風の街道と、黄金色のやきそば
『黒薔薇城』での決戦を終え、平和を取り戻した世界。
世界を救ったという大層な肩書きも名声もどこへやら、荷馬車は相変わらずガタゴトと長閑な音を立てて、西の沿岸部へ続く秋の街道を進んでいた。
澄み渡る秋晴れの空には、イワシ雲がふわりと浮かんでいる。
爽やかな風が吹き抜けるたび、街道沿いのススキが黄金色の波のように揺れていた。
「ねえ蓮、見て! 風がススキの海を泳いでいるわ! まるで精霊たちのダンスパーティーね!」
御者台の横で、シルフィが金色の髪をなびかせながら、子供のように目を輝かせて歓声を上げる。
「はいはい、身を乗り出しすぎだって。落ちても風の魔法で助けないからな」
手綱を引く蓮が呆れ顔で苦笑いしていると、後ろの荷台の毛布の山から、ボサボサ頭のルチアがノソノソと這い出てきた。
「……下僕。我が胃袋の『海鮮感知センサー』が限界を迎えているぞ。昨日の夜から、我が頭の中は『海鮮焼きそば』の香ばしいソースの匂いで満たされているのだ」
「お前の胃袋センサーはただの空腹だろ。ほら、もうすぐ見えてくるからシャキッとしろ」
丘を越えた瞬間、目の前が一気に開けた。
青く輝く大海原と、湯気がいたるところから立ち上る風情ある港町――『湯波港』。
ここは豊富な温泉と、獲れたての海鮮を使った名物料理で知られる、西大陸屈指の癒やしの港町だった。
「温泉の匂いと、海の匂い……! それに、香ばしい醤油とソースの焦げた匂いが混ざり合っているわ!」
「下僕! 馬車を爆速で飛ばせ! 一刻を争う事態だ!」
「事故るわ! おとなしく座ってろ!」
馬車を小さな旅籠に預けた三人は、吸い寄せられるように港の賑やかな市場へと向かった。
お目当ての店は、巨大な鉄板を店頭に構えた創業百年を超える名物屋台。
職人気質のおじさんが、大きなコテを両手に持って豪快に海鮮を炒めている。
ジュワァァァァァッ―――!!
威勢の良い音と共に、ぷりっぷりの大粒エビ、極厚のイカ、足の太いタコ、そしてシャキシャキのキャベツが鉄板の上で躍り跳ねる。
そこに極太の蒸し麺が投入され、特製の秘伝ダレが回しかけられた瞬間、濃密で甘辛い香ばしい煙が爆発するように広がった。
「「……ッ!!」」
シルフィとルチアの足が、もはや伝統芸能の域に達した完璧な同調で停止する。
「……蓮。私、今すぐあの鉄板の上にダイブしたいくらいだわ」
「我もだ……! あのタコのぷりぷり感と、焦げたソースの香りは凶器だ! 我が理性が崩壊しそうだぞ!」
「ダイブも理性の崩滅もやめろ! 普通に買って食べるぞ!」
蓮は笑いながらコインを出し、「海鮮焼きそば、大盛りで三個!」と注文した。
「あいよ! 威勢の良いお兄さんたちだね、イカの足をサービスしとくよ!」
焼き立てアツアツの焼きそばが、木皿に山盛りになって差し出される。
仕上げに散らされた青のりと紅生姜が、鮮やかな彩りを添えていた。
港の木製ベンチに並んで座り、三人は木箸を手にした。
「いただきます!」
フーフーと息を吹きかけ、一口頬張る。
「~~~~~っ!! 美味しい!! 麺がモチモチで、海老がぷりっぷりで、甘辛いソースがお口の中で弾けるわ!」
シルフィが長い耳をパタパタと揺らし、両頬を押さえて幸せそうに悶絶する。
「う……美味い……! 麺に海鮮の旨味がぎゅっと染み込んでいる……! イカの歯ごたえも最高だぞ下僕!」
ルチアも口元をソースだらけにしながら、豪快に麺をすすっていた。
「熱いから焦るなよ。……ん、でも本当に美味いな。麺の香ばしさがたまらん」
蓮も笑顔で箸を進める。
かつて世界を滅ぼしかけた神造遺物の恐怖も、命を懸けた死闘も、ここには一切存在しない。
あるのは、心地よい潮風と、波の音と、香ばしい焼きそばの味だけ。
「ふぅ……美味しかったわねぇ……」
あっという間に完食し、シルフィがお茶を飲みながら満足そうに溜息をつく。
「む……我が皿がすでに空になっている……。下僕、これは何かの幻術か?」
「ただのお前が早食いしただけだろ。……ほら、拭けよ」
蓮が手拭いでルチアの口元のソースを優しく拭き取ってやると、ルチアは「むぐぐ……」と言いながらも、どこか嬉しそうに目を細めた。
ふと、シルフィが青い海を見つめながら、柔らかく微笑んだ。
「ねえ、蓮」
「ん?」
「私ね、旅に出たばかりの頃は、何か大きな目的がないと歩いちゃいけないような気がしていたの。12の秘宝を集めなきゃいけない、世界を守らきゃいけない、って」
シルフィは愛おしそうに蓮とルチアを見つめた。
「でも、今は思うの。美味しいものを食べて、綺麗な景色を見て、みんなで『美味しいね』って笑い合う……。そんなくだらない理由だけで、どこまでも歩いていけるんだなって」
長寿のエルフが見つけた、本当に大切な「旅の理由」。
「そうだな。目的があろうとなかろうと、俺たちが一緒に歩く道はいつだって楽しい日常だしな」
蓮が笑うと、ルチアが胸を張って割り込んできた。
「そうだぞエルフ! 次の目的地は、我が選ぶ! あっちの屋台で売っている『温泉蒸しまんじゅう』の食べ比べだ!」
「ちょっとルチア、焼きそば食べたばかりでしょう!?」
「甘味は別腹だ! 我が胃袋に限界など存在せん!」
「あはは、よし! じゃあ全員でまんじゅう屋に殴り込みだ!」
「「おーっ!!」」
三人は肩を並べ、温かな湯煙が立ち上る温泉街の路地へと歩き出した。
世界を救った大冒険の、その先にある物語。
特別な奇跡なんてなくても、彼らの笑顔がある限り、この世界はどこまでも優しく、そして最高に美味しい日常で満ちあふれているのだった。




