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四人でいることが、日常だった ――名前のない楽園――  作者: いもたにし
第九章 僕らが"普通"を捨てた日々
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四人でいる理由

お待たせいたしました。更新再開いたします。

 ――side. 井神 凉――


 宮藤さんが僕の家を訪れ、母さんに悩みを打ち明けたあの日から、僕たちの間の"距離感"は少しだけ変わった。

 別に、表立った"関係"が大きく変化したわけではない。彼女は学校では相変わらずの様子だったし、僕もことさらに彼女を特別扱いしているわけでもなかった。

 それでも、ふとした瞬間に交わす視線や、言葉の端々に滲む気安さが、以前とはどこか違っていたのだと思う。


「ねえ、井神くんって宮藤さんと付き合ってるの?」

 ある日の休み時間、クラスの女子から不意にそう尋ねられた。

「え? 付き合ってないよ?」

「えー、だって最近、なんか雰囲気違うし。この前の体育の時も、宮藤さんが井神くんのこと目で追ってるみたいだったしさ」

「気のせいだよ。席が近くて話すことが多いからじゃないかな」


 慌てて否定しながらも、周囲からそう見えているという事実に、内心少しだけ驚いていた。

 宮藤さんに対して、恋愛的な意味での特別な感情を抱いているわけではない。ただ、僕だけが知っている彼女の弱い部分や、抱えている秘密を共有しているという事実が、僕たちの間に目に見えない"連帯感"のようなものを生んでいたのだと思う。


 あの日以降、宮藤さんの家庭事情の問題は、母さんが間に入ることで少しずつ前進しているようだった。

 宮藤さんは母さんの助言通り、義父の行動を観察し、記録をつけるようになった。時折、母さんと電話で話をしていることもあったし、休日になると家を訪ねてくることもあった。


「いらっしゃい、玲茄さん。今日も寒かったでしょう」

「お邪魔します、智里さん。井神くんも、こんにちは」


 玄関先でコートを脱ぐ彼女の表情は、初めてうちに来た時のように思い詰めたものではなくなっていた。母さんも、まるで昔から知っている親戚の娘を迎え入れるように、ごく自然に彼女をリビングへと通していた。

 キッチンで三人分の温かい紅茶を淹れながら、二人のやり取りに耳を傾ける。


「これが、今週の記録です」

「よく書けているわ。……なるほどね。玲茄さんの気持ちの整理にもなってるみたいで良かったわ。もうしばらく続けてみましょうか」


 テーブルの上に広げられたノートを見て、母さんが優しく頷く。その言葉に、宮藤さんはほっとしたように肩の力を抜いた。大人に否定されず、論理的な解決策を持って導かれている彼女の横顔には、学校で見せる大人びた表情とは違う、中学生の女の子らしい"柔らかさ"があった。


「さて、今日の話はここまで。二人とも、ずっと家にこもっていても息が詰まるでしょう。少し気晴らしに出かけてきなさい」

 母さんがそう言って、僕にいくらかの小遣いを手渡した。

「え、でも……」

「いいから、行きなさい。玲茄さんも、いつも張り詰めてばかりじゃ疲れてしまうわ。たまには中学生らしく息抜きが必要よ」

「……ありがとうございます、智里さん」


 そうして、僕は宮藤さんと二人で駅前のショッピングモールへ出かけることになった。

 思えば、女の子と二人きりで出かけるなんて、これが初めてのことだった。

 冬の冷たい空気が張り詰める中、隣を歩く彼女を盗み見る。学校の制服姿とは違う、落ち着いた色合いのコートを着た彼女は、やはり同級生の誰よりも綺麗で、大人びて見えた。


「悪いね、母さんのお節介に付き合わせちゃって」

「ううん。智里さんが言ってくれなかったら、私、ずっと塞ぎ込んでいたかもしれないから。……すごく、嬉しい」


 ショッピングモールの中を当てもなく歩いていると、宮藤さんがふと雑貨屋の前で足を止めた。綺麗なハンカチや小物が並ぶ棚を、真剣な眼差しで見つめている。

「智里さんに、なにかお礼がしたくて」

「そんなの、気にしなくていいのに。母さんは好きでやってるんだから」

「それでも、私の気が済まないの。……井神くん、どれがいいと思う?」

 そう言って少しだけはにかむように笑った彼女の表情を見た瞬間、僕の胸の奥に、今まで感じたことのない、誇らしい感情が静かに広がっていった。


 正月に倒れたおばあちゃんのことで深く傷ついていた双子に、寄り添い続けたこと。

 そして、誰にも言えない事情を抱えていた宮藤さんに手を差し伸べ、自分の家という安全な場所を提供したこと。

 僕の行動が、彼女たちを暗闇から引き上げるきっかけになった。三人の女の子を、僕の力でなんとかできたのだ。

 僕が彼女たちを守ってあげられる。僕が彼女たちの支えになっている。そんな自惚れに近い誇りが、僕の心を心地よく満たしていた。



 ――


 二月も中旬に差し掛かる頃、僕たちの関係性にさらなる変化が訪れていた。

 宮藤さんと双子の二人が、一緒に行動していることが多くなったのだ。

 きっかけは分からなかった。ただ、休み時間になると宮藤さんたち三人で話をしている光景をよく目にするようになった。

 放課後も、三人で連れ立って帰るようになり、日直や委員会の仕事がない日は、僕も自然とそれに混ざって四人で一緒に帰るのが当たり前になっていた。


「ねえ、井神くんは高校生になったらアルバイトとかしたい?」

「え? うーん、考えたことなかったな。茉依さんはどうなの?」

「私はカフェで働いてみたいな。可愛い制服のところとか!」

「お姉ちゃんはすぐお皿割りそうだから、裏方の方がいいと思います」

「ちょっと悠希、ひどい!」

「ふふ、高校生のアルバイトって、禁止されてるところが多いのよ?」


 夕暮れの帰り道。四人で他愛のない会話を交わしながら歩く時間は、本当に穏やかで、心地よかった。

 宮藤さんはいつも一歩引いたところから微笑んでいて、双子の二人はすっかり元気を取り戻し、以前のような明るい笑い声を響かせている。


 僕が思いを向けているのは、もちろん茉依さんだ。彼女の明るさに惹かれているし、できることなら特別な関係になりたいと思っている。宮藤さんへの感情は「放っておけない大切な友人」に近いし、悠希さんとも初詣の一件以来、冗談を言い合えるくらいには距離が縮まっていた。

 けれど、僕は茉依さんに明確なアプローチをかけることができずにいた。


 怖いのだ。

 もし僕が茉依さんに想いを伝えてしまえば、この心地よい"四人のバランス"が崩れてしまうのではないか。


 それに――僕が彼女たち全員を守っているという、この優越感を手放したくなかった。


 だから僕は、この曖昧な関係に甘え、現状を維持することを選んでいた。誰か一人を選ぶのではなく、三人の女の子から頼られ、中心にいる自分という存在に、無自覚なまま酔いしれていた。


 四人で一緒にいれば、誰も傷つかない。

 この穏やかで優しい日々が、これからもずっと続いていくのだと、本気で信じて疑わなかった。


 ――そして、二月の終わり。

 僕たちの平和な日常を根底から叩き壊す事態が、唐突に訪れた。

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