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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
第九章 僕らが"普通"を捨てた日々
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四人で居続けるために

 ――side. 宮藤 玲茄――


 井神くんの母親である智里さんから「客観的に観察して記録をつけるように」と助言を受けた日から、私は自宅で冷静に義父の視線を観察し続けた。


 その結果、あっさりと"事実"に気づいてしまった。

 ――今の義父は、私にいやらしい視線など向けていなかったのだ。


 思えば、彼と一番最初に顔を合わせた時のことだ。義父は他の男たちと同じように、私の顔からスッと視線を下げ、胸や足元へと目を走らせる動きをした。

 そのたった一度の出来事が引き金となり、「ずっとそういう視線を向けられ続けている」という固定観念が植え付けられ、勝手に薄気味悪さを感じて一人で怯えていただけだった。


 事実を客観視できたことで、私の心からはあの泥のような恐怖が嘘のように消え去った。

 あんなに身体に不調をきたすほど一人で思い悩み、追い詰められていたというのに。私自身に原因を気付かせてみせた智里さんの分析力と視点には、改めて感嘆するしかなかった。


 だからこそ――私はこの事実を、バカ正直に井神家で報告するような真似はしなかった。


「……記録をつけてみて、分かりました。義父は、私をずっと見ているわけじゃないんだって」

「そう。それは良かったわね。少し安心できたんじゃない?」

「……でも、ダメなんです。頭では分かっていても、どうしても最初の視線が忘れられなくて。同じ空間にいるだけで、拒否反応が出てしまって……息が、苦しくなるんです」


 休日の井神家のリビング。私は弱り切った表情を作り、俯きながらそう告白した。

 智里さんは「無理もないわ。頭で理解できても心と体はすぐには追いつかないものよ」と優しく寄り添ってくれた。隣に座る井神くんも、痛ましそうな顔で私を見つめている。


 もし「もう大丈夫です」なんて言ってしまえば、井神くんとの"特別な接点"がなくなってしまう。

 私が心から求めているのは、他でもない"井神くん"自身だ。必死に私に寄り添おうとしてくれる彼と、彼を育てたこの温かい"家"――その両方がどうしても欲しかった。

 だから私は、すべてが解決したと告げることはせず、彼が手を差し伸べたくなるような"弱さ"をあえて残すことにした。


 私が不安そうに微笑むたび、井神くんの瞳には「僕が彼女を守ってあげなければ」という、純粋で甘いヒロイズムが浮かび上がる。

 自分でも計算高い嫌な女の子だと思う。けれど、私に向けられるその真っ直ぐな庇護欲は、どうしようもなく私の心を満たしてくれた。


 自分の足場を固めた私が次に着手したのは、双子の姉妹――茉依ちゃんと悠希ちゃんだった。

 私があの場所に居続けるためには、彼女たちを井神くんに深く依存させる必要がある。

 二月に入った頃から、私は意図的に双子と一緒に過ごす時間を増やしていった。


 しかし、女の子というのは、こうした人間関係の微細な変化にひどく敏感な生き物だ。

 井神くんと私の距離感の変化を、双子は確実に見抜いていた。ただ、彼女たちはその"変化"を、「私が井神くんに好意を持ち、積極的に動いた」と勘違いしているようだった。


 ある日の放課後。教室に三人だけが残っていた時のことだった。

 いつもは大人しい悠希ちゃんが、ふと真剣な眼差しで私を真っ直ぐに見据えてきた。


「……玲茄さんって、井神くんのこと、好きなんですか?」


 ストレートな問いかけに、私は内心で静かに息を吐いた。

 ただの"恋愛感情"とは少し違うかもしれない。私が求めているのは、"井神くん自身"と、彼がもたらしてくれる"温かい居場所のすべて"だ。

 けれど、彼女たちにこの重い執着を共有してもらうには、その言葉の定義(ニュアンス)に合わせるのが一番自然で、効果的だった。


「ええ、好きよ。……ずっと一緒にいたいと思ってる」


 一切の迷いなく私がそう答えると、悠希ちゃんは小さく息を呑み、そして、震える声で告げた。


「……私も、好きです」

「えっ……悠希?」


 隣で聞いていた茉依ちゃんが、目を丸くして妹を見た。


 井神くんにずっと好意を抱いていた悠希ちゃん。初詣のあの日、一番に自分を支えてくれたことで、彼女の中の好意はさらに決定的なものに変わっていたはずだ。

 普段は控えめな彼女が、わざわざ私を問い詰めるような真似をしたのは、私と井神くんの距離が急激に縮まったことで「このままでは彼を取られてしまう」と焦り、いてもたってもいられなくなったからだろう。


「茉依ちゃんはどうなの?」

 私が促すと、茉依ちゃんは戸惑ったように視線を彷徨わせた。

「私……わかんない。井神くんは優しくて、一緒にいると安心するけど……でも、二人が井神くんのこと好きって言った時、すごく胸が痛くなった。……取られたくないって、そう思ったの」


 未だ自分の気持ちに整理はついていないけれど、彼を失うのは絶対に嫌だ。

 茉依ちゃんのその言葉こそが、私が待ち望んでいた"最後の一手"だった。


 私は二人の目を見つめたあと、一度視線を外し、少しだけためらうような素振りを見せて、再び双子を見つめた。


「……実はね。今、家庭の事情で井神くんにすごく助けてもらっていて、休日には彼のお家に行かせてもらったりしているの。だから、余計に彼に甘えちゃっていて……」

 私のその言葉に、双子の肩がわずかに揺れた。私が彼女たちよりも一歩先へ進み、彼と特別な時間を共有しているという事実に、二人の瞳に明らかな焦りと絶望の色が浮かぶ。


「でも、だからこそ怖いの。誰か一人が選ばれれば、選ばれなかった人はもう一緒にいられなくなるわね」

 私は、さも悲しそうに、けれど諭すような声で静かに紡いだ。


「私たちだって、こんなことでいがみ合って仲悪くなりたくないじゃない? 誰かが泣くくらいなら……抜け駆けは禁止にしない?」

「抜け駆け、禁止……?」

「そう。そして、彼にも選ばせないの」


 私は、怯える小鳥を宥めるように、二人の手を優しく包み込んだ。

「この四人で、ずっと仲良くしていきましょう。今の心地よい関係を、私たちが守っていくの」


 それは、彼女たちの未来を縛り付ける、優しくて残酷な呪い。

 あの時、家族という拠り所が一度"揺らいでしまった"双子にとって、「誰もいなくならない」「関係が壊れない」という現状維持の提案は、悪魔の囁きよりも甘く、魅力的に響いたはずだ。


「……うん。私、このまま四人で一緒にいたい」

「……私も。お姉ちゃんとも、玲茄さんとも離れたくないです」


 頷いた双子の顔には、安堵の色が浮かんでいた。

 これで、私の望む環境への足場は完全に固まった。

 井神くんが誰か一人と特別な関係になる道は封じられ、彼はこれからも"三人の女の子から頼られる優しい男の子"として、心地よい関係の中心に留まり続ける。そして双子は「抜け駆け禁止」という見えない鎖に縛られ、私の脅威にはならない。


 誰も特別にならず、誰も見捨てられない。


 盤面は整った。

 あとはこの二人を、もっと井神くんと彼の家へ近づけるための布石を打っていくだけだ。

 その"土台"が出来上がった時――もう誰も彼から離れられなくなる。


 私が彼を、そして彼の温かい居場所のすべてを手に入れるために。


 二月の終わりは、すぐそこまで近づいていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

次回更新は5/15か16予定です。


本作を少しでも楽しんでいただけましたら、感想やブックマーク登録、評価などをいただけますと執筆の大きな励みになります。


引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!

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