陽だまりの食卓と、終わらない旅の続き
世界を揺るがす十二の神造遺物を巡る戦いから、数か月が過ぎた。
あの大混乱が嘘のように、大陸には穏やかで平和な時が流れていた。
帝国『黒薔薇の天秤』は解体され、怪しい魔力の気配も世界から完全に消え去っている。
――そして、かつて世界を救った三人の英雄たちはというと。
「ちょっとルチア! ニンジンの皮、薄く剥いてって言ったでしょう! それじゃ半分くらい身がなくなっちゃってるわ!」
「うるさいぞエルフ! 我のハサミに切りやすさの加減など存在せん! すべてを一瞬で断ち切るのみだ!」
「包丁を使いなさい包丁を! ハサミで野菜を裁断するんじゃないの!」
眩しい秋の陽射しが差し込む小さな宿の厨房で、シルフィとルチアが相変わらずくだらないことでギャーギャーと騒ぎ立てていた。
「二人とも、喧嘩しながら仕込みするなよ。スープに飛沫が入るだろ」
エプロン姿の蓮が呆れ顔で苦笑いしながら、大きな鍋の蓋を開ける。
フワッと広がったのは、じっくり煮込まれた柔らかいお肉と、新鮮な野菜、芳醇なバターとクリームが溶け合った、特製のクリームシチューの香ばしい匂い。
「「……ッ!!」」
シルフィとルチアの足がピタリと止まり、同時に鼻をひくひくさせた。
「……蓮。私、今すぐそのシチューの試食を担当する権利を要求するわ」
「我もだ! 料理長(下僕)の味見を手伝うのは、副料理長(我)の神聖な義務である!」
「まだ煮込み途中だよ! ほら、器とスプーン持ってテーブルで待ってろ」
蓮が笑いながら二人を厨房から追い出すと、二人は「ちぇーっ」と声を揃えてリビングへと戻っていった。
陽だまりが心地よい庭のテラス席。
木製の丸テーブルの上には、出来立てのご馳走が所狭しと並べられていた。
じっくり煮込んだ熱々の『特製クリームシチュー』。
朝市で手に入れた、外はサクサク中はモチモチの『焼きたてフランスパン』。
カラッと黄金色に揚がったジューシーな『特製から揚げ』。
そして食後の楽しみに用意された、甘酸っぱい『焼き立てのアップルパイ』と『濃厚プリン』。
「……壮観ね。私、数千年の人生の中で、今が一番幸せかもしれないわ」
シルフィが幸せそうに耳をパタパタと揺らし、うっとりと料理を見つめる。
「ふん! 我の腹の虫も、歓喜の咆哮を上げているぞ! 下僕、いただきますの号令を許可する!」
「はいはい。……じゃあ、みんなで手を合わせて」
「「「いただきます!!」」」
三人の声が重なり、待ちに待った昼食が始まった。
スプーンで救い上げたシチューを一口頬張る。
「~~~~~っ!! 美味しい!! お肉が口の中でホロホロってほどけて、野菜の甘みが広がっていくわ!」
シルフィが両頬に手を当てて幸せそうに微笑む。
「美味い……! このから揚げのジューシーさも完璧だ! 肉汁の小川が我が口内で氾濫を起こしているぞ!」
ルチアも大きなから揚げを口いっぱいに頬張り、モグモグと幸せそうに顔をほころばせた。
「火傷するなって言ったろ。ほら、パンもスープにつけて食うと美味いぞ」
「む……! 本当だ! パンがシチューを吸い込んで、至高の味わいに昇華している……っ!」
「ふふ、蓮って本当に料理上手ね。……私、あなたを『伝説の料理人』としてエルフの歴史書に書き残しておこうかしら」
「やめてくれよ、変な伝説作らないでくれ」
蓮が苦笑いし、三人で顔を見合わせて楽しそうに笑い合った。
特別な「神の力」も、命を脅かす秘宝も、もうどこにもない。
いまここにあるのは、ただ美味しいご飯と、ポカポカとした温かな陽射し、そして大好きな仲間たちの笑顔だけ。
けれど、それこそが――彼らが命を懸けて守り抜いた、何よりも愛おしく掛け替えのない「答え」だった。
お腹いっぱいご飯を食べ終え、食後のハーブティーを飲みながら、三人は庭の木陰でポカポカと日向ぼっこをしていた。
ぽかぽかとした陽気に誘われ、ルチアは蓮の膝の上に頭を乗せ、スヤスヤと気持ちよさそうに小さな寝息を立て始めている。
「……すっかり丸くなったわね、ルチアも」
シルフィが膝の上のルチアの頭を優しく撫でながら、愛おしそうに呟く。
「そうだな。最初に出会った時は、目つきの鋭い殺し屋だったのにな」
「ふふ、人間もエルフも、美味しいご飯と大好きな人がいれば、みんないい子になるのよ」
シルフィは遠い空を見上げ、それから柔らかく目を細めて蓮を見つめた。
「ねえ、蓮」
「ん?」
「旅が終わったら、どこか一つの街に定住するのかなって……少しだけ思っていたの」
シルフィは自分の膝に触れ、そっと微笑んだ。
「でもね……私、やっぱりあなたたちと色んな場所へ行きたいわ。見たことのない海を見て、食べたことのない名物を探して……世界中を旅して回りたい」
長寿のエルフにとって、人間の一生は瞬きのようなもの。
けれど、シルフィの瞳に宿る温もりは、永遠の孤独を恐れるものではなく、未来への希望に満ち溢れていた。
蓮は胸のポケットに手をやった。
かつて秘宝を映していた『神の単眼鏡』は、いまやただの思い出の品として静かに眠っている。
「……ああ。行こうぜ、どこまでも」
蓮はそっと立ち上がり、心地よい秋風に吹かれながら空を見上げた。
「次は西の国にあるっていう『温泉のある港町』に行ってみようか。そこには、とんでもなく美味い海鮮焼きそばがあるらしいぞ」
「海鮮焼きそば……!? 素敵ね! 私、今からお腹が空いてきちゃったわ!」
「む……海鮮焼きそばだと……!? 我も……我が胃袋も同行を希望する……」
膝の上で寝ていたはずのルチアがガバッと起き上がり、目を輝かせて叫んだ。
「お前、寝てたんじゃないのかよ!」
「我が胃袋は、美味しいものの気配を察知すれば常時覚醒するのだ!」
「ふふっ、あはははっ!」
澄み渡る青空の下、三人の楽しそうな笑い声がどこまでも響き渡っていく。
12の神造遺物を巡る大冒険は、これでおしまい。
けれど、彼らの愛おしくくだらない「日常」という名の旅は、これからもずっと、どこまでも続いていくのだった。




