22.神化の秘法
豊たちが醤油に狂っていた頃
時同じくしてミセリコルデにも異変が起こっていた。
「おかわりお願いします!」
景気良く差し出した茶碗であったが
それを受け取る者は伏した顔を青くしている。
「み、神子様申し訳ありません。用意したおひつが全て、空にございます……。ご容赦を……。」
エスコシェイルは、空になった3つのおひつを示し、謝罪を行う。
ミセリコルデは、身体の強化と共に食欲を増幅させ、人々の度肝を抜いていた。
「そ、そうですか……。次はもっとたくさんご飯を用意してください……。」
ヴェルトとの融合合体を経て、自身の身体能力が強化された彼女は、己の基礎代謝向上による弊害に悩まされていた。
『炭水化物もそうだが、やはり血肉が不足している。こんな拘束生活では満足に補給も出来ない……。』
力尽くで脱出するに十分な能力は揃ったが、後のエネルギー不足を考慮し、未だふたりは囚われの身であった。
動かなければ、ある程度消耗を減らせるが
それにも限度は存在する。
『脱出したとしても小娘に喰わせるエネルギーの確保が難しい。慎重に事を運ばなくては余の身も危険となるからな……。』
いざとなれば人間を食べれば済む話だが、それでは救世主が許さないだろう。生きる為とは言え、人を喰らう事は推奨されない。
『……。燃費を向上させなくては、今後の生命維持にも支障をきたす。小娘、あの研究者に協力を要請しろ。』
「えっと、ストゥーデさんでいいのかな?」
『奴は余らに借りがある。うまく利用する以外手はないだろう。』
こうしてふたりはストゥーデが働く、研究所へと足を運んだ。彼女は相変わらず仕事に追われていたが、ミセリコルデの来訪によって全て部下にそれらを押し付けた。
「代謝を抑えたいですか……。確かに神子様のお身体を考慮すれば、解決しなければならない問題ですね……。他の子供達にも対処しなければならない課題でもあります。」
「お腹が空いて、夜寝れなかったりと支障が出るんです。助けて下さいっ。」
しばし、思案を巡らせ
彼女は思い出したかの様に立ち上がる。
「分かりました。なんとか薬で解決してみましょう。既に投薬実験が完了している薬品があります。それを試してみましょう。」
ストゥーデが薬品棚取り出したのは、デュルクニア南部の砂漠で採取された
【巨大蜘蛛ヘルミナ】から抽出された体液の化合物である。
蜘蛛の糸はタンパク質で構成されており、【巨大蜘蛛ヘルミナ】が巣を作る際に出す糸には、通常の数百倍の密度で構成されている。
「ヘルミナの体内で変化した体液は一雫で牛乳ひと樽の栄養価があります。これを精製して飲み薬としました。」
「それを飲んだらお腹いっぱいになりますか?」
「残念ながらこれは数が少なく、そのまま摂取したとしても、一時凌ぎにしかならないでしょう。根本的な解決に至らず申し訳ありません。ですが、一本で数日。急激な空腹はこの薬で収まる筈です。」
「ありがとうございます。助かりますっ。」
以前より、子供達の生命維持装置を取り外し
長く活動させる目的を達成する為、準備されていたのだ。
「デュルクニアに侵攻している【執行者】の方に文書を出しておきます。現在、戦場は激化しているという話ですが、上手くいけば生きたヘルミナが手に入るやもしれませんからね。さぁ、お受け取り下さい。」
「ありがとうございます。」
「ヘルミナの様に高純度の栄養となると、数が限られます。王都から北の山に巣を持つ【大怪鳥ガルデルダ】の卵や、西の谷に住まう【毒牙のワルドイド】の毒などがあれば神子様を手助け出来るのですが……。」
ミセリコルデは、小さな薬瓶3つをストゥーデから受け取り帰路に着いた。
『小娘、薬の分析をする。寄越すのだ。』
「はい!」
ヴェルトは薬を体内に取り込む。
しばらくすると分析が終了し、薬品を再構成して瓶へと戻した。
『やはり、高純度のタンパク質に必須アミノ酸が多く含まれている。それと、脂質を分解してエネルギーに効率よく変換する【スタールミナン】という微生物も存在している。冥王戦争以前の微生物がこの星にも存在していたとは……。一応解明してみるか……。』
この試みにより、ヴェルトにも微生物に対する能力が確立した。
それによってヴェルトはこの星の真実に更に近付く事となる。
『……やはり、進化の根底に【冥王因子】が存在していた。この体液の主、【ヘルミナ】という生物にも【覚醒】が起こっていたという訳か……。道理で余の身体に馴染む訳だ……。』
「ヴェルト、何が分かったの?」
『この星には、闇術に精通する者の手がはいっておる。目的は分からぬが、これを見過ごす訳にはいかぬ。小娘、余がお主を一人前の覇王に育ててやる。覚悟しろ。』
「ふえぇ……。早く村に帰りたいよぉ……。」
この日から改めてミセリコルデはヴェルトの特訓を受ける羽目となる。
冥王には予感があった。
救世主の手によって救われたミセリコルデに新たな英雄の姿を見ていたのだ。
『小娘には自身の身を守る力を教えてやる。この世界、守られてばかりではダメだ。』
「はぁ……はぁ……。はいっ!私、頑張ります!」
ミセリコルデは自身の境遇に苛まれ、強気者から虐げられてきた。しかし、幾度と無く死地を乗り越え、力を得た事で新たに闘争心が芽生えたのであった。
『ふははは!救世主を待つ事もない!小娘と余の力で事の元凶を探し出し、目にものを見せてやるのだ!!』
「おーっ!」
ミセリコルデが庭先で訓練を積んでいる最中
世話役であるエスコシェイルが現れた。
「神子様、教練の中失礼致します。我が新光教会の大司教【グージーン】様が御目通りを求めておいで故……。まずは【清め】を行い、聖堂へと参りましょう。」
修行後のミセリコルデを見たエスコシェイルは、たっぷりと沸かした湯により、土埃で汚れた彼女の身体を清める。髪を香油で洗い、丁寧に行われるその行為は、乱れなき工程を経て完璧なものへと昇華されている。
「はふぅ……。」
温かな湯の効果によって、少女から安堵の声が自然と引き出された。
ミセリコルデは、日夜続いていた緊張の中で、ひと時の安楽を得る。
エスコシェイルが行う洗髪は、髪のケアだけでなく、頭皮の按摩も含まれている。
程良く的確な指圧により、自然と肩の力が抜けてゆく。
「それはよう御座いました。私の【冠】である【清め】は水による洗礼によって与えられたものです。その名に恥じぬ様、洗髪の研磨を続けてまいりました……。全ては世の為、人々の為……。」
神光教会における洗髪は衛生面だけでなく、宗教的な意味合いも強い儀式のひとつである。【洗髪式】と呼ばれる年間行事もあり、教会で高い地位を持つものが、人々の健康を祈って子供達に洗髪を施すなどしている。
「神子様は特別なお方……。私の手には、いつにも増して、熱意が篭ると云うものです。ふふ……。なんと美しい髪……。心が清らかであられる証拠ですわ……。」
洗髪中の長い髪を、愛おしそうに掬い上げる
職人の手捌きで、丁寧にお湯で流してゆく様子は
何処となく常軌を逸している印象を受けた。
だが、その懸命さを目の当たりにしたことで
少女は、神官戦士対して悪い印象を持つ事は出来なかった。
清めが終わった頃、既に馬車が用意されており
教会の神子である彼女には拒否権などは存在しなかった。
馬車内部には窓はなく、完全に外部の情報が遮断されている。
『あくまで小娘に脱出経路を探らせないつもりか……。用心深い奴等だ……。』
「エスコシェイルさん、【グージーン】様はなんの用で私と会うのでしょう?」
「あぁ、神子様は外部から来られた方ですものね。新光教会では入信された方に洗礼を行うしきたりがあるのです。神子様は特別なお方ですので、大司教様直々に洗礼を行うと決定し……それで日程を調整した所、急遽今から……。」
『勝手な奴らだ。小娘を誘拐しておいて悪びれもしない。……いや、待てよ。余りにも当たり前過ぎて考えていなかったが……。故奴等、小娘が無理矢理連れて来られたと知らないのではないか……?』
「あの……エスコシェイルさんは私について、なんと言われてますか?」
「はい。ヤットコ村で覚醒し、自ら民を救う事を選んだ【奇跡の神子】であり、我々の活動に賛同し、喜んで教会に入ったと伝えられております。」
「えっ、いや、あの……。」
「なんでも、重傷者を奇跡で治療し、陛下のご病気まで治されたされたとか。あぁ、なんたる心深き慈愛、神も嘸かしお喜びになっている事でしょう。」
エスコシェイルはその場で神への祈りを捧げ、涙を流して感動を露わにした。
『無駄だ小娘。この手の狂信者には聞く耳かが無い。人は信仰によって道を簡単に違える愚かな生き物だ。形成された常識は【偏見】によって確立し、他者を阻害する。もし神を語る不届き者が、お前の血を不老不死の霊薬と言えば喜んで手に掛けるだろう。』
ヴェルトの発言は脅かしではなく、警告であった。
教会を刺激すればどの様な仕打ちが待ち構えているか
想像できない程に人の心は純粋で残酷な側面を持っている。
神妙な面持ちで通された聖堂内は、静寂に包まれ
絢爛なステンドグラスを通した色鮮やかな光が
その場に優しく差し込んでいる。
聖堂の奥には豪華な正装に身を包んだ大司教と、側近の者達が控えていた。
側近達はそれぞれ特殊な形状の覆面で顔を隠しており
そのせいで男女の判別すら望めない。
「【清めのエスコシェイル】、神子様をお連れし、ただいま参上致しました。」
「ほほう……。その娘が神子様か……。些か、若過ぎるという印象であるな……。」
大司教を差し置いて発言をしたのは、烏の嘴を模した覆面。
その特殊な形状は【ペストマスク】と称すれば想像に難くないだろう。
「【止めのグロリア】、神子様に対して無礼であるぞ。」
「……ふん。」
エスコシェイルにグロリアと呼ばれた人物は
品定めをするかの様にミセリコルデの周りを一周し
鼻を鳴らしてから定位置へと戻った。
この場には大司教を始めとした執行者が4人集まっている。
「【止めの者】が失礼をした。私は【大司教グージーン】。お目にかかれて光栄です神子様。」
「初めまして……。ミセリコルデです。」
「本日、神子様にお越し頂いたのは他でもありません。元来、神子様には国王陛下のお側で病気の治療を行なって頂く予定でしたが、めでたき事、先日の治療により、陛下のご容態が安定致しました。それに伴い、神子様には引き続き、我々教会に御助力頂き、悲願である【神化の秘法】を共に捜索して頂きたいのです。」
「私、国王陛下の治療が済んだら村に帰れると……。」
「そんな神子様!我々の求める【神化の秘法】は覚醒を成した貴方様だけが手掛かりなのです!何卒、御力添えを!神は申しております!神の啓示を受けられる我々、神光の教徒こそが、人々を導く手本となり、道を示すのは使命であると!その為には人々を高みと誘う術、【神化の秘法】が必要不可欠なのです!!」
『コイツ、薬で小娘の意識が薄れていると思っているな……。小娘、従ったフリをして外に出る好機やも知れぬ。話を適当に合わせておけ。』
「分かりました、しかし、村の人達が心配しますので一旦帰らせてください。」
「神子様、貴方様は最早、敵国から狙われる身に御座います。村の者にはこちらで使いを出しておきます故、ご安心下さい。」
『いちいち癇に障る……。この場で全員皆殺しにしてやりたいが、この【執行人】とやらが厄介だな。余の敵ではないにせよ、多勢に無勢だ。小娘、従ったフリをしておけ。こちらに【活性】がある限り、下手に手出しは出来ない筈だ。』
「は、はい……。」
相手は手段を選ばない連中である為、ふたりは慎重な行動を強いられていた。
ミセリコルデの新しい生活が始まってから既に1週間が過ぎようとしていた。
彼女は毎日の様に鍛錬に明け暮れ
神官達との面会に顔を出す生活を過ごす。
側でヴェルトが支援をしている事もあって
彼女は神子としての仕事を卒なくこなし、暮らしていた。
時折、運び込まれた重傷者を治療し、感謝をされた後に、空腹で眼を回す。
回数を重ねる毎に【活性】の精度は増したが
その分エネルギーの消費と疲労は着実には増えていった。
誰にも事情を明かさず、理解されない環境下の中
唯一、世話役であるエスコシェイルが話し相手であった。
彼女には執行者としての責務がある為
最初は食事と湯浴み以外に顔を合わせないふたりだったが、
同性という事もあって、ミセリコルデは少しずつ環境に慣れてゆく。
「やはり、神子様の髪は大変お綺麗です。頭皮の基礎がしっかりしていらっしゃる。さぞかし、素晴らしいお家に生まれたのでしょうね……。」
「そんな事……私は一般市民の生まれで……既に両親も……。」
沈んだ彼女の様子に、エスコシェイルはしばし、思案を巡らせてから口を開いた。
「……私の父は酒浸りのろくでなしでした。母は私を置いて逃げ、父は私を孝行に出すという名目で下衆な商人に売りました。その際、旧執行者である【バウロン卿】に助けられたのです。」
「大変でしたね……。」
「バウロン卿は私を引き取り、育て、この世の理不尽に立ち向かう力を教えてくれました。」
「……何故、私にその話を……?」
「へ、変でしたか!?人との理解を深めるには秘密や生まれを話す事が適していると、先日バウロン卿に聞いたので……!えっと……こういうコトではありませんでしたか……!?」
「エスコシェイルさん、人付き合いは不器用ですね。洗髪の腕はいいのに。」
「め、面目ないです……。第一、神子様の世話役に選ばれたのも、女であるというのが一番の理由でしたから……。他にも適役は居たと思うのですが……。実力を考慮すると……。お守り出来るのは私くらいだと……。」
少女は、この不器用な執行者への理解をほんの僅かに深めた。
そして、これをきっかけにふたりは互いに歩み寄る様になる。
教会の執行者であるエスコシェイルは、世事に疎く
この国における一般的な女性が持つとされる常識等が著しく欠落していた。
それ故に、対話において齟齬が発生したりもしたが
彼女は基本的に善人であり、引き取られた後の育ちの良さ
ひいては環境の良さが全面的に現れていた。
「私の仕事は神子様を守ることであり、その為には考え得る全ての危険を排除する次第です。」
忠実な彼女は、執行者としての仕事がない日であったとしても
日がな一日ミセリコルデに付き添う程である。
しかし、彼女の思惑は任務にのみ傾けられているものではない。
その中には一途な信念が込められており、ミセリコルデにも
自然と読み取れるものであった。
「私の行いが、神子様の寂しさを少しでも紛らわせる事に繋がれば良いと、心から願っております。それに、勝手ながら……。こうやって女性同士でお話する機会がありませんでしたので……。とても新鮮で……楽しいです。」
年端も行かぬ少女の様に、眩しく笑う彼女は
とても【執行者】の肩書を持つ様には見えなかった。
ミセリコルデは、自分の状況をどうするべきなのか思い悩んでいた。
人としてこれだけ確立しているエスコシェイルなら、話せば分かるだろうか。
または、自分をこの場から連れ出してくれないだろうかとも考えた。
「それでは、神子様。私は執行者のお仕事がありますので、また後程……。」
だが、執行者として仕事に赴く彼女の眼を見た時
背筋が凍る程の冷たさを知った。
これがもし、自身に向けられたらと思うと
迂闊な行動は避けるべきだと、口を噤む。




