21.恋は盲目、食は強欲
大多数戦闘を終え、傷を癒す豊は
例の如く、露天浴場での湯治を実施していた。
嗜好を凝らせた石造りの浴場が、山を見晴らせる景観と相応し
見事な調和を生み出して風情を演出している。
世界と文化は異なるが
構造物に対する美的な感性などは共通なのだと、豊には感じられた。
「はぁ……いい湯だぁ。冥王も濡れるのが嫌とか猫みたいな事言わないで入れば良いのに……。」
熱い湯と休憩を繰り返し、柔らかな風に肌をさらす事で、自律神経を刺激し
脳のリラックスと血行の促進、筋肉の緊張を緩めるなど、様々な健康改善が望めるのである。
「ととのう……。」
「ユタカよ、やっておるようだな。」
湯に身を委ね、油断していたところで
露天浴場に現れたのはイゾルデであった。
一糸纏わぬ美しき姿立ちであるが、やけに湯気の立ちこめが激しい。
「イゾルデ殿……。一度剣を交えた仲とは言え、いきなり裸の付き合いなどと、拙者の理性と倫理観を試しているのでござるか?」
その様子に心の乱れなし、と冷静さを装う豊だったが
焦ると口調が武士になるのは相変わらずである。
「我が家の風呂だ。好きにさせてもらう。貴様程の男であれば、私の裸体で心を乱したりはしまい……。」
「ふふっ、買いかぶりすぎでござるよ。我が槍が天を穿つ勢いで……。」
「貴様の得物は戦斧であろう?槍などいつ使ったのだ?」
「我が渾身のセクハラが通じないとは……。して、何をお望みですかな……?」
「大した事ではない。本日の多数戦を労おうと思ったまでだ。見てみろ、星が綺麗だぞ。」
「そうでござるな……。」
豊はこの満天の星の果てに、自身の故郷へと想いを馳せていた。
残して来た家族、帰れぬ身となった事。
これまでと、これから。
回復に専念する事で、今まで見ないようにしていた現実が
イゾルデの来訪によって心乱れ、直面する。
豊は楽観を心で制御しているその実、心配性なのである。
甘える存在なき今、そのストレスは矛先を見失っていた。
「帰りたい……。」
豊が小さく漏らしたその一言は、イゾルデにも届いていた。
多くを語らない彼が溢した少しの弱音。
それは、大きな隔たりを生み出し、女の心を擽った。
湯に濡れ、憂いた横顔が青年の顔をより幼く見せ
年上の女性をかき乱したのである。
「ユタカ、見てみろ。東の空に大きな星が見えるだろう。」
「えっ?何処ですか?」
「目線を合わせろ、あそこだ。」
イゾルデは豊に寄り添い、彼の腕を掴むと、空を指差した。
そうする事で互いの見ている視点を併せる事が可能だからだ。
「あっ、よく見ると赤い……点滅する星が……!」
「あれが【赤点星】という星だ。学者によると、この時期にしか観測出来ない珍しい星だ。運が向いて来ているな。」
「はい、左様で……。」
豊は点滅する赤い星を眺める。地球とは異なる現象や摂理
それらの神秘を知るのは何よりも知的好奇心を満たせるのであった。
「西の空を見ろ、こっちは【極天星】一年中場所が変わらぬ為、旅人や船乗りの灯台となる存在だ。」
「一層輝いておりますね……。」
「ユタカ、貴様の子細は問わぬ。私の想像も及ばぬ事象が起きているのだろう……。ならばこそ、【策を満たして時を待ち、美味なるもので心をも満たす】そうあるべきだとは思わぬか?」
豊には聴き慣れない諺であったが、言葉の意味は察する事が出来た。
【人事を尽くして天命を待つ】に【腹が減っては戦は出来ぬ】を掛け合わせた様なものであると云う察しはついた。
「そうでござるな……。」
満たせぬ事象に思いを馳せるよりも、現状で可能な道を探る方が余程健全である。
そう気付かされた豊は、ひとつの衝動に駆られた。
不安と不満を解消するには、炭水化物と脂と塩の化合物が必要であると。
「ラーメン……。作るか……!感謝致しますぞ、イゾルデ殿!」
勢い良く湯から立ち上がる豊。
その目には新たなる光と、胸には眩き希望を携えていた。
「……天を穿つ……剛槍……。」
その日の彼女は長風呂であり、様子を見に来た侍女によって、茹で蛸の状態で発見された。
「俺は今日。ラーメンを作る。」
『唐突であるな、救世主。して、【らぁめん】とは如何なるものぞ?』
「ラーメンとは、我が故郷に伝わりし麺料理で……。」
その後、豊による道が示された。
ラーメンとは、中華麺とスープを主とし、様々な具を組み合わせた麺料理である。
「問題は醤油などの調味料が存在するか否か、なのだが……。これは王都の食材市場を見てから考える他ないでしょうね……。」
異世界において、地球と同じ様な食文化や調味料が存在するか。
という野暮で意義のない議題が度々挙がるが
文化とは、環境によって形成される不形態な概念である為
条件さえ揃えば自ずと成立するのだ。
降水量が十分にあり、土地に恵まれ、豆や米が収穫可能。
それでいて気候や温度が適していれば微生物なども存在して然るべきなのだ。
そもそも、太陽系以外で人類が生存出来ている過程がある時点で、現在の科学では発見されていない未知の構成物があってもおかしくないのでこれ以上の説明は不要とする。
『救世主、何か嫌な事でもあったのか』
「そもそも、異世界を旅している僕に対して有り得ないとかは存在しないんだよ。そりゃあ何もないところから超科学的な発明品がパッて出て来たら文化どころか、世界観自体が構成出来てない事になるけどさ……。」
『貴様の深淵を垣間見た。それ程まで信念を傾け、欲望を剥き出しにする料理、食してみたくなったわ。』
豊は朝早くから市場へ出た。
天幕が連なる露店が多く存在し
中にはその場で料理を販売している店舗もあった。
盛り場特有の混雑した匂いと、数多くの視覚情報が、気分に高揚を誘う。
「ジアス国の流通事情から察するに、食料自給率は高水準である事が解る。」
ジアス国には、発展した河川航路が多数整備されている。
そのおかげで、国の中央に存在する王都には物資が集中するのだ。
視線の先には肉屋が存在していた。
冷蔵技術が無い時代において、肉は塩漬けや燻製加工が一般的であるところだが、それに加えて、生きた家畜を店先に掲示している。
『確かに、市場に生きた肉が乗ると云う事は、需要と畜産、または狩猟が安定していると云う事だ。』
「娯楽の方向性が食に注がれていて、先程米や麦、果実の酒も見つけた。この国食文化には期待している。」
ふたりは市場を練り歩き、配置や商品の流れ、個人の工夫などを見て回った。
その中で、カイパーがある店を発見する。
『心なしか、あの店の一部に品不足を感じられる。空白には何が入ると思う?』
「看板のレリーフからして果物を販売する店の様だが、青果が並んでいないな。乾物ばかりだ。」
「すまんな兄ちゃん、ここ2日はセントジアス北の街道が封鎖されていてね。なんでも、【怪鳥】が出たんだと。去年より予定が早かったから、一部物流がこの有様よ。たまったもんじゃねぇが、飛んでる鳥を落とす事は出来ねぇ。残念だが、青果は諦めてくれ。」
「そうですか、また今度にします。」
その後、豊は自らの経験と実績を以ってして
ラーメンに必要な材料を揃え始めた。
出汁には肉と複数の香味野菜を起用し、麺用の小麦粉を求めた。
しかし、ラーメンの鍵とも言える【醤油】は
その工程と手間から【高級調味料】の座に君臨していたのだ。
「まさか、ここまで来て市場に醤油が出回っていないとは……!」
創作の過程で、この国の一部には
【醤油のひとさじに金貨を要する】と云う諺まで残されている。
大抵は貴族が独占し、庶民に回ってくる分は無く
専門の百姓や職人もお抱えである為
技術は門外不出とされている事まで突き止めた。
海の幸無き今では【塩】という選択肢を導き出す事は困難を極めている。
「やはり醤油が無ければ……!造ろうにも麹菌を個人で手に入れるのは最早……!」
豊が頭を抱えている最中、ラーメンへの欲求は力を増し、さらなる闇が顔を出す。
『菌か……。この文明水準では、存在を調べるにも解像度が足りないだろうな。』
「……冥王。時に、人の体内で傷を修復する際、他の細胞をどうやって把握している?」
『我には細胞どころか構成分子や原子の形までお見通しよ。細胞くらい訳ではない。なんなら原子核、陽子まで見てやろう。』
「醤油に使われる麹菌の構造が分かったらそっくりなのを作れないか?」
『そこまでして醤油を……?それ程まで此奴を狂わせるとは一体……。しかし、貴様は今【具象】を封じられておる。どうするつもりぞ。』
「前々から試していた事がある。」
豊は材料と道具を揃え、イゾルデの屋敷にある厨房へと籠った。
『して、何を行うのだ?』
「僕の口内において【時を掛ける創造】を再現するんだ。」
『糧は何処から持ってくる?』
「僕の体内には日本で過ごした記憶と経験が眠っている。きっと何処かに生き残った菌がある筈なんだ。」
『そんな訳ないだろう。貴様の様な人類モデルは一定の周期で細胞が入れ替わる仕組みの筈だ……。……そうか、それで【再現】なのか』
現実を侵食する【具象】は本来
神の力によって【世界】の事象に介入するものであり
現在使用を禁じられている。
それは、この世界に【神界機構】が関わっていないからだ。
しかし、豊自身の身体に影響を与える術の使用は可能である。
「それは何故なのか。」
『術の媒介と影響下が【世界自体】ではなく【自身】だからか……。』
「僕はそう考えた。」
『では、醤油を口の中で再現し、生み出せるのではないのか?』
「そうもいかない。仮に出来たとしても、量が確保出来ないしね。実際に再現可能な範囲は【口内分泌液】を媒介に【変化】を加えて【要素】である麹菌を生み出すくらいだろう。それを、米を咀嚼する事で付着させ、取り出す手筈だ。」
『【醤油】に必要な菌を変化で生み出し、我に抽出と厳選をさせるつもりだな。菌の判別は我には出来ぬぞ。麹菌というのは見た事がない。』
「それは問題無いと思う。実際に含まれた多数の菌は増殖の過程で個別の働きを起こす。醤油に必要な醤油麹【黄麹】は混ぜた麦と豆に対して反応が異なる。腐敗させようとする雑菌だけを殺して、他を分別してゆけば、自ずと醤油に適した菌が見つかるという寸法さ。」
『かなり手間が必要みたいだな……。なる程、そこで我の【純単多細胞】か……。麹菌に突然変異を起こさせるのか。』
「どう転ぶかは分からないけど、恐らくは醤油、味噌、酒に適したそれぞれの麹菌が生成されると予想している。」
『この木桶の山は、その為か……。』
この場には小さな木桶が10個用意されており
それぞれ発見した菌を分別する目的がある。
冥王の体内で分析を行えば、更に解像度は上がり、麹菌の詳細は明確になるのだ。
そして、並々ならぬ情熱と執着で麹菌の生成と分別を試みる事2日。
遂に醤油に適したであろう麹菌の生成分別が為されたのであった。
『救世主、お前はまごう事なき変態だ。食事の為にここまでの労力を割くなど、正気では無い。あと、主に我の負担がおかしい。菌の分別とか何を考えているんだ。』
「醤油が僕を狂わせているのさ。その意味はラーメンを口にした時に明らかとなるだろう……。菌を作る間に他のスープの素や麺は用意出来たんだ。後は醤油のみ……。」
醤油に適した麹菌を分別し、突然変異を起こした。
『我の名を取り【冥王麹】と名付けよう。それくらいの権利はあるはずだ……。』
細かな作業により冥王は萎れていた。
適切な微生物を発見し、変異させる程の疲労は
戦いの中ですら味わったことの無い境地であるとのちに語った。
冥王麹は冥王の意志により急激な速度で
麦と豆等の混合物から醤油を構成してゆく。
本来ならば数年掛かる工程を
明確な意志のもとに操作する事で効率を上げているのだ。
「こんなの市場に流れたら経済が崩壊する……。これは永久に我々の秘密ですぞ……。」
『任せろ……。我の体内で麹菌の特色を分析済みだ……。酒や味噌とやらも作ってやる……。もう後には引けぬぞ……。』
ふたりは睡眠不足と極度の疲労で高揚し、意識が無くなってきていた。
そして夜があけ、【冥王醤油】は完成した。
頭がおかしい救世主に唆され
冥王がその生涯で、一番神経を尖らせた逸品である。
「美味い……。この一雫に黄金の価値あり……。」
『複数の変化を持たせた冥王醤油だ。今後使う際は我が体内で精製する。こんな頭のおかしい行為はもうやりたくない……。』
本来ならば数百年という期間で確立させるべき工程
それを数日間に短縮する行為は、冥王に多大なる負荷を強いる。
この件によって、冥王は物質だけで無く
微生物に関しても知識と特色、操作の方法を掴む事となった。
『後は任せた……。貴様の言う【ラーメン】早く作って食わせてくれ……。』
「ありがとう冥王!ありがとう!」
『お前、小娘を助けた時と同じ感謝してるぞ……恐ろしい男だ……。』
豊は強烈な醤油へと欲求により、理性の崩壊と共に、倫理観も失っていた。
冥王の急激な苦労の末に完成した【冥王醤油】を使用し、ラーメン作りは始まった。
まずは3日間煮込んだ肉と野菜のベーススープは
鳥を丸ごと煮込み、旨味の凝縮と味の広がり、コクを生み出しており
そこにニンニクと生姜で滋養と風味を足す。
香味野菜の甘味と脂の甘味。種別の異なる【甘】によって【旨】が引き出される。
この時点にて灰汁を取る。というのは良くないと、英雄は語る。
灰汁は旨味の素であり、余す事なく頂くのが礼節だと説いた。
肉における灰汁はタンパク質や脂質の分解物であったりするが
野菜も共に煮込んでいる為、捨てずに使う事とする。
煮込み豚を仕込む際に出た脂も、ラードとしてスープに忍ばせた。
麺は小麦粉から練りだし、叩き上げ
やや細い縮れ麺とする事でスープとの融合と調和を目指した。
具材は焦がした大量のネギ、醤油煮込み豚と煮卵。
「海苔やメンマも欲しかったが、市場では時期的に材料が無いと言われた。こればかりは仕方ない。」
スープ、麺、具材を盛り付けて完成。
「こ、これが【冥王ラーメン】だ……。」
完成した一杯からは痛烈な香りが漂い
鼻腔から食欲を司る脳の部分を、直接殴る様な強い刺激が襲い掛かる。
それはまるで、劇物の様に豊を誘い、一口。
舌先にスープが触れると、複雑ながらも味わい深い熱が喉を、するりと通過する。
「ば、馬鹿な……!味わいたいのに!」
スープが滑らかで美味すぎる。これは口に含んだ濃厚な化合物を
一刻も早く身体が早く取り込みたいと、脊髄に要求しているのだ。
最早、脳の判断を仰ぐ必要すら無く、二口、三口と匙が口へと運ばれる。
調和した旨味と脂、塩辛さとアミノ酸が疲労した身体の奥底まで沁み渡る。
頬に電撃が走ったかの様な痛み。
なんと、旨味によって柔らかな【痛み】が訪れたのである。
「こ、これは危険だ。身体が求める!冥王の醤油……!恐るべし……!」
続けて麺。残念ながら豊の打った麺は、濃厚なスープに敗北を喫した。
これに関しては単純に、麺を作る練度不足であるが、スープが絡む分挽回が出来ている。
煮卵や煮豚と共に麺を頬張る。
焼きネギの香ばしさと爽やかさが口から鼻に抜け
煮卵の優しい舌触りと豚の柔らかな脂が口内を満たしてゆく。
全てに攻撃力が有り、間違いなし。
ラーメンは万能、幸福の刺激物。
豊の脳内にはセロトニンとドーパミンが駆け巡り、多幸感を引き出す。
「……あぁ、冥王ラーメン。出会えてよかった……。僕は、この世界に来た意味を見出せたんだ……。」
豊が涙を零し、一杯のラーメンを終えた時、冥王は箸を握ったまま膠着していた。
『恐ろしい……。塩と脂質の化合物がここまでの変化を遂げるなんて……。アミノ酸に含まれた成分が生命の根源に、【生きよ】と語りかけている……!過去に人間を取り込んだ影響か、味の良し悪しが細胞で理解出来る!これが真実の味……!』
次の瞬間、突如として冥王の身体に光が満ちた。
不定形の身体から発光が起こり、七色に輝いているのだ。
『こ、これは……!【細胞適合】!我が身に取り込んだ過去の英雄達が、記憶が!冥王のラーメンを食した事で蘇ったのだ!!』
本来、宇宙を再構築する際に、失ったと思われていた英雄達の力。
その実、力は失われたのでは無く
冥王の奥底に眠る記憶として封じられていたのだ。
『それが、今目覚めたのだ!!ふ、ふはははは!良い!!心地良いぞ!!』
冥王ラーメンによってカイパーが一部能力を取り戻した。
暗黒無限刀を構成する6つ目の要素。
【撃】その形状は戟
薙ぎ、斬り、払い、突き、打つ。
変幻自在の長物であり、周囲に蔓延る有象無象を一蹴する力が秘められている。
この後、ふたりは材料の限り冥王ラーメンを喰らい尽くし、死んだ様に2日間眠ったという。




