黒薔薇の領地と、重力領域の罠
過半数となる七つの神造遺物を回収した三人の荷馬車は、西の大陸の最南端、固く閉ざされた暗雲漂う領域――帝国『黒薔薇の天秤』の直轄領へと足を踏み入れていた。
国境の砦を越えた途端、それまでの穏やかな秋の気配は消え去り、重苦しい湿気と鉄の匂いが風に混ざりはじめる。
「……静かすぎるわね。鳥の鳴き声ひとつ聞こえないわ」
荷馬車の御者台で、シルフィが警戒するように尖った耳を細かく動かす。
「ああ。ルチア、ここがお前たちの故郷……いや、帝国の本拠地なのか?」
手綱を握る蓮が尋ねると、荷台で珍しく真剣な表情を浮かべたルチアが小さく頷いた。
「そうだ。この先にある黒鉄の城『黒薔薇城』こそが、我ら刺客の教団であり、首領の居城。……だが下僕、油断するな。この領土に入った時点で、我らは敵の庭の中にいる」
「分かってる。単眼鏡の反応も、さっきから不気味に強くなったり弱くなったりしてるんだ」
蓮が片目に手を当てると、視界の奥、黒く聳え立つ古城の方向から、これまで以上に禍々しく巨大な魔力の渦が脈動しているのが見えた。
ド―――――ンッ!!!!
次の瞬間、落雷のような重厚な爆音が周囲一帯に轟いた。
「な……なに!? 身体が……重いっ!?」
シルフィが悲鳴を上げる。
突然、まるで頭上から見えない巨大な鉄の塊を押し付けられたかのように、地面の土が沈み込み、三人の身体に凄まじい圧力が襲いかかった。
「くっ……! この力場……重力魔術か……!?」
ルチアが膝をつきそうになりながら、ハサミの柄に手をかける。
街道の先、暗闇の中から足音を響かせて現れたのは、漆黒のプレートアーマーに身を包んだ巨漢の男――帝国幹部第二位、『重圧のヴィクトル』だった。
その指には、黒く輝く晶石が嵌め込まれた8つ目の神造遺物――『重圧の指輪』が蠢くように光を放っていた。
「――ここまでよくぞ来た、裏切り者の落ちこぼれ共」
ヴィクトルの低く響く声が、重力波となって空間を揺さぶる。
「首領の命により、ここでお前たちの進軍を断つ。この『重圧の指輪』が展開する十倍の重力圏の中では、エルフの風も、刺客の刃もただのゴミ同然。膝をつき、そのまま地面の塵となれ」
「ぐ……っ! 風が……押し潰されて飛べない……!」
シルフィが必死に腕を掲げるが、解き放たれようとした風の刃は、発生した瞬間に高重力によって地面へ叩きつけられ、雲散霧消してしまう。
「ハハハ! 無駄だ! 我が重力は物理法則そのものを歪める絶対の領域! 人間の小細工など通じるものか!」
ヴィクトルが嘲笑い、さらに指輪へ魔力を注ぎ込む。重力はさらに増し、石畳がメキメキと音を立てて砕け散っていく!
絶望的な重圧。
だが、地面に膝をつきそうになりながらも、結城 蓮は片目に『神の単眼鏡』を力強く押し当てていた。
『――【神の鑑定眼】起動――』
レンズ越しに広がる世界。視界全体を押し潰す漆黒の魔力場。
しかし、どれほど絶大な重力場であっても、それを発生させている「起点」が存在する。
(見える……! 空間全体を押し潰しているように見えて、実際の重力波はヴィクトルの足元……『ひとつの接地座標』から円状に放射されている……!)
蓮は歯を喰いしばり、必死に声を張り上げた!
「シルフィ! ルチア! 諦めるな!」
「蓮……! でも、身体が動かないわ……!」
「あいつの重力は無敵じゃない! 足元の『接地座標』で重力波の位相を反転させて、空間に力を叩きつけてるだけだ!」
蓮はヴィクトルの足元、砕けた石畳の中心点を指差した。
「ルチア! あいつの足元の接地座標へ、お前の『断空』を真横から叩き込め! 重力波の伝達軸を切り離すんだ!」
「……了解だ、下僕ッ!!」
ルチアが全身の筋肉を激しく収縮させ、重圧を力任せにねじ伏せて跳躍!
ハサミを水平に振り抜き、ヴィクトルの足元の空間を一閃した!
ズバァァァンッ!!
空間の歪みによって重力波の伝達軸が切断され、一瞬だけ重力場に致命的な「力抜け」が生じる。
「な……なにっ! 重力波の軸が逸れただと……!?」
驚愕するヴィクトル。
「今だシルフィ! 押し潰されていた風を、反動を利用して真下から一気に叩き上げろ! 『上昇気流』で重力を打ち消すんだ!!」
「任せて……! 私たちの歩みは、こんな重圧なんかに負けないわ――ッ!!」
重力から解放されたシルフィが、『風断ちの弦』を真下に向けて解き放つ。
【過干渉・上昇風陣】
溜め込まれていた膨大な風のエネルギーが、地面から爆発的な真上への竜巻となって噴出!
下からの超高圧の上昇気流が、ヴィクトルの残した重力波を完全に相殺・逆転させた!
「グガァァァァッ……!? 我が重力が……持ち上がるだと……っ!?」
自らが放った重力と、それを上回る上昇気流の衝突に巻き込まれ、ヴィクトルの巨体は悲鳴と共に遥か上空へと叩き飛ばされ、雲の彼方へと消えていった。
ドスン、と音を立てて落ちてきた指輪の残骸。
蓮はそれを拾い上げ、単眼鏡へと吸収させた。これで8つ目の秘宝の回収が完了した。
「ふぅ……一時はどうなることかと思ったわ……」
シルフィが膝をつき、肩で息をしながら濡れた汗を拭う。
「ふん! 我らの絆の前には、十倍の重力とて紙くず同然よ!」
ルチアが胸を張り、ドヤ顔でハサミを収めたが、その足はまだ少し生まれたての子鹿のように震えていた。
「よし……これで残る秘宝はあと四つだ」
蓮が指輪の光が消えた単眼鏡を見つめ、城の方向へと視線を向けた。
「ええ。いよいよ本当の決戦ね……」
シルフィが優しく、けれど力強い瞳で蓮を見つめ返す。
帝国の牙城へと潜入した三人。
残り四つの神造遺物と、暗躍する帝国の首領。
過酷さを増していく戦いの中でも、彼らの絆は決して揺らぐことなく、決戦の地『黒薔薇城』へと続いていくのだった。




