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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
第九章 僕らが"普通"を捨てた日々
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優しい居場所の"創り方"

 ――side. 井神 凉――


 宮藤さんとの同居が始まった翌日、金曜日の朝。

 僕は彼女と一緒に家を出て、並んで登校した。いつものように教室に入り、自分の席にカバンを下ろす。

 少し遅れて、茉依さんが教室に入ってきた。彼女は僕の姿を見つけるなり花が咲いたような笑顔になり、嬉しそうに駆け寄ってくる。だが――僕のすぐそばまで来た瞬間、「ん?」と小さく顔をしかめ、ピタリと足を止めた。


 ちょうどその時、後ろから宮藤さんが近づいてきた。

 茉依さんは僕と宮藤さんを交互に見比べ――野生動物のように、その鼻先をピクリと動かした。

 その瞬間、茉依さんの顔からスッと感情の色が消え落ち、彼女は宮藤さんに向けて氷のように鋭い視線を突き刺した。


「……なんで?」


 それは、地を這うような低い声だった。

 そこへ悠希さんも教室にやってきて、僕たち三人を包む異様な空気に足を止めた。悠希さんもまた、言葉を交わすことなく瞬時に"異変"を悟ったようだった。

 茉依さんは悠希さんと一瞬だけ視線を交わすと、宮藤さんの腕を強く掴んだ。

「玲茄ちゃん、ちょっと話があるから……移動しよう」

 有無を言わせぬ圧だった。しかし宮藤さんは抵抗するそぶりすら見せず、まるで連行されるように、双子と共に教室を出ていった。


 朝のホームルームまでまだ三十分近くある。時間までには戻ってくるだろうと思っていたが、予鈴が鳴っても三人は帰ってこなかった。

 やがてホームルームが始まり、担任の口から「宮藤さんが指を怪我してしまったので、中里さんが付き添って保健室に行っています」と伝えられた。


 一時間目の授業が始まる直前、二人はようやく教室に戻ってきた。宮藤さんの指には絆創膏が貼られていたが、二人の顔からはどんな感情も読み取れなかった。

 その後も、休み時間になるたびに二人は悠希さんと合流してすぐに姿を消し、授業のチャイムが鳴る直前に戻ってくるという行動を繰り返した。


 昼休みになっても同じだった。やはり二人は、すぐに廊下へ出ていってしまった。

 僕は三人の不可解な行動を訝しみつつも、教室で一人、もっと切実な問題で思い悩んでいた。


 本来であれば、今日の放課後も茉依さんたちの家に行くつもりだった。しかし、今の僕の家には宮藤さんがいる。彼女を一人で家に残すことなんてできない。

 あちらへ行けば、こちらが一人になってしまう。

 双子も、宮藤さんも、僕がついていてあげなきゃいけないのに。

 どうしたらいいのか。答えの出ない焦燥感の中で無為に時間は過ぎ、無情にも放課後のチャイムが鳴った。



 ――


 教室で悩み続けていても仕方がない。とにかくまずは動こうとカバンを手に取った僕の前に、三人が揃って歩み寄ってきた。

 その顔を見て、僕は少し拍子抜けした。朝のあの刺すような重苦しい雰囲気は、まるで嘘だったかのように綺麗に消え去っていたのだ。


「りょーくん」

 茉依さんが、いつもの明るい声で話しかけてきた。

「玲茄ちゃんから聞いたよ。玲茄ちゃんのことも、助けたんだって。りょーくん、すごい」

「あ、うん……」

「だけど、今一緒に住んでるんだよね。じゃあ、私たちの家には来れないよね。……だから今日、少しだけりょーくんの家に行ってもいい?」

 その言葉に驚いていると、隣から宮藤さんが僕の袖を引いた。

「私からもお願い。井神くんが二人を助けたことも聞いたわ。私だけじゃない、井神くんの優しさに助けられた子たちだから……一緒に居たいって気持ち、すごくわかるの」


 宮藤さんが微笑み、双子も頷く。保健室で、あるいはあの空白の時間に、三人の間でどんな話し合いがあったのかはわからない。だが、彼女たちは手を取り合い、僕に笑顔を向けてくれている。

 僕からすれば、それは望むところだった。

「わかった。うちにおいでよ」

 僕が了承すると、三人は「やったね」と言い合いながら、揃って教室を出た。


 四人で並んで僕の家に向かう道中、茉依さんが「あ、そうだ」と思い出したように口を開いた。

「日曜日、りょーくんのお父さんとお母さん、家にいるかな? うちの両親が、りょーくんのご両親に挨拶とお礼に行きたいって」

 親の不在時に上がり込んだ手前、一瞬だけ心臓が跳ねた。しかし、あの夜に泊まり込んだことまではバレていないはずだ。それに、アリバイはねえちゃんに話を合わせてもらっている。今日の夜には父さんも出張から帰ってくるし、なんとかなるだろう。

「わかった。今日の夜、話してみるよ」


 家に到着し、三人をリビングに招き入れる。

 茉依さんと悠希さんは、初めて入る僕の家に少し緊張した様子で、部屋の隅にカバンを下ろした。

「おうちの人は、居ないの?」

「うん。あと二時間は帰ってこないよ」

 そう伝えると、二人はホッとしたように肩の力を抜き、顔に柔らかい安堵を浮かべた。


 悠希さんが無言でソファの真ん中を指さす。

 僕がそこへ腰を下ろすと、最近彼女たちの家でそうしているように、茉依さんと悠希さんが左右からピタリと体を密着させてきた。両腕に伝わってくる、二人の微かな体温と柔らかい重み。


 その光景を目の当たりにした宮藤さんは、露骨に嫉妬を滲ませて不満げに唇を尖らせた。

「ずるい。私も、井神くんにくっつきたい」

 そう言って、宮藤さんは僕の正面に回り込み、カーペットの上に膝をついた。下からすがるような、甘い視線が僕を射抜く。

「それに、二人ともいつの間にか下の名前で呼ぶようになってるし。……私だって、名前で呼びたい。ダメ?」


 上目遣いで見つめてくる彼女に、僕は大きく頷いた。

「いいよ。呼んで」

「ありがとう……凉」


 右に茉依さん、左に悠希さん、そして正面には宮藤さん。

 三人の少女に囲まれ、頼られ、甘えられる。この空間で、僕は間違いなく彼女たちの中心にいる。僕が彼女たち全員を繫ぎ止め、守っているのだという圧倒的な優越感が、胸の奥を満たしていった。


「なら、僕は……玲茄、茉依、悠希って呼んでもいい?」

 高揚感に背中を押されるまま、僕が三人の顔を見渡して尋ねると、彼女たちは嬉しそうに「いいよ」と声を揃えた。

 玲茄はおずおずと手を伸ばし、僕の首に腕を回してすがりつくように抱きついてきた。

「ずっと、一緒にいてね」

 耳元で甘く囁かれたその言葉に、僕は「うん」と力強く頷き返した。


 ――今思えば、この日からだ。

 僕たちが、"ただの友達"という境界線を完全に踏み越えてしまったのは。



 ――


 二日後の日曜日。茉依、悠希の二人とそのご両親が、揃って井神家へ挨拶に訪れた。


 事は金曜日の夜に遡る。出張から帰宅した父さんは、自分が数日家を空けている間に玲茄が住み着いているという事態に、母さんから話を聞いているとはいえ、ひどく頭を抱えていた。

 僕はそこへ追い打ちをかけるように、双子の身に起きた出来事と、僕が彼女たちの家に通い詰めていた事実を打ち明け、今まで黙っていたことを両親に深く詫びた。


 そして翌日、土曜日の朝。我が家の固定電話に双子の父親から連絡が入り、日曜日に正式に挨拶へ伺いたいという申し出があったのだ。


 大人たちがダイニングテーブルで真剣な面持ちで言葉を交わす中、僕と茉依、悠希の三人は、少し離れたリビングのソファで、いつも通りに過ごしていた。

 僕の両脇にぴったりと身を寄せ、僕の服の袖を強く握ったまま離れようとしない茉依と悠希。僕たちにとっては、それがごく自然な距離感であり、いつもの安らぐ光景だった。


 しかし、ふと視線を上げると、親たちは不思議な目で僕たちを見つめていた。

 いや、それは"不思議な目"などという生易しいものではなかったかもしれない。大人たちはその光景を目の当たりにして、僕たちの中にある"異常性"を、ここで初めて認識したのだと思う。


 ここから先、事態は加速度的に狂い始めていった。


 翌週、玲茄は一度実家へと戻ったが、数日も経たないうちに過呼吸を再発させ、結局僕の家で生活することが多くなった。

 双子も同じだった。僕と会っていない時間が少しでも空くと、茉依は些細なことでパニックを起こしたり、突発的に笑い出したりとひどく情緒不安定になり、悠希はだんだんと食事を摂らなくなってしまうのだ。

 彼女たちはまるで精神安定剤を求めるように、定期的に僕の家に来るようになり、やがて泊まることも増えていった。


 それが中学二年生になっても続き、状況は改善するどころか、三人が僕の家に滞在する時間はどんどん長くなっていった。


 そして中二の秋。ついに、三家族の親たちだけで話し合いの場が持たれた。

 話し合いを終えたその日の夜。リビングで、父さんと母さんが僕を前にして重い口を開いた。


「凉。常識的に考えればね、それぞれの家庭での生活があって、他の家にここまで干渉するなんてことは本来ありえないことなの」

 母さんの声は穏やかだが、強い疲労と意志が感じられた。

「親戚でもなんでもない、男一人に女の子が三人。あちらのご両親たちも、何度も病院の心療内科に連れて行ったり、家族会議をしたりしたそうよ。でも、薬を飲ませてもカウンセリングを受けさせてもダメだった。凉から離してしまうと、発作のように不安定になって、もう打つ手がないと疲弊しきっていたわ」


 父さんが腕を組み、深く息を吐いた。

「凉と一緒にいる時だけ、あの子たちは普通にご飯を食べて、普通に笑う。だからだんだん、僕たち家族に頼り切るような形になっちゃってるんだよね」

「凉だけじゃない。私たちも彼女たちに関わってしまった手前、今更放り投げて知らない振りなんてできない。でもね」

 母さんが、僕の目を真っ直ぐに射抜いた。

「凉は、あの三人をこれからも見ていけるの? 人間だから途中で何があるかはわからない。でも、その時に無責任に投げ出すようなことは、絶対に許されないのよ」


 両親の重い問いかけに、僕は少しの迷いもなく答えた。

「一年以上、一緒にいたんだ。……正直、あの中の一人には、恋愛感情みたいなものを持ったこともあったと思う」

 僕がそう口にすると、母さんの眉がピクリと動いた。

「けれど、あの子たちを助けてから、全員に同じように気持ちを向けるようになったんだ。これがどういう感情なのかは、僕にもわからない。ただ……」

 僕は自分の胸の奥にある、確固たる"真実"を口にした。

「誰か一人を選ぶなんて、僕にはできない。あの三人は、僕の傍にしか居場所がないんだ。僕が、全員を守ってあげなきゃいけないんだよ」


 それはもう、"対等な人間関係"などではなかった。

 僕のその言葉を聞いた母さんは、ゆっくりと目を伏せていった。


 沈黙を破るように、父さんが天井を見上げて言った。

「本当はね、凉が二年生になって少ししたら話そうと思っていたんだけど……僕と母さん、海外赴任が決まってね。お前が高校生になるタイミングで、家族全員で引っ越すつもりだったんだよ」

「え……」

「しかし、現状がこうなっているから言い出せなかった。だけど、海外行きは確実なんだ。だから今、ここで決める」


 父さんの言葉に、僕は咄嗟に立ち上がった。

「残る! 僕は、日本に残るよ。あの子たちを残してなんていけない。一緒にいられなくなったら、あの子たちがダメになる。それに……僕も、ダメになる」

 すでに四人で、同じ折崎高校に進学することは決めていたのだ。

「僕は、この家にいたい」


 切実な僕の訴えに、母さんがゆっくりと顔を上げた。

「……わかった。その代わり、条件を出すわ」

 母さんの声は、冷徹なまでに響いた。


「自分たちだけで生活していくということは、それだけ重い責任が生じるということよ。もしこの約束が守れないというのなら、その時は強制的にでも引き離すしかない。……生半可な気持ちでいてはダメよ。今から意識しなさい」

「……うん。約束するよ」


 こうして、僕と彼女たちの、あの"三つの約束"で縛られた"歪な箱庭"が、形作られたのだった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


八章エピローグ後の幕間エピソードに一話追加しています。まだ読んでいない方は、是非読んでみてください。


次回更新は6/3頃予定です。


本作を少しでも楽しんでいただけましたら、感想やブックマーク登録、評価などをいただけますと執筆の大きな励みになります。


引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!

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