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紅の救世主  作者: メアー
5章.暗躍と決意
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28.暗躍と翻弄されし者達





北の山にて、二体のガルデルダ討伐及び

フラウ救出がなされた事で、豊の英雄譚にまたひとつ、楽章が追加される。


吟遊詩人は挙って英雄の唄を作り

それは人々にとっての、新たなる希望や刺激を生み出していった。



豊は、約束であった醤油の件を確約させる事に成功し、徐々に製法や用途などが民衆へと広がってゆく。


その噂は王宮にまで轟き、軟禁状態にあったミセリコルデ達にも届いた。


教会内部は慌ただしく駆け巡り、彼女の身辺警護であるエスコシェイルの姿も、朝から見当たらない状況にあった。


護衛である彼女が、神子に対してなんの通知も無しにそばを離れるという事は、今までになかった事である。



「今日のご飯は自分で用意しなきゃ。」

一同が出払っている為か、囚われの神子は屋敷の厨房で支度を行う。


『救世主、また派手に暴れ回っておる様だな。余らの耳にまで噂が届くと云う事は、余程の武勲を立てたらしい。』



「流石はユタカです。わたし達の事も早く助け出して貰いたいものですね。」



『ふはははは!小娘も言う様になったではないか。力を付け、余裕が生まれて来た証拠であるぞ。』



「残された薬はあと2つ。それまでに何とかしてここを出なくちゃ……。」


『摂取するならば、栄養価が高い物が望ましい。獣肉、魚、米、麦、豆、果実、或いは虫や卵。生命の原形に近い物であればある程有用と言えるだろう。欲を言えば、強い生き物の赤子などが、最適であろうな。』


「生き物を生で食べるのは、抵抗があるなぁ……。」


ふたりが脱出の算段をつけている最中

突如として来訪者が現れる。


「神子様、一大事に御座います!」


声を荒げ、姿を見せたのは

神光教会の私兵達であった。


彼の話によると、北の山を中心とした周辺地域で、獣達が一斉に暴れ出したと云う。


討伐に出た一部の執行者エクスナンバーズも、教会私兵と共に深傷を負い、その場に釘付けになっているとのことであった。


「現在執行者の方がたった1人で被害を抑えております……!私は運良く逃げ仰せ、こうして救援の要請を……!」


「何故、わたしに……?教会の事ならば、他の司祭様達にも……。」


「執行者……、エスコシェイル殿が前線に立たれているのです……!あの方は組織の主軸であり、教会の理性。是非、神子様の治癒術にてお力添えを……!」



「まだ朝ご飯が……。」



「用意した馬車の中にございますので、お早く!」


背中を押され、馬車の中へと押し込まれる。

中には小さなランチボックスと控えめなおにぎりが入っていた。


明らかに足りていない朝食を口にしながら、馬車は走り出した。


「それにしても……、あの神官の人、初めて見たな……。誰だったんだろう。」


『ともあれ、この場を脱する好機やもしれぬ、硬直していた時を動かす為にも、流れに身を任せてみようぞ。』


「う、うん。ヴェルトの言う通りかもしれない。」



馬車に揺られ、検問を超えた先。

二度の昇降機を経て、馬車は動き出す。


馬二頭がいななきをあげ、ミセリコルデは自身の場所も、これから向かう先も分からぬまま、長い時間が流れた。


不自然な程に外部との接触が遮断されている為、彼女は情報を得ることができない。


教会の秘密主義はここまで徹底しているのかと、失意に暮れる。



先程とは打って変わり、車体の揺れがより激しいものへと変化した。整備された石畳から未舗装の雑道へと乗り上げた印象を受け

しばらくすると、馬車はその場で停止した。


「神子様。到着致しました。」


扉が開かれ、車体から降りると

そこには見慣れない外套と鎧を着込んだ男達が複数、馬車を取り囲んでいた。

彼等の刺繍と装飾には、金色の大鷲が模されている。


「私の役目はここまでだ、連れて行け。」

ここまで彼女を運んだ神官戦士は、態度を急変させ馬車を走らせた。


置き去りとなったミセリコルデは、

状況を上手く飲み込めず、

唖然としていたが、此処でようやく

あの神官戦士が偽者であると思い立った。


徹底した秘密主義の教会。

その手口を逆手に取った、内部スパイによる大胆な誘拐だったのだ。


組織の内部構造を知らないミセリコルデにとって、それは盲点と言える手段であった。



「さっさと連れて行くぞ。」


この状況で詮索をすれば、身に危険が及ぶと考えたミセリコルデは黙って従った。


その様子をヴェルトも黙って観察している。

現在地が何処であろうと、あの閉鎖された空間から脱出した事は大きな進歩であった。


隙を見て逃げ出す算段は付いている。

彼女を拘束した三人の男達が雑談を交わす。


「癒しの神子様と云うからどんなのが出てくるかと思ったが、まだガキじゃねぇかよ。」



「丁重に扱え。それが上の指示だ。彼女の状態次第で、我々の首は胴体とお別れする羽目になるぞ。」



「無駄口を叩くな。この先で閣下がお待ちだ。丁重に神子を連行しろ。」


素性の分からない男達によって

ミセリコルデは誘導され、そのまま森の中を進む。数分歩くと、開拓された地に天幕が張られている拠点へと辿り着いた。


複数の兵士と、積載された物資に馬、と天幕

どれも数週間の滞在を想定した量であろう。


天幕の下では、軍服を着込んだ人物が、彼女の到着を待ち望んでいた。

ミセリコルデは目の前に立たされ、周りの男達は敬礼を行った後下がった。


紫軍服の男により、ミセリコルデの拘束が解かれ、謝罪として深く礼が行われた。


相手は物腰の柔らかそうな人物であった。


「お待ちしておりました神子様。ワタクシはドミニ・ショニス。闇の眷属にして、庇護を司る者……。この度は、突然の事で申し訳ありませんでした。しかし、これは貴方様をあの劣悪な集団からお救いする為だったのです。」


「話を聞かせてください。」


「はい。我々はイグレジアス発祥の【金の大鷲】と云う、古くから、かの地を統治していた一族の末裔です。【イグレ】には【原初】という意味があります。」



「何故、わたしを教会から?」


「神子様の奪還が、神光教会……ひいては現ジアス国における、一番の痛手になると踏んだからです。話によれば、神子様は強引な手段で拐かされたとか……。」


「その通りです……。あの人達は誘拐をして……でも、子供達を保護している事も真実で……。わたしも何がなんだか……。」


男は彼女の様子を、注意深く観察し

その人格を見定めている。


「状況が飲み込めないのも理解出来ます。この世はまさに、未曾有に大混乱に見舞われている状況にあります故……。」


「詳しく、事情を説明して頂けますか?」


「我らが神子様の為であれば、喜んでお話致します……。事の始まりは千年前、我らが神、【冥王イウオール】様が【壁】を乗り越えてこの世界に現れた事です。」


「冥王……。」


ミセリコルデの頭には、現在身体を共有しているヴェルトが思い当たったが、それを冥王は否定した。


『……歴代冥王の記憶は余が補完しているが、【イウオール】という名は存在しないはず……。一体何者ぞ……。』


「冥王様はこの世界を支配していた古代人達と戦い、互いが滅びるまでその戦いは続いたとされております。そして長い眠りにつき、歴代の金の大鷲は、その復活を待ちわびておりました。そして時を経て、眷属達は各所で姿をあらわにし、更には神子様の様な特別な力を持つ存在が現界されたのです。」


『此奴ら、闇の力に魅入られし者達か……』


「それで、わたしを攫った件はどう繋がるのですか?」


「はい、それにつきましては、この後合流する予定の本隊へ向かいながらお話を……」


ドミニがミセリコルデを別の馬車へと誘導し、詳しい事情を口にしようとしたその時


「敵襲!」という大きな声で話は中断された。


「まさか教会のものが……!?一体どうやって居場所が分かったと云うのだ……。念入りに立てた計画がぁぁぁ……!」


ドミニは自分の肩を掴みながら、己の激昂を押さえつけ、冷静さを保とうとしている。


それと同時に木々が倒れる大きな音が、徐々に近付いているのが感じられた。


「神子様ぁぁぁっ!神子様は何処いずこぉぉ!」


遠く離れた、高台の天幕から見えたのは

両手の手斧で、立ちはだかる男達を薙ぎ倒し、直進してくる女性、【清めのエスコシェイル】だった。


「エスコシェイル……!我々の陽動に掛かったのではなかったのか……!!」


ドミニの顔には、明らかな焦りが滲む。

それはやがて、覚悟の表情へと変わる。


「【双斧連撃・阿國あぐに!】」


両手に携えた片手斧が対の軌道を描き、圧倒的な速度によって命を刈り取ってゆく、


「【鷹蹴重撃・伊國いぐに】!」


放たれた飛び膝蹴りは兵士達の鉄仮面ごと、

顎を砕いて頭を飛ばした。


エスコシェイルの放った双斧術と格闘術


その動きには淀みや迷いなどが一切存在せず、意気揚々と立ち塞がった筈の兵士達は、ひとつの例外なく恐れ慄く事となる。



エスコシェイルは、その隠されていた実力を【金の大鷲】達を八つ裂きにする事で示した。その速さは獣を超え、縦横無尽に動き回り、一振りの攻撃で相手を畏怖させ、全体の士気を下げる。



「なんという事だ……。我々がいくら隠密部隊とは言え、相手は一人だぞ……!神子様!一旦避難致します!こちらへ!お前たちも来い!」


「はっ!」


ドミニが僅かな近衛を引き連れたまま

ミセリコルデの手を取り、走り出すが

事情を知らされていない彼女は迷っていた。


彼女に対して、どちらの言い分が正しいのか、未だに明確な判断要素が示されていないからだ。


そんな迷いが、彼女の足を重くし、不整備な道によって転倒を余儀なくされる。


「きゃっ!!」


「神子様、お立ちください。此処で捕まれば、我々の計画は瓦解し、御身は再び王都の地下に逆戻りとなります!お早く!」


「は、はい!」

懸命に足を前に動かすも、人々の断末魔は止まず、その声は段々と近くなってゆく。


「神子様ぁぁ!!」

エスコシェイルは迷う事もなく、一直線に向かって来ている。


「この入り組んだ森の中、一体何を手掛かりに神子様を追えるのだ!?こうなれば仕方あるまい……。お前たち、時間を稼いでくれ!」


「はっ!」

ドミニが連れていた僅かな近衛は、

各自散開して道に立ち塞がる。


「邪魔するなぁぁぁぁぁぁぁ!!」

しかし、エスコシェイルはそれを難無く薙ぎ倒し、踏み付け、屠る。


それでも、ほんの少し、一呼吸程の僅かな猶予が生まれた。


ドミニは懐に忍ばせていた小刀を、自らの腕に突き刺し、詠唱を始めた。

周囲は騒々しさから一転し、暗雲立ち込める陰険な雰囲気へと様変わりする。


「冥界より生まれし、異形なるものよ。数刻の時を翻し、今此処に顕現したまえ……。闇を司りし神の眷属、庇護のドミニ・ショニスが命ずる。【闇の落とし子】よ、現れ出でよ!」


彼の滴る血液と影を媒介とし、異界の門が開かれる。

辺りの草木から命を貪り、異形のものが静かにその姿を表した。


律動する黒と紫の混合色。生き物と呼べるか不確かなものが、金属や油の様なギラギラとした光沢を放ち、体液を撒き散らして這い出る。その顔に目は無く、大きな複数口だけが露出していた。


混沌を体現したかの様なその異形は、人間の四肢や臓器を不揃いに継ぎ接ぎした見た目をしており、その醜悪さから、直視する事を憚らせる。


身体の奥から、虫がわき出る様に、全身から蛇に似た、黒く細い触手が蠢き出す。


生き物の枠から外れ、それでも尚、意志を持ち、呼び寄せた者の願いを聞き入れ、

尸の山を築き終えたエスコシェイルの前に立ちはだかった。


初めて遭遇する化け物の悍ましさに、彼女はしばし身を硬らせるが、それを気力で捻じ伏せる。両手に握った手斧に今一度、力がこもる。


「なんという化物っ……!こんなものが……この世に存在しているとは……!」



ドミニはミセリコルデに向かって懺悔する。


「異形はこれから我が名に従い、この場の命を刈り取ろうと、エスコシェイルを殺すでしょう。ワタクシ達の戦いに、幼い神子様を巻き込んだ事、深くお詫び申し上げます。守り通せず、不甲斐ない我々をお恨み下さい……。」


そう言い残して彼は、化物の影に飲まれて消えた。




「どうしてそう、みんな勝手なの……!」


事象に巻き込まれ、訳もわからぬまま

またしても命の危機にさらされる。



これまで、心労を積み重ねて来た彼女は、

急激な心性疾患によって過呼吸に陥り

ついには、その場から動けなくなってしまう。


呼吸が上手くいかず、手足は痺れ

舌の先まで、深刻な渇きが襲う。


『呼吸を整えろ小娘。ここでへたり込んでは余も貴様も、ここで終わりだ。』


彼女の心は限界だった。若い身でありながら怒涛の非日常が訪れ、人ではなくなった。

たかだか14の少女に課せられるには荷が重過ぎるというものだ。


更には朝食を食べ損ねた為

体内のエネルギーが不足し、低血糖による

著しい目眩に襲われた。




目の前に迫る不形態の化物は、ゆっくりとこちらへと向かってくる。

それを遮ったのはエスコシェイルだった。


「神子様には指一本、触させはしない!!」


人間の速度を超越した彼女の猛攻は、触手を吹き飛ばし、泥の様な身体を引き裂いた。

化物は、重油の様な体液を撒き散らし、歯を頻りに軋ませ、激しい呼吸を続ける。


異形は触手を振り回し、攻撃を行うが

エスコシェイルはそれを軽々と回避、

後を追ってきた兵士達も次々と犠牲になる。



『いかん。奴は無差別に攻撃しているわけではない。』


ヴェルトの言う通り。

異形の化物は周囲の兵士達を取り込み、自身の糧にしていたのだ。触手で引き寄せた人間を生きたまま、複数ある口で甲冑ごと噛み砕き、飲み込む。


「助けてくれ〜っ!!うぼぁっ!!」


金属が砕け、骨を折り、肉を裂く音と血飛沫に人間の断末魔が混ざる。

凄惨な地獄の再現がここでは行われていた。


「やられてたまるかぁぁぁ!!」


触手を逃れた兵士が一斉に異形へ攻撃する。

その勢いを利用して、的確な反撃が行われ、

兵士達は1人残さず串刺しとなった。


『本能による、一早い反撃反応だ。仇なすものを全て敵と認識している……。しかし、何故だ……。何故、奴は……。余と同じ特性をはらんでおる……。』




異形の化物は攻撃の際に、回避を誘発させ、自らの位置をエスコシェイルと入れ替えた。


執行者がミセリコルデに駆け寄ろうとするも、それを遮る様に化物は反抗する。


意思のないように見えた黒い異形は

【神子を守る】

という一点において、その存在を示しているのだ。


神子に寄り添うその様子は、

そう受け取らざるを得ない状況にあった。


この場で一体誰が自分の味方なのか

ミセリコルデは答えを導き出せずにいる。


乱れた呼吸が、思考を鈍らせ

身体から力が失われる。


彼女が息苦しさに膝をつく最中

執行者は異形へと切り掛かってゆく。


両手に携えた手斧は、躍動する黒い肉体を引き裂き、剥き出しの歯を砕いて、体液を飛び散らせるが


生命としての特徴を持たないそれに対し、攻撃が有効であるかどうかの判断が付けられずにいる。



「神子様を返してもらうぞ!!」

エスコシェイルは、満を侍して手斧に備え付けられた仕掛けを起動させる。


得物から滴り落ちる透明な液体。

それは、鼻を突くような刺激臭漂うものであった。


「人々には【水の清め】を、仇なす者には【火の浄め】を……!」


執行者は、武器を互いに衝突させる。

金属同士の接触は火花を生み、それは液体へと激しく燃え移る。


業火を纏った対の手斧は、空間に火の軌道を描き、異形へと襲い掛かる。


炎の斬撃が命中すると、異形の表面を覆っていた体液が発火し、そのまま大きな炎を作った。


「汚れなき炎に抱かれて消えろ!」


熱せられた手斧を押し付ける事で、

黒く甲高い絶叫が響き渡り

異形の表皮は、熱に焼け崩れる。


その炎は、動きを無くした者にも容赦なく、

更に勢いを高めていく。


如何なる生物も、天高く舞う炎の前には

平等なのだ。


炎から逃れる為、火のついた部分を分離させ

生き延びようと足掻く異形。それは次第に本体を弱体化させる行為に他ならなかった。


確かな手応えと、絶叫を目の当たりにし、

【浄めの執行者】は勝利を確信した。


いや、緊迫した状況からの解放を望み

【そうあってほしいと願った】のだ。


懸命な儚き願いは己が瞳を曇らせ、

真実から遠ざける。

それは、目を瞑るのにも等しい。


最後の抵抗か、切り離されていた異形は、全身から鋭利な棘を露出し、執行者へと突撃した。

動きは遅く、予測や回避は容易に見えた。


しかし、背後のそれは陽動である。


エスコシェイルは、己の背後から迫る脅威に対して反応をした為、正面の対応に遅れた。



倒した筈の異形は、炎に身を焼かれたまま

自身の身体を変質させ、執行者を取り込もうとしていたのだ。


炎を纏った液体が、容赦なく執行者の肌を焼き、身を焦がしてゆく。


「あ゛ぁぁあ゛ぁっ!!!」


続けて、先程回避した鋭い棘が襲い掛かる。

迫り来る、炎と鋭利な棘。


言い表し難い激痛が身体を支配する。

本来それは、脳に警告を発し、全身に危険を知らせ、窮地を脱する為の機能だが


脊髄反射による、一瞬の硬直が

エスコシェイルの命と未来を飲み込む。


抵抗虚しく、身を焦がし、焼け爛れる絶叫と

破砕音が異形の中で起こった。




「……エスコシェイル……!」


ミセリコルデには見守る事しか出来なかった。疲弊した状況では、己の身ひとつ守れない。そのせいで、自分を慕う者すら失う。


絶望に打ちのめされ、言葉を枯らし

力無き、今の神子には

異形の姿を凝視する他なかった。



その時である。


「負けるかぁぁぁああっ!!」



異形の肉体を内部から引き裂き、エスコシェイルは、体外へと滑り落ちる様に脱出した。

身体の表面はほぼ炭化し、左腕は失われ、右目も開かない。


それでも、闘争心は失われていなかった。


「燃えてなくなれぇ!!」


今一度、手斧の仕掛けを発動させる。

自身の鎧と切っ尖を弾かせ、火花は液体へと移り、より一層炎は高く燃えた。


火の軌道を描く、渾身の一撃が

異形の巨躯をひしゃげさせる。


粘りある漆黒の体液が、辺りに飛沫し、

地面は大きく抉れていた。

その範囲の広さから、攻撃の重さが測れる。


異形の破片から抜け出し

エスコシェイルは立ったまま、

覚束ない足取りで辺りを見回している。


「神子様!やりました……!神子様……!何処ですか……!エスコシェイルが脅威を払いました……!もう大丈夫です……!」




ミセリコルデは目の前に居た。

それでも、彼女は神子を呼び続けた。

執行者の瞳に光はなく、既にその機能を失っていたのだ。


「エスコシェイル、わたしはここに居ます。無事です。」


「あぁ……。良かった……。貴女さえ無事なら……。バウロン卿が……。喜ぶ……。私は……今まで、生きた意味を……。」


エスコシェイルは、ミセリコルデの手を借り

その場に座り込む。彼女の呼吸は浅く、鼓動は弱い。全身の火傷が酷く、焼け爛れている。


「大丈夫です。【活性】で治ります。治しますから……。」


執行者の残された腕をとり、ミセリコルデは活性を発動させた。


指先を通して光が溢れ、対象の身体へと流れてゆくが、やがて光は霧散する。



『……無駄だ小娘。其奴の体細胞は、深部まで炭化している。人の身では再生出来ない。それに、お前は空腹なのだ。活性を使えば余と共に餓死する。手を離し、死なせてやれ。』


「いやです。」


『……細胞の崩壊の方が早い。無駄だ。』


「諦めません!!」


ミセリコルデは隠しておいた【ヘルミナ薬】を2本同時に飲み下した。

一時的に空腹は紛れ、活性の効果も飛躍的に上昇した。


しかし、人間の身体は何処か1箇所でも致命傷を受ければ、そこから死がやってくる。


失った血の量は軽視出来ず、

【活性】の再生する速度よりも細胞が死ぬ速度の方が遥かに早いのだ。




『……勝手にしろ……。』


ヴェルトはミセリコルデから分離し、巨大鼠形態で辺りの死体を漁る。

少しでも生存の可能性を上げるには、異形の食い残しでも取り込むしかなかったのだ。


『余も甘くなったものだ……。』


続いて、焼き焦げた異形の残りも取り込もうと、冥王が黒い体液に触れる。

しかし、取り込めない。


『……おかしい。エネルギーが、かけら程も残されておらぬ……。まさか……!』


何かの気配に感づき、冥王は踵を返す。


向かった視線の先には、

必死に活性を施すミセリコルデと


瀕死のエスコシェイル目掛けて、

飛び掛かる異形の姿であった。


止める間も無い、瞬きよりも早い捕食だった。黒い大口は執行者を一撃で噛み付き、

いく層にも連なる、剥き出しの歯で砕き潰した。


焼け焦げた肉体に水分はなく、炭を噛み砕いた様な乾いた咀嚼音が響く。


活性の為、ミセリコルデが握っていた右腕だけを残し、異形はその身体にエスコシェイルの全てを取り込んだのだ。


「あっ……。」


一瞬の出来事を把握しきれず

握ったままの右腕に視線が落ちる。


先程まであった生命は、無惨にも咀嚼され

飲み下された。


「あぁあ゛あ゛あぁぁあぁっ!!」


残された腕と、そこから溢れた僅かな血溜まり。


その光景は余りにも悲惨であり、

彼女が心に受けた衝撃は、言葉に表し難い。


怒りか恐怖か、ミセリコルデは恐慌状態へと陥り、異形へと殴り掛かろうとしていた。


『いかん。』


ヴェルトは、高速で撃ち出した【絶】によって、異形の核。根源を絶った。


途端、異形は液状化して地面へと広がった。


「……なんでこんな事に……。」


悲鳴をあげるでもなく、

ミセリコルデは現実に打ちのめされていた。


「わたしが何をしたというの……!」


『……小娘に非はない。貴様は大きな意志の流れに翻弄されたに過ぎぬのだから。』


「わたしの力が、【活性】が悪いの!?この力の所為で……!」


『確かに、小娘の力を欲して、物事は動きだしたかもしれない。』


「わたしは、どうすれば良かったの!?」



『過去を想い、振り返る事に意味はない。他者からの翻弄を忌むのであれば、自らで意志の流れを生み出すのだ。』


「それは……!強い人の考え方でしょう!わたしは強くない!ただの弱い、女の子だもの!」


『【意志の力】は単なる力のみにあらず。自身を弱き者と改める事が出来る者は、決して弱くはない。小娘、今のお前は【強くない】だけだ。』



「……わたしはこれから……強くなれる?」



『……貴様の中でその答えが導き出せたという事は、余と行った日々の訓練にも、意味があったという訳だ。』



「……!」


人から教わるだけでなく、自らの経験と知識

、思考により、答えを導き出した事は

人生にとって特段価値の高いものであった。


ミセリコルデは、冥王の助言を始めとし、過ごした時間と経験によって、思考の窮地に活路を見出したのである。



『……立てるか?小娘。』


「うん……。」


『貴様は立派だ。余はその境地に至る迄、多くの時を無為に過ごしてしまった。』


「ありがとう、ヴェルト。貴方が居てくれたからわたしは……。」


『さぁ、余を取り込め。ほんの少しだがエネルギーを補充出来るだろう。』


「うん……。」


ミセリコルデは冥王を抱きしめ、感謝を示した。ヴェルトが身体へと溶けたその瞬間、彼女に変化が起こる。


「すごい……!とても熱い想いが……私の中に流れ込んでくる……!これは……エスコシェイルの記憶……?」


可視化した記憶の断片が、走馬灯の様に頭に流れ込んだ。知識と記憶、経験に至る全ての要素がミセリコルデの糧となる。


脳内のニューロンが、シナプスが、身体のリミットを数段成長させ、それに準じて肉体にも多少の変化が起きる。



『奴を取り込んだ異形を、余が吸収した事により、力を得たか……。執行者ひとりでこの力の充実感……。あの娘、相当な使い手だったのだろう……。』


冥王は炎を取り込んだ事により、力の一部

【滅】を取り戻していた。



「エスコシェイル……。私の中で生きて……力を貸してくれている様な気がする……。」


『行くぞ小娘、【金の大鷲】達の残骸に手掛かりが残されているやもしれぬ。』


「うん……!」


ふたりは来た道を引き返し、金の大鷲が陣を敷いていた拠点まで戻る事が出来たのだった。


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