黒薔薇の城門と、鏡像の刺客
重力領域を突破した荷馬車は、荒涼とした岩肌がむき出しになる一本道を進み、ついに敵の本拠地――『黒薔薇城』の巨大な外門へと辿り着いていた。
天を覆う黒雲から途切れなく落ちる冷たい雨。
黒鉄で造られた重厚な城門の破風には、棘に塗られた薔薇の紋章が刻まれ、静まり返る城内に立ち込める霧が、まるで忍び寄る亡霊のように地面を這っていた。
「……ここが、黒薔薇城よ」
馬車の車輪を止め、シルフィが静かに吐き出した息が白く乱れる。
隣で手綱を握る蓮も、片手に『神の単眼鏡』を握り締めながら視線を上げた。
「ルチア。中に……首領がいるんだな?」
「……そうだ。我がかつて『お父様』と呼ばされていた男――帝国を裏から牛耳る【教皇シャルル】。そして彼を守る残りの幹部たちがな」
ルチアはハサミの柄を強く握り締め、覚悟を込めた瞳で城門を見つめた。
過半数を超える八つの神造遺物を回収してきた自分たち。だが、敵の懐深くに飛び込んだ今、ここから先は一歩たりとも油断の許されない真の死地であった。
「行こう。……三人で、必ず生きてこの門をくぐるんだ」
蓮の声に応えるように、シルフィとルチアが力強く頷く。
しかし、三人が城門の重い扉に手をかけようとしたその時――。
シャァァァン――――ッ!!
霧の中から、鏡が割れるような甲高い音が響き渡り、空間の景色がぐにゃりと歪んだ。
「――ようこそ、哀れな裏切り者たち」
歪んだ空間の裂け目から現れたのは、黒いシルクハットに身を包み、優雅な手つきで銀の懐中鏡を弄ぶ少女――幹部第一位、『鏡像のルクレツィア』。
その懐中鏡には、九つ目の神造遺物『水鏡の魔鏡』が嵌め込まれており、鈍い妖光を放っていた。
「この先へ進みたくば、まずは『己自身』の罪と向き合うことね」
ルクレツィアが鏡を蓮たちへ向けた瞬間、鏡面から放たれた光が三人の影を包み込んだ。
ドバァァンッ!!
霧の中から姿を現したのは――なんと、蓮、シルフィ、ルチアの『まったく同じ姿をした実体化された鏡像』だった。
「なっ……何よこれ!? 私たちの偽物……!?」
シルフィが目を見開く。
出現した『黒いシルフィ』は、本物とまったく同じ構えで『風断ちの弦』を引き絞り、冷酷な眼差しで本物を見つめていた。
「無駄よ。私の『水鏡の魔鏡』が映し出す鏡像は、あなたたちの能力、魔力、技の癖に至るまで完全に同一。言わば『自分自身との命懸けの殺し合い』よ」
ルクレツィアが優雅に微笑む。
『黒いルチア』が本物を上回るほどの殺気を解き放ち、超高速で襲いかかってくる!
ズバァァァンッ!!
ルチアが咄嗟に刃で受け止めるが、まったく同じ筋力と技量による一撃に吹き飛ばされ、石畳へと叩きつけられた。
「くっ……! 動きが完全に読まれている……! 自分の攻撃を防ぐのがこれほど困難とは……!」
「私の風も……相殺されて届かないわ……!」
シルフィの解き放った高圧の風の矢も、鏡像のシルフィが放った風と正面から激突し、爆風となって霧散してしまう。
能力も、速さも、思考パターンすら同じ敵。
正面から戦えば、お互いに相打ちとなって倒れるしかない絶望の鏡像空間。
「クハハハ! どうした、自分自身に殺される気分は!? 己を越えられぬ者に、首領のもとへ届く資格などない!」
ルクレツィアの嘲笑が響き渡る。
しかし――激しい爆風の渦の中、結城 蓮は片目に『神の単眼鏡』を押し当て、静かに思考を研ぎ澄ませていた。
『――【神の鑑定眼】起動――』
(同じだ……。能力も、技の軌道も、魔力の波長も完璧に本物と同じ……。だが――!)
蓮の視界の数式の中で、本物のシルフィ・ルチアと、鏡像の二人の間に、たったひとつだけ『明確な決定差』が存在していた。
「シルフィ! ルチア! 聞け!!」
蓮の叫びが、激しい交戦音を突き破る!
「あいつらは俺たちの『現在の能力』を完璧に模倣しているだけだ! だが、あいつらには無いものがひとつだけある!」
「無いもの……!?」
「あいつらには……『お互いを庇い合い、土壇場で合わせる信頼の連携』が無い!!」
蓮は単眼鏡を突きつけ、二人に指示を飛ばした!
「自分の鏡像と戦うな! ターゲットを交差させろ!」
「「え……!?」」
「シルフィは『ルチアの鏡像』の弱点を撃て! ルチアは『シルフィの鏡像』の風の隙間を切り裂け! お前たちが旅の中で育ててきた『相手を信じて預ける力』は、あの鏡像にはコピーできない!!」
その言葉に、ふたりの瞳が一瞬で覚醒した。
「そうか……! 私は自分と戦う必要なんてなかったんだわ!」
シルフィが即座に踏み込み、ルチアの鏡像の背後へ向けて『局所指向性・風切』を解き放つ!
「我が信じるのは己の影ではない……! この仲間たちだッ!!」
ルチアもまた、シルフィの鏡像の防御の隙間へ向けて、ハサミの刃を迷いなく突き立てた!
相手の鏡像は「目の前の本物」の動きにしか模倣反応できない。
互いの絆による完璧な交差攻撃――鏡像の思考の枠組みを超えた連携の前に、コピーたちの防御は一瞬で瓦解した!
バリィィィィィン――――ッ!!
「な……なぜだ!? 完璧な模倣のはずなのに、なぜ予測外の連携で破られる……っ!?」
驚愕するルクレツィアの手元で、9つ目の神造遺物『水鏡の魔鏡』が、過酷な因果の矛盾に耐えきれず木っ端微塵に砕け散った!
鏡像たちは水飛沫となって霧散し、魔鏡の反動を受けたルクレツィアは悲鳴を上げて崩れ落ちた。
静寂が戻った黒薔薇城の門前。
蓮は砕け散った魔鏡の残骸から光る結晶を回収し、単眼鏡へと吸収させた。これで9つ目の回収が完了した。
「ふぅ……肝が冷えたわね。自分の姿をした敵と戦うなんて……」
シルフィが濡れた髪を拭いながら、安堵の息を吐く。
「ふん! 我々の積み重ねてきた絆は、ただの鏡に映せるほど浅くはないのだ!」
ルチアが胸を張り、ドヤ顔でハサミを収めた。
蓮は二人の顔を見つめ、力強く笑いかけた。
「ああ。……さあ、行こう。残る秘宝はあと三つ。この城の奥で、すべての決着をつけに!」
ギィィィ……と重い音を立てて、黒薔薇城の巨大な門がゆっくりと開き始める。
数千年の孤独を超えて育まれた温かな絆と、世界を解き明かす鑑定の瞳。
三人は互いの肩を並べ、暗雲立ち込める決戦の城内へと、足を踏み出していくのだった。




