32.生きているから
エスコシェイルの記憶
【鷹蹴連撃・伊國】が与奪の顎を撃ち抜く。
脳を揺さぶられ、視界が歪む中、
それでも尚、殺意渦巻く鉄の鉤爪が、
空を切り、その動きが止まる事はなかった。
『ころしゅ……ころしてやりゅぅう……!』
砕かれた口から、血と恨言が溢れる。
瞳には濁った光が未だ残り、意志だけで、
ミセリコルデを殺める程の気迫があった。
「エスコシェイルの……!本気の技だったのに……!」
傷を負った状態で、無理な姿勢からの体術、
それは彼女の肉体を著しく酷使していた。
下半身の筋肉は疲労によって痙攣し、
与奪の冥刻魔法によって開けられた肩の穴は、完全に塞がってはいない。
お互いは既に、満身創痍の状態にあった。
『欲しい……!ほしい……!闇の力ぁ……!生きる力ぁ……!よこせ!よこせぇ!』
がむしゃらに鉤爪を振り回すも、与奪には既に鉄の重さを制御する膂力は残されていなかった。痛みを遮断していただけで、刺突による傷は致命的だったのである。
次第に握力も失い、鉤爪が地面に落ちるも、
それを拾い上げる所作は無い。
最早、感覚すら失いつつあった。
血に塗れ、雪に、泥に塗れながら
与奪は力を欲した。
ミセリコルデの持つ、闇の寵愛を
「どうして……そこまで……!」
『欲しい……!欲しい……!欲しい……!』
少女の素朴な疑問は届かない。
振りかぶる腕に力は無く、
ミセリコルデもまた、回避する力を失っていた。
『う……【奪う】……!!』
冥刻魔法の発動と同時に、
与奪の弱々しい拳が少女の頬に触れる。
その時、ふたりの意識は大きく弾けた。
彼は自身を語らず。
故に、わかり合えない。
大量の出血による死を目の前にして
与奪は、走馬灯を見た。
一説によれば、走馬灯は過去の出来事から
自身が生き残る可能性を模索する防衛反応とされているが、思い出す事は幼少期から現在までの辛い思い出だけであった。
彼が【与奪】となるはるか昔、
口減らしとして親に捨てられ、
保護された先で孤児同士の争いに塗れた。
暴力よって支配された小さな社会は、子供の生き方や人格を歪めるには充分であった。
腹が満たされる事はなく、愛される事もない。知った事は生き抜く術としての暴力。
他者から奪う事でしか生きられないという、厳しい現実。
時が過ぎて、歪んだまま15となった彼は、
賊の首領となり、数多くの悪事を積み重ねていた。
力に屈した者達に飯を与え、手懐け、増やし、更に悪の勢いは加速してゆく。
気まぐれで助けた者達が、泣きながら飯を食う姿を見て、今まで与えられた事のなかった感情が、僅かに芽生えた瞬間もあっただろう。
だが、その当時、それを理解し、受け止めるような【教養】や【経験】が彼には無かったのだ。
暴力での悪が報いを受ける時は、
決まって、更に大きな暴力が襲い掛かる。
傭兵で構成された討伐隊が現れたのだ。
留守中、寝込みに薬を仕込まれ、賊は壊滅。
帰って来た頃には、無勢に他勢となったこの状況で、突如、【与奪】が目覚めた。
奪う力は討伐隊を苦しめ、最終的には撤退という形で、与奪は生き残ってしまう。
そして、自分に力を与えた偉大なる存在を知って、新たな居場所を得た所で、与奪による、短い記憶の想起は終わった。
与奪は何も語らない。
矜持、自尊心、人格、思考、価値観、倫理。
与奪を形作っている人生そのものが
他者との理解を、共感を、共有を拒絶し、諦めているのだ。
心を許せば弱みにつけいられる。
そんな環境下で心が育める筈はなかった。
しかし、いくら彼が諦めようとも
彼の能力は、彼の真の欲望を示していた。
与奪の持つ冥刻魔法の本質が真に
奪い、与える事であるならば
ミセリコルデに負傷を与えた際に、
自身の傷は無かった事になる筈だ。
だが、肩の傷は無くならなかった。
それは何故なのか、与奪は長い間
己の力について、考え違いをしていた。
与奪の持つ力の本質は【共感と共有】
他者と喜びを分かち合い、
共に苦しみを分け合う力。
【誰も教えてくれず、気付かせてくれなかった。】
ただ、それだけの事で、与奪の人生は狂い続け、更生の機会を完全に失ってしまったのだった。
「与奪の……記憶が……。なんて悲しくて、辛い記憶なの……。」
与奪の【与える】能力と、ミセリコルデの持つ闇の力が、ほんの一瞬結合し、意識と記憶の共有が成された。
それによって彼もまた、少女の記憶と体験を一部、脳に過らせた。
両親の温もり、温かい食事、安全に眠れる寝床、笑いが溢れる穏やかな日常。
それら全ては、与奪が持つ26個の宝石より、何百倍も眩しく、魅力的に映った。
『あなたの記憶……。なんて……安らかで温かいの……。なんで……ワタクチには……それが……無かったの……お母さん……どうして……どうして……【ぼく】を……捨てたのぉ……。』
どうして、何故、と彼は言って死を迎えた。
その問いに答えられるものはなく、与奪の瞳からは力が消え、熱が失われてゆく。
直接の死因は、刺突による、肩の出血。
力を求め、足りないものを奪い続け、
それに全てを注いだ男の結末。
死に際に気付きを得た事は、果たして彼にとって幸か不幸か、意識と記憶を共有をした筈のミセリコルデにも、それは分からなかった。
「……与奪のドミニショニス……。悲しい人……。」
ミセリコルデは、先程まで死闘を繰り広げていた相手の為に、短く祈りを捧げた。それにより、呼吸が整う程度の時間が経過していた。
肩の止血と共に訪れる虚脱感と極端な空腹
更には、止まらない脚の痙攣。
全身を蝕む痛みと、鈍く痺れる感覚。
「(……。飢餓の反応だ……。)」
己の力を超える無理な戦いと、
止血と治療によって起きた飢餓。
それによってミセリコルデの体内では
冥王細胞による【オートファジー】
【自食】が起こっていた。
細胞がエネルギーを求め、糧を、
贄を寄越せと騒ぎ立てる。
蓄積していたエネルギーに代わり
自身を構成しているタンパク質を分解する事で、エネルギーを生み出す働きである。
先程の激戦による、支払いを求めるが如く
欲求は時間の経過と共に強くなり、
ミセリコルデの意識すら奪う程であった。
「(ヴェルトが言ってた……。積極的に肉や卵を食べろって……。何か口にしないと……本当に死んでしまう……。死にたくない……。わたしは……生きたい……!)」
覚束ない足取りで、力無く歩いた先、
気付けば、彼女の腕の中に、戦闘前発見していた怪鳥の卵が抱えられている。
卵を大怪鳥の死体から引き剥がすと、
その体躯は急速に劣化を始め、腐食した。
卵が離れた事で、孵化と認識されたのだろう。親鳥はその役目を終えたのだ。
ミセリコルデは後ろ髪を引かれる想いで、
卵と向き合った。
「ごめんね……。だけど、これを食べれば……わたしは生き残れる……!」
卵に穴を開けようと、ミセリコルデは痺れる腕に喝を入れ、今出せる渾身の力を込めた。
その時であった。
【ドクン……ドクン……!】
「あっ……!」
卵から、熱く、強い鼓動が伝わったのである。この時彼女には、怪鳥の雛が【生きたい。生まれたい】と、主張した様に思えた。
「なんて……強くて熱い……っ……これが命……、命なんだ……。」
腕の中で発せられた、強い命の輝きに、
ミセリコルデは気圧された。
振り上げていた拳は行き先を失い、
そのまま時間が止まってしまう。
そこに現れたのは、追っ手を振り切り、合流を果たした、ヴェルトとトーマス
『何をしている小娘!……!くそ、嫌な予感がして戻ってみれば……!』
「お嬢ちゃん!何があった!?この戦いの跡は……一体どうしたことだ……!!」
『狩人!すぐに小屋からありったけの食料を持ってこい!急げ!!』
「わ、わかった!!」
ミセリコルデを発見したヴェルトは、周囲の状況を瞬時に察し、彼女の体内へと融合を行った。
『待っていろ……!余のエネルギーを今分けて……!ぐぅぅ……!なんたる食欲……!【自食】が既に起こっていたのか……!体が動かぬ……!』
飢餓状態だった身体に、ヴェルトという栄養を持つ存在が、突如として現れたことによって、食欲衝動が津波の様に押し寄せる。
『小娘何をしている!抱えているそれは卵であろう!その大きさであれば、貴様の命は繋がる!早く食べろ!死にたいのか!』
「生きたい……けど!目の前で生まれようといる命を奪いたくない!」
『冥王細胞が余の制御を大きく上回っておる!このままでは共倒れしてしまうぞ!』
「わかってる!でも……わたしには出来ない……!」
『……命の光に魅入られたか……!小娘、貴様が何を思おうとも、冥王細胞は強大なエネルギーを求める。それはやがて自分すら食い尽くすまでに至るであろう。それが、力を持つものの代償だ。受け入れろ。卵を食べるんだ!』
「いやだ!」
『生き物から命を奪う!それが強い生物の仕組みだ!霞では生きてはいけないんだぞ!』
「わかってる!でも!この瞬間だけは!この卵だけは食べない!命の意志を知ってしまった!わたしは自分の命も!この小さな命も諦めない!!」
理屈や道理を超越した強い気迫。
我儘の一言では片付けられない熱情に
冥王ヴェルトは一種の興奮を覚えた。
『なんという傲慢……!強欲……!己の命を左右する欲望を、更に強い意志で塗り潰そうというのか……!!ふ……!ふはははは……!それが答えか小娘……!よかろう!余も共に抗ってやる!強き命の宿命に!』
「今だけでいい!わたしは!霞でも生きていける様に、なりたい!!!」
『そうだ!それが小娘、貴様の欲だ!冥王の細胞よ!命の源流たる闇の力よ!!今こそ超越の時……!!』
ヴェルトの叫びに呼応するかの様に冥王の細胞は活性化し、超振動が起こった。
構成細胞を覆っていた冥王細胞のひとつひとつが、隣り合う細胞に喰らい付く。
細胞同士の共喰いが始まったのだ。
『ぐぅぅ……!!命を求めて細胞が暴れておるわ……!!苦しいだろう小娘!これが、理に逆らい、己が意志を貫くという事だ……!!』
「ぐぅあぁぁぁぁぁーーーっ!!!」
全身を中から食い破られる様な、激痛が走る。そのあまりの痛みに、ミセリコルデは雪の上をのたうち回った。細胞が減る度に新たなエネルギーが生まれ、死んでゆき、その余波によって、身体から蒸気が発せられた。
再生と崩壊を繰り返し、命は新たな段階へと昇ろうとしている。
『冥王細胞が……人の意志、強い欲望を喰って……!進化する……!!命の枠を超え、あらゆる物質を取り込み、己が力へと変換する……!構築されているぞ!新たな生命が!!誕生する!!』
ミセリコルデの全身から光が溢れる。
細胞の活性化による熱が、周囲の雪すらも溶かし、大地は呼応するかの様に震えを上げた。
それは大陸全土を僅かに揺らし、この世界の何人かが、大いなる力の産声を悟った。
この瞬間、ミセリコルデは自身に起こった変化を認識する事となる。
「こ、呼吸で……力が満たされる……!」
『【霞を食べて生きる】小娘の欲望に、冥王細胞が従ったのだ。以降、この特殊な呼吸法によって、大気に含まれる水素と酸素から【動力】エネルギーを摂取する事が可能となった。』
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本来【動力エネルギー】とは機械等に使われる文だが、この世界においては【身体を動かす為に使われる力】と認識してもらいたい。
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『【天露の呼吸】、とでも呼ぶべきか……。本来、生物は水だけで生きてゆく事は出来ぬ。その理を覆したのはひとつの【超越】。【進化】とも言える。さあ、小娘、存分に腹を満たせ。』
「……飢餓感が薄れただけの気もするけど……。集中して呼吸している間は、お腹が空かないみたい……。」
『小娘の身体の中でどういった反応が行われているのかは、追々解明して行くことにするとして、まずは状況を確認するぞ。』
ふたりは小屋に戻るまでの道のりで、
互いの情報を擦り合わせた。




