湯煙の夜市と、小さな恋の味
海鮮焼きそばでお腹を満たした三人は、日が落ちて一層賑やかさを増した『湯波港』の温泉街を散策していた。
街のあちこちから立ち上る湯煙が、色とりどりの紙提灯の灯りに照らされ、ゆらゆらと幻想的な光の街並みを作り出している。路地の両脇には、温泉の熱気を利用した食べ物や遊技場の屋台がぎっしりと並んでいた。
「わぁ……綺麗……! お昼の港町も素敵だったけれど、夜の温泉街はまるでお祭りみたいね!」
シルフィが浴衣の袖をふわりとなびかせ、提灯の光を見上げてうっとりと呟く。
そう、今夜の三人は宿で借りた『温泉浴衣』姿だった。
シルフィは若草色の爽やかな浴衣、ルチアは小さな体には少し大きめの紺色の浴衣を身に纏い、帯をキュッと結んでいる。
「ふん! 我の胃袋の準備はすでに完了しているぞ! 温泉蒸しまんじゅうの食べ比べ勝負だ、下僕!」
ルチアが鼻息荒く腕を組む。浴衣の袖が長すぎて手がすっぽり隠れているのが、なんとも可愛らしい。
「勝負ってなんだよ……。ほら、転ぶなよ、下駄履き慣れてないんだから」
蓮は苦笑いしながら、二人の少し後ろを歩く。
かつては『神の単眼鏡』を握り締め、殺伐とした戦場を駆け抜けていた少年も、今は手ぶらで、ただただ平穏な夜の空気をごく普通に楽しんでいた。
ふたりが吸い込まれるように向かったのは、白く濃厚な湯気をモクモクと上げる『湯蒸堂』という老舗のまんじゅう屋台だった。
「いらっしゃい! 温泉の源泉蒸気で一気に蒸し上げた『湯蒸しまんじゅう』だよ! こし餡、粒餡、芋餡、栗餡、いろいろあるよ!」
「全種類、三人分ずつ頂戴!」
シルフィが一切の躊躇なく注文する。
「お前なぁ……焼きそば食べた直後だぞ?」
「甘いものは別腹って、ルチアも言っていたでしょう? エルフの体内回路には、甘味専用の保管エリアがあるのよ」
「勝手に回路作るなよ……」
出来立てアツアツのまんじゅうが竹籠に乗せられて差し出される。
皮はふっくら柔らかく、指で触れると吸い付くようなモチモチ感だった。
まずは定番の『こし餡』を一口。
「「……ッ!!」」
シルフィとルチアの耳と髪が、幸せそうに同時に跳ね上がった。
「~~~~~っ!! 美味しい!! 皮が温泉の水分を吸ってモチモチで、中のこし餡が温かくてとろけていくわ!」
「美味い……! この甘すぎない上品な餡と、ほのかな硫黄の香りが絶妙な調和を成している……っ!」
ふたりは目を輝かせながら、芋餡、栗餡と次々にまんじゅうを口へ運んでいく。
「はいはい、喉詰まらせるなよ」
蓮が笑いながら冷たいお茶を差し出すと、ルチアが口の周りを餡子だらけにしながら、むぐむぐと頬を膨らませて蓮を見上げた。
「……下僕。あーん、しろ」
「はい?」
ルチアは自分の持っていた最後の『栗餡まんじゅう』を半分に割り、小さな手で蓮の口元へ突き出してきた。
「我の好物を分けてやるのだ。感謝して食べよ」
ほんのり頬を赤くしながら、そっぽを向いて差し出してくるルチア。
かつて無情の刺客として孤独に生きていた少女が、いまや素直になれない照れ隠しをしながら、自分の大切な食べ物を分け与えようとしている。
「……ありがとな、ルチア」
蓮が笑って一口かじると、口いっぱいに栗の芳醇な甘みとほくほくの食感が広がった。
「ん、マジで美味いな」
「だ、だろ……!? 我の選んだ品に狂いはないのだ!」
ルチアは嬉しそうに胸を張り、残りの半分を自分の口へ放り込んだ。
その光景を、シルフィはハーブティーを飲みながら、優しく、どこか温かな眼差しで見つめていた。
「ふふっ……なんだか、本当の兄妹みたいね」
「兄妹って……俺の方が年下に見えることないか?」
「見た目年齢なんて、何千年も生きている私からしたらみーんな可愛い子供よ。……でもね」
シルフィはそっと蓮の隣へ歩み寄り、浴衣の袖を優しく引っ張った。
「私にも『あーん』して頂戴?」
「えっ……シルフィまで!?」
「いいじゃない、ルチアだけズルいわ。ほら、私の選んだ芋餡まんじゅう、はい『あーん』」
シルフィがいたずらっぽく微笑みながら、熱々のまんじゅうを差し出してくる。
「あ、ずるいぞエルフ! 下僕に甘えるな!」
「甘えてないわよ、仲間同士のスキンシップよ!」
「嘘をつけ! 我ももう一回あーんする!」
「はいはい! わかったから二人とも落ち着けって! 浴衣がはだけるぞ!」
賑やかな笑い声が、湯煙の立ち上る温泉街の夜空へと溶けていく。
夜風が少し冷たくなってきた頃、三人は射的や輪投げの屋台で大きなカエルのぬいぐるみを(ルチアのハサミの技術を使わずに!)ゲットし、大満足で宿へと戻ってきた。
宿の大きな部屋の畳の上で、三人で川の字になって布団を敷く。
「ふぅ……今日もたくさん食べたわねぇ……」
シルフィが布団に潜り込み、パタパタと耳を動かしながら天井を見上げる。
「うむ……明日の朝食もあのまんじゅうが良いぞ……」
ルチアは抱き枕のようにカエルのぬいぐるみを抱きしめ、すでに今にも落ちそうなトロンとした目になっていた。
「お前たち、本当に食べるか寝るかだな」
蓮が電灯の紐を引っ張り、部屋の明かりを小さく落とす。
窓からは、静かな波の音と、ほんのりと温かな温泉の匂いが吹き込んできていた。
「ねえ、蓮」
暗闇の中で、シルフィの静かな声が響く。
「ん?」
「明日も……明後日も、ずっとこんな風に笑っていられるかしら」
「……あたり前だろ。世界を救ったんだぞ? 俺たちには、死ぬほど平和な毎日を楽しむ義務があるんだよ」
「……そうね。ふふっ、おやすみなさい、私の素敵な男の子」
「おやすみ、シルフィ。ルチアもな」
「……んむ……下僕……プリン……」
ルチアの寝言交じりの呟きに、蓮とシルフィは暗闇の中で顔を見合わせ、小さく吹き出した。
世界をめぐる大冒険の終着点。
そこには、何も起こらない、けれど愛おしくて堪らない、最高の日常が続いていた。
ガタゴトと明日も進む荷馬車に乗って、彼らの旅はこれからも、どこまでも続いていく。




