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紅の救世主  作者: メアー
5章.暗躍と決意
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32.生きているから



エスコシェイルの記憶

【鷹蹴連撃・伊國】が与奪の顎を撃ち抜く。


脳を揺さぶられ、視界が歪む中、

それでも尚、殺意渦巻く鉄の鉤爪が、

空を切り、その動きが止まる事はなかった。


『ころしゅ……ころしてやりゅぅう……!』


砕かれた口から、血と恨言が溢れる。

瞳には濁った光が未だ残り、意志だけで、

ミセリコルデを殺める程の気迫があった。


「エスコシェイルの……!本気の技だったのに……!」


傷を負った状態で、無理な姿勢からの体術、

それは彼女の肉体を著しく酷使していた。


下半身の筋肉は疲労によって痙攣し、

与奪の冥刻魔法によって開けられた肩の穴は、完全に塞がってはいない。


お互いは既に、満身創痍の状態にあった。


『欲しい……!ほしい……!闇の力ぁ……!生きる力ぁ……!よこせ!よこせぇ!』


がむしゃらに鉤爪を振り回すも、与奪には既に鉄の重さを制御する膂力は残されていなかった。痛みを遮断していただけで、刺突による傷は致命的だったのである。


次第に握力も失い、鉤爪が地面に落ちるも、

それを拾い上げる所作は無い。

最早、感覚すら失いつつあった。


血に塗れ、雪に、泥に塗れながら

与奪は力を欲した。

ミセリコルデの持つ、闇の寵愛を


「どうして……そこまで……!」


『欲しい……!欲しい……!欲しい……!』


少女の素朴な疑問は届かない。


振りかぶる腕に力は無く、

ミセリコルデもまた、回避する力を失っていた。


『う……【奪う】……!!』

冥刻魔法の発動と同時に、

与奪の弱々しい拳が少女の頬に触れる。


その時、ふたりの意識は大きく弾けた。







彼は自身を語らず。

故に、わかり合えない。


大量の出血による死を目の前にして

与奪は、走馬灯を見た。


一説によれば、走馬灯は過去の出来事から

自身が生き残る可能性を模索する防衛反応とされているが、思い出す事は幼少期から現在までの辛い思い出だけであった。



彼が【与奪】となるはるか昔、

口減らしとして親に捨てられ、

保護された先で孤児同士の争いに塗れた。


暴力よって支配された小さな社会は、子供の生き方や人格を歪めるには充分であった。


腹が満たされる事はなく、愛される事もない。知った事は生き抜くすべとしての暴力。

他者から奪う事でしか生きられないという、厳しい現実。


時が過ぎて、歪んだまま15となった彼は、

賊の首領となり、数多くの悪事を積み重ねていた。


力に屈した者達に飯を与え、手懐け、増やし、更に悪の勢いは加速してゆく。


気まぐれで助けた者達が、泣きながら飯を食う姿を見て、今まで与えられた事のなかった感情が、僅かに芽生えた瞬間もあっただろう。


だが、その当時、それを理解し、受け止めるような【教養】や【経験】が彼には無かったのだ。



暴力での悪が報いを受ける時は、

決まって、更に大きな暴力が襲い掛かる。

傭兵で構成された討伐隊が現れたのだ。


留守中、寝込みに薬を仕込まれ、賊は壊滅。

帰って来た頃には、無勢に他勢となったこの状況で、突如、【与奪】が目覚めた。


奪う力は討伐隊を苦しめ、最終的には撤退という形で、与奪は生き残ってしまう。


そして、自分に力を与えた偉大なる存在を知って、新たな居場所を得た所で、与奪による、短い記憶の想起は終わった。



与奪は何も語らない。


矜持、自尊心、人格、思考、価値観、倫理。

与奪を形作っている人生そのものが

他者との理解を、共感を、共有を拒絶し、諦めているのだ。


心を許せば弱みにつけいられる。

そんな環境下で心が育める筈はなかった。


しかし、いくら彼が諦めようとも

彼の能力は、彼の真の欲望を示していた。


与奪の持つ冥刻魔法の本質が真に

奪い、与える事であるならば

ミセリコルデに負傷を与えた際に、

自身の傷は無かった事になる筈だ。


だが、肩の傷は無くならなかった。

それは何故なのか、与奪は長い間

己の力について、考え違いをしていた。


与奪の持つ力の本質は【共感と共有】

他者と喜びを分かち合い、

共に苦しみを分け合う力。


【誰も教えてくれず、気付かせてくれなかった。】

ただ、それだけの事で、与奪の人生は狂い続け、更生の機会を完全に失ってしまったのだった。




「与奪の……記憶が……。なんて悲しくて、辛い記憶なの……。」


与奪の【与える】能力と、ミセリコルデの持つ闇の力が、ほんの一瞬結合し、意識と記憶の共有が成された。

それによって彼もまた、少女の記憶と体験を一部、脳に過らせた。


両親の温もり、温かい食事、安全に眠れる寝床、笑いが溢れる穏やかな日常。

それら全ては、与奪が持つ26個の宝石より、何百倍も眩しく、魅力的に映った。


『あなたの記憶……。なんて……安らかで温かいの……。なんで……ワタクチには……それが……無かったの……お母さん……どうして……どうして……【ぼく】を……捨てたのぉ……。』


どうして、何故、と彼は言って死を迎えた。

その問いに答えられるものはなく、与奪の瞳からは力が消え、熱が失われてゆく。

直接の死因は、刺突による、肩の出血。


力を求め、足りないものを奪い続け、

それに全てを注いだ男の結末。


死に際に気付きを得た事は、果たして彼にとって幸か不幸か、意識と記憶を共有をした筈のミセリコルデにも、それは分からなかった。



「……与奪のドミニショニス……。悲しい人……。」



ミセリコルデは、先程まで死闘を繰り広げていた相手の為に、短く祈りを捧げた。それにより、呼吸が整う程度の時間が経過していた。


肩の止血と共に訪れる虚脱感と極端な空腹

更には、止まらない脚の痙攣。

全身を蝕む痛みと、鈍く痺れる感覚。


「(……。飢餓の反応だ……。)」


己の力を超える無理な戦いと、

止血と治療によって起きた飢餓。


それによってミセリコルデの体内では

冥王細胞による【オートファジー】

【自食】が起こっていた。


細胞がエネルギーを求め、糧を、

贄を寄越せと騒ぎ立てる。


蓄積していたエネルギーに代わり

自身を構成しているタンパク質を分解する事で、エネルギーを生み出す働きである。


先程の激戦による、支払いを求めるが如く

欲求は時間の経過と共に強くなり、

ミセリコルデの意識すら奪う程であった。


「(ヴェルトが言ってた……。積極的に肉や卵を食べろって……。何か口にしないと……本当に死んでしまう……。死にたくない……。わたしは……生きたい……!)」


覚束ない足取りで、力無く歩いた先、

気付けば、彼女の腕の中に、戦闘前発見していた怪鳥の卵が抱えられている。


卵を大怪鳥の死体から引き剥がすと、

その体躯は急速に劣化を始め、腐食した。


卵が離れた事で、孵化と認識されたのだろう。親鳥はその役目を終えたのだ。

ミセリコルデは後ろ髪を引かれる想いで、

卵と向き合った。


「ごめんね……。だけど、これを食べれば……わたしは生き残れる……!」


卵に穴を開けようと、ミセリコルデは痺れる腕に喝を入れ、今出せる渾身の力を込めた。


その時であった。


【ドクン……ドクン……!】


「あっ……!」


卵から、熱く、強い鼓動が伝わったのである。この時彼女には、怪鳥の雛が【生きたい。生まれたい】と、主張した様に思えた。


「なんて……強くて熱い……っ……これが命……、命なんだ……。」


腕の中で発せられた、強い命の輝きに、

ミセリコルデは気圧けおされた。

振り上げていた拳は行き先を失い、

そのまま時間が止まってしまう。


そこに現れたのは、追っ手を振り切り、合流を果たした、ヴェルトとトーマス



『何をしている小娘!……!くそ、嫌な予感がして戻ってみれば……!』


「お嬢ちゃん!何があった!?この戦いの跡は……一体どうしたことだ……!!」


『狩人!すぐに小屋からありったけの食料を持ってこい!急げ!!』


「わ、わかった!!」



ミセリコルデを発見したヴェルトは、周囲の状況を瞬時に察し、彼女の体内へと融合を行った。


『待っていろ……!余のエネルギーを今分けて……!ぐぅぅ……!なんたる食欲……!【自食】が既に起こっていたのか……!体が動かぬ……!』


飢餓状態だった身体に、ヴェルトという栄養を持つ存在が、突如として現れたことによって、食欲衝動が津波の様に押し寄せる。


『小娘何をしている!抱えているそれは卵であろう!その大きさであれば、貴様の命は繋がる!早く食べろ!死にたいのか!』


「生きたい……けど!目の前で生まれようといる命を奪いたくない!」


『冥王細胞が余の制御を大きく上回っておる!このままでは共倒れしてしまうぞ!』


「わかってる!でも……わたしには出来ない……!」


『……命の光に魅入られたか……!小娘、貴様が何を思おうとも、冥王細胞は強大なエネルギーを求める。それはやがて自分すら食い尽くすまでに至るであろう。それが、力を持つものの代償だ。受け入れろ。卵を食べるんだ!』


「いやだ!」


『生き物から命を奪う!それが強い生物の仕組みだ!霞では生きてはいけないんだぞ!』


「わかってる!でも!この瞬間だけは!この卵だけは食べない!命の意志を知ってしまった!わたしは自分の命も!この小さな命も諦めない!!」


理屈や道理を超越した強い気迫。

我儘の一言では片付けられない熱情に

冥王ヴェルトは一種の興奮を覚えた。


『なんという傲慢……!強欲……!己の命を左右する欲望を、更に強い意志で塗り潰そうというのか……!!ふ……!ふはははは……!それが答えか小娘……!よかろう!余も共に抗ってやる!強き命の宿命に!』


「今だけでいい!わたしは!霞でも生きていける様に、なりたい!!!」


『そうだ!それが小娘、貴様の欲だ!冥王の細胞よ!命の源流たる闇の力よ!!今こそ超越の時……!!』


ヴェルトの叫びに呼応するかの様に冥王の細胞は活性化し、超振動が起こった。


構成細胞を覆っていた冥王細胞のひとつひとつが、隣り合う細胞に喰らい付く。

細胞同士の共喰いが始まったのだ。


『ぐぅぅ……!!命を求めて細胞が暴れておるわ……!!苦しいだろう小娘!これが、ことわりに逆らい、己が意志を貫くという事だ……!!』


「ぐぅあぁぁぁぁぁーーーっ!!!」


全身を中から食い破られる様な、激痛が走る。そのあまりの痛みに、ミセリコルデは雪の上をのたうち回った。細胞が減る度に新たなエネルギーが生まれ、死んでゆき、その余波によって、身体から蒸気が発せられた。


再生と崩壊を繰り返し、命は新たな段階へと昇ろうとしている。


『冥王細胞が……人の意志、強い欲望を喰って……!進化する……!!命の枠を超え、あらゆる物質を取り込み、己が力へと変換する……!構築されているぞ!新たな生命が!!誕生する!!』


ミセリコルデの全身から光が溢れる。

細胞の活性化による熱が、周囲の雪すらも溶かし、大地は呼応するかの様に震えを上げた。


それは大陸全土を僅かに揺らし、この世界の何人かが、大いなる力の産声を悟った。


この瞬間、ミセリコルデは自身に起こった変化を認識する事となる。

「こ、呼吸で……力が満たされる……!」


『【霞を食べて生きる】小娘の欲望に、冥王細胞が従ったのだ。以降、この特殊な呼吸法によって、大気に含まれる水素と酸素から【動力】エネルギーを摂取する事が可能となった。』

———————————————

本来【動力エネルギー】とは機械等に使われる文だが、この世界においては【身体を動かす為に使われる力】と認識してもらいたい。

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『【天露あまつゆの呼吸】、とでも呼ぶべきか……。本来、生物は水だけで生きてゆく事は出来ぬ。その理を覆したのはひとつの【超越】。【進化】とも言える。さあ、小娘、存分に腹を満たせ。』


「……飢餓感が薄れただけの気もするけど……。集中して呼吸している間は、お腹が空かないみたい……。」


『小娘の身体の中でどういった反応が行われているのかは、追々解明して行くことにするとして、まずは状況を確認するぞ。』


ふたりは小屋に戻るまでの道のりで、

互いの情報を擦り合わせた。


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