君は遠く
暫く前からユリアは静かになっていた。
思うところはある。けれど上手く言葉にならない。そういう雰囲気を滲ませながら、竜仁の半歩後ろをついてくる。竜仁もあえて話すべきことを思いつかないまま、やがて二人はアパートに帰り着いた。
「ふう」
部屋に入って畳の上に座ると、思わず声が洩れてしまった。トントンと自分で自分の肩を叩き出し、しかしすぐに手を止める。
「我が君」
「ユリア……何?」
ユリアは竜仁の隣に正座した。
竜仁も姿勢を改めて向き直る。世にも美しい少女の顔が、すぐ目の前にある。さすがに今さらこの程度で取り乱しはしないものの、澄んだ瑠璃色の瞳に見つめられれば、やはり鼓動が速くなるのを意識する。
「誠に申し訳ございません」
ユリアは指をついて頭を下げた。いわゆる土下座の格好だ。けれど挙措動作が美しいために、卑屈な感じはまるでしない。
「ユリア、いいんだ」
「しかし」
なおも言い募ろうとするのを、竜仁は身振りで止めた。ユリアの気持ちならちゃんと分っているつもりだった。知り合ってまだ一ヶ月に満たないとはいえ、とても濃密な時間を共に過ごした相手である。
「さっきも言ったけどさ、大事なのは二人の気持ちだから。鷹司さんはとても素敵な人だし、ユリアのことを本当に気に入ってるみたいだ。きみが好きになるのも無理はないよ」
「我が君……いったい何の話をされているのです」
「だから、僕と別れて鷹司さんとつき合いたいって話だろ。キ、キスまでしたんだしさ。そもそも別れるとか以前に、僕とユリアはそういう関係じゃないから、何か言う筋でもないんだろうけど」
ユリアは大きく息を吐き出した。半眼で竜仁を睨む。
「たわごとも大概にしてください。あんな女のことなど、今はどうでもよいのです」
「あれ? じゃあ何を謝ったの?」
「軽率な行動により、我が君にご心配をお掛けしてしまいました。いくら、『世界の存亡に関わる重大な事柄について話がある』などと言葉巧みに誘われたとはいえ、ろくに知りもしない男になど、簡単についていくべきではありませんでした」
「それはまあ、うん」
どの辺が言葉巧みなのかはよく分らなかったが、ユリアが深刻そうだったので突っ込むのはやめておく。
「でもそんなの気にしなくてもいいって。別に心配なんて」
「してくださらなかったのですか?」
「や、したけど」
「そうですか……よかった」
花が綻ぶようにユリアは笑った。もし叶うなら、摘み取って押し花にしていつまでも眺めていたい。そんな埒もない考えが浮かんでしまう。
「それにしても驚きました」
ユリアが感慨深そうに頷く。
「我が君が、私の居所を探り当てられるほどに霊力の扱いに長けているとは思いもよりませんでした。よし、鍛錬の量を今の五倍に増やしましょう。あと数年もすれば、きっと並の騎士程度にはなれるはずです」
たぶんそれよりずっと早く竜仁の体力が尽き果てる。
「せっかく褒めてもらったのに悪いけど、僕は何もしてないよ。全部鷹司さんのおかげだ」
ユリアは眉をひそめた。
「どういうことでしょうか」
「GPSって知ってる?」
「なんとなく耳にした覚えはあります」
「きみが持ってるスマホ、鷹司さんに渡されたやつだよね。それが位置情報を発信してて、鷹司さんの端末から調べられるように設定してあったんだ。僕がユリアの気配を察知したとかじゃない」
ユリアは沈黙した。冷静に意味を理解しようとしているふうだ。少なくとも即座にキレることはないだろう、と安心するのは早計だった。
ユリアは端末を取り出すと、無言でへし折りにかかる。竜仁は慌てて組み付いた。
「待って、鷹司さんに悪気はなかったんだって。あとでちゃんと話し合えば分るから、いったん落ち着こう、ね?」
もし壊して弁償などということになったら大変まずい。ユリアの食い扶持を捻出するどころか、家賃の支払いさえ危うくなってしまう。
「あの、我が君、分りましたから離してください。この体勢は少しばかり問題が……」
「わっ、ごめんっ」
気付けばキスをする寸前のような格好になっていた。しかも左手が微妙にユリアの胸に触れている。
もちろんわざとではない。もしそうなら、またもや壁際まで張り飛ばされる破目になっていたことだろう。
ユリアはスマホをテーブルの上に置いた。とりあえず粉砕処分にするつもりはなさそうだ。しかし表情は忌々しげである。
「やはり凛子は信用できません。我が君もどうか用心なさいますよう。気を許せばいつのまにか絡め取られ、身動きできなくされているやもしれません」
「うーん、たぶん大丈夫じゃないかな。鷹司さんは僕にはあんまり興味なさそうだしさ、はは」
だがそれで当然だった。見た目でも中身でも人に自慢できることのない竜仁だ。鷹司が近付いてくるのは、ただユリアに関わる時だけだろう。
「ごめん、ユリア」
「我が君が謝ることはありません。悪いのは全てあの女です」
「そのことじゃないよ。僕はまだ全然きみの期待に応えられてない。ユリアの主としてまるっきり力不足だ。そうだよね?」
「それは……」
ユリアは否定しなかった。根が生真面目なのだ。もっともらしい嘘がつけない。
「たぶん僕の中には、タツヒトの魂のかけらが宿ってるんだろう」
「そう、その通りですとも。故に私が我が君を主と定めたのは必然だったのです。我が君が思い煩う必要はありません」
「だけど僕はただの武大竜仁だ。天剣騎士ユギ・タツヒトなんて凄い人じゃない」
自分を勝手に誰かの代わりにするな――そうユリアを責めたいわけではなかった。ただ確かめたいことがあった。
「ユリア、答えて。もし僕が今の何倍も何十倍も、死ぬような思いで努力したとして、いつかはきみの大事なタツヒトにも負けないぐらいの戦士になれると思う?」
「……絶対にとは申しません。ですが」
「うん」
「我が君……竜仁様とタツヒト様とでは、霊力の器としての容量が桁違いです。おそらくは不可能でしょう。貴方に限らず、この世界で生まれ育った何者にも」
ユリアは絞り出すようにして言った。竜仁は小さく頷いた。
「だと思った」




