黄昏の回廊と、影の執行人
重々しい黒鉄の門が背後で音を立てて閉じると、城内はまるで外の世界の時間を切り離したかのような静寂に包まれた。
天井の高い回廊には幾重ものアーチが連なり、壁に据えられた紫色の魔導火が、静かに揺らめいて三人の影を長い影へと引き伸ばしている。
「……静かすぎるな。外の雨の音すら聞こえない」
蓮が足音を殺しながら進み、片手に携えた『神の単眼鏡』へ意識を集中させる。
「ええ。城全体が、異次元の空間遮断結界で覆われているわ。まるで巨大な墓場の中にいるみたい……」
シルフィが『風断ちの弦』に指を添え、耳をぴんと立てて周囲の気配を探る。
「下僕、気をつけるのだ。この先は教皇シャルルの私兵――『黒薔薇の影』と呼ばれる暗殺教団の精鋭たちが潜む回廊。我もかつては、この冷たい石畳の上で幾度も刃を磨かされた……」
ルチアの血赤色の瞳が、かつての記憶の重みに小さく揺れる。
毎日ドヤ顔で唐揚げやクレープをねだっていたいつもの少女の顔は消え、かつて「無情の断空」と恐れられた元刺客の横顔がそこにあった。
蓮はそっとルチアの肩を叩き、柔らかく笑いかけた。
「大丈夫だろ。いまのお前には、俺とシルフィがいる」
「……っ。……ふん! 当たり前だ! 下僕に心配されるなど、百年早いわ!」
ルチアが強がりながら顔を背けた、その瞬間だった。
シュン――――ッ!!
回廊の影という影から、漆黒の刃が同時に十数本、音もなく射出された。
「『大気遮断壁』!」
シルフィの風の防衛網が即座に起動し、黒い刃を弾き飛ばす。
金属音が甲高く木霊する中、回廊の天井や柱の影から、黒い仮面を纏った二人の人物が滑り現れた。
帝国『黒薔薇の天秤』幹部最上位――第八位と第九位、『影縫のファントム』と『虚無のシャドウ』。
二人の胸元には、空間の「影」を質量として実体化させ、あらゆる光を吸収する10個目と11個目の神造遺物――『影縛のチェーン(アンブラ)』と『虚無の宝珠』が不気味な黒光りを放っていた。
「くくく……ようこそ、裏切り者のルチア。そして異界の稀人よ」
ファントムの声が、まるで空間の至るところから聞こえるかのように反響する。
「この黄昏の回廊は、あらゆる『光』を拒絶する絶対領域。お前たちのどんな攻撃も、影の底へと呑み込まれて消え去るのだ」
シャドウが手を掲げると、11個目の秘宝『虚無の宝珠』が渦を巻き、シルフィが放った風の刃をすうっと黒い孔(穴)の中に吸い込んで消滅させた。
「風が……消された!? 破砕されたんじゃない、存在ごと呑み込まれているわ!」
「ハハハ! これが『虚無』だ! 光も、風も、熱すらも我が宝珠の前には無力! そして――」
ファントムの手首の『影縛のチェーン』が唸りを上げ、蓮たちの足元から伸びる「影」を直接刺し穿ち、地面へと縫い付けた!
ズサァァァンッ!!
「くっ……!? 足が……動かない……!?」
蓮が必死に足を動かそうとするが、自分の影を鎖で固定されたことで、身体全体がまるで金縛りに遭ったかのように一歩も動かなくなる。
「これぞ『影縛』! 己の影を穿たれた者は、自らの質量に押し潰されて永久に身動きが取れん!」
シャドウが虚無の孔を広げ、動けない三人を一気に呑み込もうと迫り寄る。
「終わりだ……! 教皇様のもとへ辿り着くことなく、底なしの暗闇で朽ち果てるが良い!」
絶対絶命の暗闇の急襲。
しかし、両足を影に縫い付けられながらも、結城 蓮の片目には『神の単眼鏡』が鮮烈な緑の輝きを放ち続けていた。
『――【神の鑑定眼】起動――』
(影を実体化させて質量を持たせている……。虚無の孔であらゆるエネルギーを吸収している……。一見すれば隙のない完璧な連携だ……!)
だが、極限の集中の中で、蓮の視界の数式が二つの秘宝の「致命的な相克(矛盾)」を暴き出す。
(見えた……! 虚無の孔はあらゆる光とエネルギーを『無』に還す。つまり、虚無の孔が広がれば広がるほど……影を生成するための『光と影の輪郭』そのものが消滅する!!)
蓮は縛られた体で、喉が張り裂けんばかりに叫んだ!
「シルフィ! ルチア! 諦めるな!」
「蓮……! でも、影が……動きが封じられて……!」
「ルチア! お前のハサミは『空間』を斬る! 自分の足元の影を斬るんじゃない、あいつの『虚無の孔』の縁に咲いている『輪郭』を斬れ!」
「輪郭を……!?」
「影縛のチェーンは、虚無の孔が周囲の魔力を吸い尽くす『境界線』の力で辛うじて形状を保ってる! そこを断ち切れば、影の鎖は自壊する!」
ルチアの血赤色の瞳に、鋭い閃光が走る。
「理解した……! 我が刃に、断てぬ境界など存在せん!!」
ルチアは影の束縛に抗いながら、腕の力だけで巨大なハサミを旋回させ、虚無の孔の「縁」へ向けて空間断絶の一閃を放った!
ズバァァァンッ!!
境界線を断ち切られた瞬間、影の維持バランスが崩壊し、蓮たちを縫い付けていた黒い鎖が一瞬で弾け散った!
「な……なに手ごたえを断たれたというのか!?」
「そしてシルフィ! 自由になった足で、持っている一番強い『光の風』を虚無の孔の真ん中に叩き込め!」
「光の風……!?」
「虚無の孔はエネルギーを吸うが、急激な高密度の『光エネルギー』が一気に流れ込めば、処理容量を超えて飽和爆発を起こす!」
シルフィが『風断ちの弦』を引き絞り、解き放つ。
彼女が放ったのは、ただの風ではない。あの旅の途中で、みんなと見上げた星空や、温かな朝焼けの光を宿した【極光の風刃】!
シュオォォォォォンッ――――!!!!
閃光を纏った風の奔流が、シャドウの広げた虚無の孔へと真っ直ぐ突き刺さる!
「な……なにっ!? 吸収しきれん……! 光の密度が……高すぎる……っ!?」
ドゴォォォォォンッ――――!!!!
臨界点を超えた『虚無の宝珠』が内側から光を噴き出して大爆発を起こし、その衝撃波に巻き込まれた『影縛のチェーン』もろとも、一瞬で粉々に砕け散った。
「グガァァァァッ……!? 我らの影と虚無が……敗れる……だと……ッ!?」
凄まじい衝撃波と共に、ふたつの秘宝の反動を受けたファントムとシャドウは、悲鳴を上げて回廊の闇へと吹き飛ばされて消えていった。
静寂が、再び黄昏の回廊に戻ってくる。
砕け散ったふたつの秘宝の残骸から光る結晶を拾い上げ、蓮は単眼鏡へと吸収させた。
これで10個目と11個目――残る秘宝は、あと『ひとつ』。
「ふぅ……息が止まるかと思ったわね……」
シルフィが胸を撫で下ろし、安堵の息を吐く。
「ふん! 我々の積み重ねてきた絆と下僕の鑑定の前には、影も虚無も形無しだな!」
ルチアが胸を張り、ドヤ顔でハサミを収めた。
蓮は二人の顔を見つめ、力強く頷いた。
「ああ。……これで、ついに最後のひとつだ」
回廊の奥、重厚な装飾が施された巨大な扉が、静かに滑るように開き始める。
その扉の向こうから漂うのは、これまでの刺客たちとは比べものにならない、世界そのものを歪めるような圧倒的な威圧感。
12の神造遺物の最後――そして、帝国を裏から支配する首領【教皇シャルル】の待つ最深部『天秤の間』。
「行きましょう、蓮、ルチア。……私たちの『旅の答え』を見せに」
シルフィが優しく、けれど絶対に揺らがない笑顔で微笑む。
三人はしっかりと頷き合い、互いの肩を並べて、最後の決戦の扉へと足を踏み出していった。




