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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
第九章 僕らが"普通"を捨てた日々
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安心の"檻"

 ――side. 井神 凉――


 ずぶ濡れの宮藤さんを玄関に立たせておくわけにはいかず、僕はまず彼女を急いでお風呂へ向かわせた。

 脱衣所の扉が閉まった音を確認し、すぐにスマホを取り出して母さんに電話をかける。


『ごめんなさいね、遅くなって。今帰ってるところだから。あと三十分くらいで着くからね』

「母さん、聞いて。今、うちに宮藤さんが来てるんだ。家を出てきちゃったって」

『えっ……?』

 僕は早口で状況を説明した。宮藤さんが雨の中を泣きながらやってきたこと、頬に叩かれたような痕があったこと、今はとりあえずお風呂に入ってもらっていること。

 母さんは電話口で息を呑み、『わかったわ、急いで帰る。凉は玲茄さんを落ち着かせてあげて』とだけ言い残し、通話を切った。


 電話を終え、僕はハッと一つの問題に気がついた。

(着替え、どうしよう……?)

 このままでは、彼女はお風呂上がりにまた濡れた服を着ることになってしまう。服はどうする? それに下着はどうしたらいい? と、ぐるぐると考えを巡らせるが、僕のクローゼットには当然女子の服などない。母さんの下着を借りる、という案も頭を(よぎ)ったが、勝手に部屋を漁るわけにもいかない。

 結局これしか思いつかず、僕は自分の上下のスウェットとTシャツ、それにまだ使用していない新品のボクサーパンツを引っ張り出した。


 脱衣所の前まで行き、軽くノックをする。

 浴室の中にいることを確認し、鉢合わせないよう恐る恐る中に入り、バスタオルと一緒にスウェット一式を置き、ささっと逃げるように脱衣所を出た。


 リビングに戻り、ソファに座って息を整える。自分の下着を女の子に渡してしまったという事実に、今更ながら顔から火が出そうだった。

 しばらくして、少し丈の余った僕のスウェットを着た宮藤さんが、リビングに現れた。

「ありがとう……ごめんね、こんなことになっちゃって」

 俯きながらそう口にした彼女の目から、再びポロポロと涙が溢れ出した。


 安心させてあげなきゃ。

 そう思い立ち上がって近づくと、宮藤さんはスッと僕の胸に体を預けてきた。濡れた髪からシャンプーの匂いが微かに漂う。

「大丈夫だよ」

 僕は変にドギマギしてしまう自分を抑え込みながら、震える彼女の背中をポンポンと優しく叩き、母さんが帰ってくるのを待った。



 ――


 やがて、玄関の扉がガチャッと開く音がした。

 急ぎ足でリビングに入ってきた母さんの姿を見るなり、ソファに座って僕の腕に寄りかかっていた宮藤さんは、すっと立ち上がり、深く頭を下げた。


「智里さん、ごめんなさい……ごめんなさい、夜分にこんな……」

「玲茄さん、いいのよ。謝らなくていいから」

 ずっと謝り続ける彼女に、母さんは優しく声をかけた。

「もし凉のそばにいるのが安心するなら、離れないでいいからね」

 その言葉に甘えるように、宮藤さんは再び僕の隣に座り、僕の手をぎゅっと握りしめた。


 母さんは宮藤さんの様子を少しの間じっと観察した後、静かにバッグをソファ前のローテーブルに置いた。

「親御さんに、すぐ連絡しなければいけないわね。玲茄さん、ご自宅の電話番号を教えてくれる?」

 電話番号を聞き出した母さんは、足早にリビングを出ていった。

 ソファに残された僕たちは、ぴったりと寄り添ったままだった。僕は彼女の冷たい手を両手で包み込み、少しでも安心させようと手のひらでそっと撫でた。


 二十分ほど経ち、母さんが戻ってきた。

「玲茄さんのお義父さんと話してきたわ。今日はうちに泊まっていきなさい。明日、祝日でご両親とも家に居るそうだから、私と一緒に玲茄さんの家へ行きましょう」

 そう言うと、母さんは先ほど置いたバッグを手に取り、「これからお風呂に入ってくるから、少し気持ちを落ち着けておいて。後でゆっくりお話ししましょう」と告げ、再びリビングを後にした。



 ――


 母さんがお風呂から戻り、僕たち三人はダイニングテーブルに移動した。

 宮藤さんが、ポツリポツリと事の経緯を話し始める。


「元々、言い争いが絶えなくて……最近は、私がお義父さんを見ていると、お母さんがすごく嫌な顔をするようになって……。それで今日、とうとうお母さんが今までにないくらい怒り出しちゃって」

 つまり、以前母さんが助言した「義父の行動を監視・記録する」という宮藤さんの行動が、結果的に母親の逆鱗に触れてしまったということらしい。


「私が、もう少し早く玲茄さんのご両親にコンタクトを取るべきだったわ。ごめんなさいね」

 母さんは自身の対応の遅れを反省するように眉をひそめた。

「智里さんには、何も非はないです。私が……素直に、"良い子"にできないのが、悪いんです……」

 俯く宮藤さんに、僕はたまらず立ち上がった。


「そんなことない! 母さんも、宮藤さんも、何も間違ってないよ!」

 僕は身を乗り出し、真っ直ぐに宣言した。

「僕は、宮藤さんの味方だから。明日、僕も一緒に……」

「凉は明日、連れて行かないわ」

 僕の言葉を遮るように、母さんがピシャリと言い放った。

「そんな……なんで!」

「気持ちはわかるけど、あなたがいることで余計に話が拗れる可能性があるからよ。今回のことは、親同士でないとできない話。感情論を出してはいけない場なの」


 大人の理屈。けれど、母さんの言う通りだということも頭では理解できた。

 宮藤さんを守るためには、ここは母さんに任せるしかない。

「……ごめん母さん。その通りだね」

 僕は悔しさを飲み込み、深く息を吐いた。


「服だけど、私の着る?」

 話が一段落し、母さんが宮藤さんのスウェット姿を見て尋ねる。

「いえ、井神くんにお借りしたこれで、十分温かいので大丈夫です」

「そう。じゃあ、客間に布団を敷いておくわね。凉、玲茄さんの話し相手になってあげて。私はお父さんと少し電話して、明日の準備をするから」


 母さんが自室へ戻り、再びリビングには僕たち二人だけになった。

「井神くん……こんなに迷惑かけて、ごめんなさい」

「ううん、謝らなくていいよ。僕が、自分の意志でやってることだから」

「……ありがとう」

 宮藤さんは僕に体を預け、そのまましばらく、僕たちは無言で寄り添っていた。



 ――



 翌日。午前中、母さんと宮藤さんは宮藤家へと出発した。

 僕は心配で仕方がなかったが、気を紛らわせるために無理やり机に向かい、課題と予習を進めていた。


 お昼前。玄関の開く音がして、急いで一階へ降りる。

 母さんが帰ってきた……と思いきや、その後ろには、大きなスポーツバッグを持った宮藤さんの姿があった。


「おかえり。……どうしたの?」

「しばらく、玲茄さんをうちで預かることにしたの。あちらのご両親は説得済みよ」


 母さんの言葉に、僕は呆然とした。

 詳しく話を聞くと、あちらの両親に誠心誠意状況を説明し、今後について話そうとした矢先、宮藤さんが過呼吸を起こしてしまったらしい。

 結局、宮藤さんの精神状態と両親の様子を踏まえ、母さんは「このままではいけない」と判断。数日間うちで預かることを提案し、最初は渋っていた向こうの両親も、過呼吸で苦しむ娘の姿を見て最終的に折れたということだった。


 どこかバツの悪そうな顔をして俯く宮藤さんに、僕は歩み寄った。

「しばらくは、ここが宮藤さんの家だよ」


 僕がそう言うと、彼女はパッと顔を上げ、安心したようにはにかんだ笑顔を向けた。

「……ありがとう、井神くん」


 こうして、僕の家での、宮藤さんとの奇妙な同居生活が始まったのだった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

※5/28追記

八章エピローグ後の幕間エピソードに一話追加しました。是非読んでみてください。

最新話の次回更新は5/30頃予定です。


本作を少しでも楽しんでいただけましたら、感想やブックマーク登録、評価などをいただけますと執筆の大きな励みになります。


引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!

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