黄昏の焚き火と、若き日の足跡
東の大陸をさらに南下する荷馬車は、巨大プリンの名所を目指す街道の途中、小高い丘の開けた場所で夜を迎えていた。
パチパチと音を立てて燃える小さな焚き火。
パチッとはじけた火の粉が、満天の星空へと吸い込まれるように舞い上がっていく。
「ふぅ……夜風が少し冷たくなってきたわね」
シルフィが温かいココアの入ったカップを両手で包み込みながら、息を吐く。
隣では、お腹いっぱい干し肉とパンを食べたルチアが、カエルのぬいぐるみを抱きかかえて、蓮の膝の上でスヤスヤと気持ちよさそうな寝息を立てていた。
「ルチアのやつ、よく食べるしよく寝るな」
蓮が苦笑いしながら、ルチアの肩にそっと毛布をかけてやる。
「ふふ、子供はそうやって大きくなるのよ。……でもね、蓮」
シルフィが炎の向こうを見つめ、どこか懐かしむような柔らかい眼差しで目を細めた。
「ルチアと出会ったばかりの頃の火囲みを……覚えているかしら?」
「出会ったばかり……? ああ、あの壊れたジャンクショップから連れ出して、初めて三人で野宿した夜か」
蓮が思い返すように頷くと、シルフィは「ええ」と優しく微笑んだ。
――それは、まだ『神造遺物』を巡る旅が始まったばかりの、数か月前の記憶。
帝国『黒薔薇の天秤』の優秀な刺客(実行部隊)だったルチアは、かつて冷酷な命令に疑念を抱き、組織の裏切り者として追われる身となっていた。
激しい追撃戦の果てに傷つき、路地裏で倒れていた彼女を拾ったのは、たまたま街の古道具屋に立ち寄っていた蓮とシルフィだった。
『……我が名はルチア。無情の断空……。我が身に触れれば……命は無いぞ……』
当時のルチアは、血赤色の瞳を凶暴にギラつかせ、衰弱した身体でハサミの破片を握り締め、寄ってくる蓮たちを全身の殺気で威嚇していた。
「あの頃のルチアは、まるで怪我をした野良猫みたいに刺々しかったわねぇ」
シルフィがクスクスと笑う。
『道具に名前など要らん……我は命令に従い、敵を穿つだけの存在……』
傷の手当てをしようとする蓮の手を振り払い、食事すら「毒が入っているのではないか」と怯えて口にしようとしなかったルチア。
そんな彼女の心を溶かしたのは、蓮が焚き火の鍋で作った、なんの変哲もない一盛りの『温かいクリームシチュー』だった。
『……なんだこれは。毒か……?』
『毒なわけないだろ。冷えた身体にはこれが一番効くんだよ。ほら、食えって』
恐る恐るスプーンを取り、一口頬張った瞬間のルチアの表情。
濁っていた血赤色の瞳が、信じられないものを見たかのように大きく見開かれ、ポロポロと涙がこぼれ落ちていった。
『……あたたかい……。美味い……っ。我は……このような甘く温かいものを……食べたことがない……っ』
冷たい殺戮の道具として扱われ、「誰からも必要とされないのではないか」と怯えていた少女。
彼女が生まれて初めて知ったのは、人の温もりと、誰かと分け合って食べるご飯の「美味しさ」だった。
『ねえ、ルチア。私たちの仲間にならない? 美味しいごちそうを、もっとたくさん探しに行きましょう』
シルフィが優しく手差し伸べ、蓮が笑顔でうなずいたあの日。
『……ふん! 我を配下にしたいのなら、毎日あのシチューを食べさせるのだぞ、下僕!』
照れ隠しに叫んだその言葉から、三人の賑やかで温かな旅が始まったのだ。
「あの夜のルチアの泣き顔、今でもハッキリ覚えているわ」
シルフィがそっと膝の上のルチアの頬を撫でる。
「最初は『下僕』なんて威張ってたけどさ、翌朝には俺の服の裾をぎゅっと握り締めて離さなかったんだよな」
「ふふっ、可愛いわね。あの子、ずっと寂しかったのよ。帰る場所も、温かいご飯をくれる人もいなくて……」
シルフィは遠い星空を見上げ、愛おしそうに呟いた。
「私もね……数千年の時を生きる中で、たくさんの出会いと別れを経験して、いつの間にか『誰かと深く関わること』を怖がっていたの。また一人取り残されるのが嫌だったから」
シルフィは蓮を見つめ、世界で一番温かな笑顔を浮かべた。
「でもね、あの日あなたたちと出会えて……本当に良かった。孤独だった私に、ルチアに、最高の『居場所』をくれてありがとう、蓮」
「……何言ってるんだよ。俺だって、お前たちと出会えなかったら、この異世界で一人ぼっちで泣いてたかもしれないんだぞ」
蓮が少し照れたように頭をかくと、シルフィは「あははっ」と声を上げて笑った。
その時――膝の上のルチアが、むにゃむにゃと口を動かした。
「……んむ……下僕……今日のシチューも……美味いぞ……」
寝言交じりに呟き、蓮の服の裾をキュッと握り締めるルチア。
「ほらね。やっぱり、あの子のいちばん安心できる場所は、ここなのよ」
「……そうだな」
パチパチと弾ける焚き火の音と、静かな秋の夜風。
かつて傷つき、孤独だった三人が、傷を寄せ合い、温もりを分け合って紡いできた時間。
世界を救う秘宝の旅を超えて、彼らの絆はどんな呪いよりも強く、どんな時間よりも深く、この胸の中に刻まれていた。
「さあ、明日はいよいよ巨大プリンの街ね! ルチアが目を覚ましたら、一番に飛びついていくわよ」
「おう! 全種類買い占めて、みんなで腹いっぱい食おうぜ!」
夜空の星々が、三人の小さな温もりを優しく包み込んでいく。
終わらない旅の途中で、彼らは明日も変わらない笑顔で、眩しい朝を迎えるのだった。




