きる。井神くんが双子の家に通い詰める日々が続き、急速に距離が近くなってしまった。

 このまま放置すれば、井神くんと双子の中での私の優先順位は限りなく低くなる。双子と井神くんの間には、すでに「助けた、助けられた」という取り消しのきかない絆が結ばれていたからだ。


 私には、それに対抗しうる"カード"が必要だった。


 そこで、智里さんから授かった助言――『義父の行動を記録しなさい』という行動を、私は逆向きに使った。

 記録することで私の心が落ち着いたのは事実だ。けれど、それを一切母に悟られないよう隠すのではなく、あえて目につくように行った。

 ノートを開いたままにした。盗み見ず、じっと見つめた。観察対象である義父への態度が、少しずつ変わっていくのを母に気づかせた。


 母は、義父に対する私の態度を疎ましく思っている。

 新しい生活を守るために「問題を起こすな」と願う母にとって、娘が義父を監視し、記録し続けることは、家庭の平和を脅かす行為に映ったはずだ。

 私は沸点に達するまで、ゆっくりと、丁寧に、薪を積み続けた。


 そして、ついにその夜がやってきた。


 母の手が頬に触れた瞬間。ああ、今なら行ける。そう思った。

 傘は持たなかった。

 冷たい雨の中を歩きながら、私は自分に言い聞かせた――今夜は、泣いていい。震えていい。全部、ここで使い切っていい。この"絵"は、後で使う。


 井神くんの家のチャイムを押す直前、私は一度だけ深呼吸をした。

 蒼白な顔。ずぶ濡れの服。赤く腫れた頬。

 悲劇の舞台装置は、完璧に整っていた。



 ――


 翌日、智里さんに連れられて実家へと向かった。


 話し合いが始まり、母の顔を見た瞬間、私の胸に"本物の感情"が込み上げてきた。

 それは、恐怖でも、悲しみでもない。

 もし私がここで「大丈夫です、解決しました」と言ってしまったら――そう考えた瞬間の、激しい焦燥感だった。


 井神くんのそばへ帰れなくなる。あの、温かい場所へ戻れなくなる。

 その一念が、私の呼吸を締め上げた。


 気がつくと私は、本当に息ができなくなっていた。

 演じようとしたわけではない。けれど、その発作がどれほど自分の目的に都合よく機能するかは、苦しみながらも冷静に理解していた。


 一度「井神くんのそばにいれば落ち着く」という実績ができてしまえば、大人はそれを簡単には否定できない。

 苦しむ娘の姿を目の当たりにした両親は、拒む気力を失う。

 智里さんは、「このままここに置いていくわけにはいかない」と判断する。


 そして実際に、そうなった。


 私の最大のファインプレーは、井神くんを動かしたことではない。

 智里さんを動かしたことだった。


 井神くんが誰かの悲鳴に敏感で、深く関わった人間を放り出せない性質は、母親譲りだと気づいていた。智里さんもまた、関わってしまった人間の痛みを無視できない。

 だからこそ、私は彼女の前では常に礼儀正しく、従順で、ひたむきであり続けた。困っている女の子が全力で抗おうとしている姿を見せ続けることで、彼女の中に罪悪感と責任感の両方を丁寧に育てた。


 交渉力に長けた智里さんが一度動き出せば、私の両親も双子の両親も、最終的には折れる。

 私は大人の常識と誠実さを逆手に取り、彼女を――誰よりも善意のある人を――盤上の"最強の駒"として静かに配置した。



 ――


 中学三年の冬。


 凉の家に集められた双子と私の三人に、智里さんから"二つの約束"が提示された。

 それだけではない。普通なら、他の家庭の子供にするような話ではないことを、淡々と、けれど言い聞かせるように続けた。

 そこからは、智里さんの途轍もない苦悩が感じ取れた。


 悠希はその日から、智里さんのことをひどく恐れるようになった。あの鋭くも優しい瞳の奥に、決して折れない意志の硬さを感じ取ったのだと思う。


 凉は私たちと両親に「全員を守る」と宣言した。

 彼はそれを信じている。自分が彼女たちを選び、自分の意志で残ると決めたのだと、心の底から確信している。


 けどね――


 凉が"守る"と言える状況を作ったのは、私。

 凉が"選ぶ"しかない盤面を整えたのも、私。


 そして"二つの約束"――大人たちが課したその条件すらも、私にとっては別のものに見えていた。

 合法的に、永続的に、凉の家に入り浸るための確固たる権利書。公式の封印。


 智里さんと和哉さんのことだから、きっと、凉には"最終的な選択のリミット"を提示しているはずだ。

 それは、凉から私たちに伝わることはなく、ひとりで抱え込んで、悩み、決断していくこと。

 ――それには、私は干渉しないわ。凉。


 私はその夜、誰にも見えないところで静かに、涙を流しながら笑った。


 "優しい居場所"は、こうして完成した。


 そして私は、この楽園の設計者として――凉の隣に座り続ける。


 誰かを傷つけようとしたわけじゃない。ただ私は、自分の居場所が欲しかっただけだ。


 そう、ただ、それだけ。

 ――冷たくなった自分の手のひらを、私はひとり、静かに見つめていた。

本日23:40に、エピローグを更新いたします。

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