湖畔の宿場町と、星空のアップルパイ
大聖堂都市ローゼンブルクで双子の刺客を退け、過半数である七つの神造遺物を回収した三人は、西の大陸をさらに南下していた。
石造りの街並みから離れ、街道の先に見えてきたのは、鏡のように澄み渡った湖を囲む静かな宿場町――『レイクサイド・ミル』。
夕暮れ時、茜色に染まる湖面には夕日と紅葉した木々が美しく映り込み、遠くの煙突からは晩ご飯の支度をする煙が細く立ち上っていた。
「わぁ……綺麗……。蓮、見て! 湖の中に夕道ができているわ」
荷馬車の御者台で、シルフィが目を丸くして歓声を上げる。
「ああ、本当に綺麗な場所だな。静かだし、ここらで少し長めの羽伸ばしをするのも悪くないな」
手綱を握る蓮がフッと頬を緩めると、荷台の隙間からルチアが鼻をひくひくさせながら顔を出した。
「ふん、景色など腹の足しにもならん! 下僕、我の鼻が香ばしいリンゴとバターの匂いを捉えたぞ! 早く馬車を止めるのだ!」
「お前は本当に匂いセンサーだけは鋭いな……」
馬車を小さな旅籠に預け、三人は湖畔の遊歩道沿いに建つ小さな洋菓子屋の屋台へと足を運んだ。
店先には、焼きたての甘い香りを漂わせる、ツヤツヤと黄金色に輝く『特製アップルパイ』が並んでいる。
「「……ッ!!」」
シルフィとルチアの足が、例のごとく完璧な同調で停止した。
「……蓮。私、悟ったわ。あのサクサクの生地を一口かじらなければ、私の風の精度が明日から三分の一に低下するわ」
「我もだ! あの芳醇なシナモンの香りは、我が魂の飢えを直接刺激している! 早急に買い占めるのだ!」
「買い占めるな! 三人分で十分だろ!」
蓮は苦笑いしながらコインを払い、出来立ての大きなアップルパイを三個買い求めた。
湖畔の木製ベンチに三人並んで腰掛け、熱々のパイを一口頬張る。
サクッ、と心地よい音が響き、甘酸っぱい果汁と香ばしいバターの風味が口いっぱいに広がっていく。
「~~~~~っ!! 美味しい!! カリカリの生地ととろけるリンゴが、お口の中で天国を作っているわ!」
シルフィが幸せそうに長い耳をパタパタと揺らし、ルチアも口元にパイのクズを付けながら「美味い……! 実に美味いぞ下僕!」と夢中で噛み締めていた。
「火傷するなよ。……ん、でもマジで美味いな」
蓮も笑いながら一口かじる。
過半数の秘宝を集め終え、少しずつ旅の終わりが近づいていることを感じながらも、こうして仲間と食べる甘いパイの味は、何物にも代えがたい温もりを持っていた。
夜になり、湖畔は静寂と満天の星空に包まれた。
旅籠の庭にある木製のデッキで、シルフィは温かいハーブティーの入ったカップを両手で包み込みながら、夜空を見上げていた。
「……眠れないのか、シルフィ?」
後ろから声をかけながら、蓮が毛布を持って現れる。
「あ、蓮。ええ、少し夜風に当たりたくて」
シルフィは嬉しそうに笑い、蓮が肩にかけてくれた毛布の温もりに包まった。
「……ねえ、蓮」
「ん?」
「私ね、七つの秘宝が集まって……旅が半分以上終わったんだなぁって思ったら、少しだけ不思議な気持ちになったの」
シルフィは静かな湖面を映す瞳で、ぽつりと呟いた。
「エルフにとって、数ヶ月や数年なんて、ほんの一瞬の出来事のはずでしょう? 今までもたくさんの人間と出会って、別れてきたわ。……なのに」
シルフィはそっと自分の胸に手を当てた。
「あなたとルチアと一緒に過ごしたこの数ヶ月は……私の数千年の記憶の中でも、一番眩しくて、一番温かいの。もし旅が終わって、みんないなくなってしまったら……私、この寂しさに耐えられるかしらって」
長寿種ゆえの、避けられない孤独と切なさ。
いつも明るく飄々としていたシルフィが見せた、ほんの少しの弱音だった。
蓮は静かに湖を見つめ、それから優しく笑ってシルフィの頭に手を乗せた。
「なに言ってるんだよ。旅が終わったって、俺たちの縁が切れるわけじゃないだろ」
「え……?」
「俺がジジイになっても、ルチアがばあちゃんになっても……またこうやって集まって、美味しいアップルパイ食えばいいじゃないか。『あんな冒険もあったな』って笑いながらさ」
蓮のまっすぐで温かな言葉に、シルフィは驚いたように目を見開き、それからポロポロと目から真珠のような涙をこぼした。
「……そうね。そうよね……! 記憶に残るだけじゃない、私たちはこれからもずっと仲間なのよね……!」
「あたり前だろ」
ふたりのやり取りを、旅籠の陰で毛布に包まりながら見ていたルチアが、フンと鼻を鳴らして姿を現した。
「まったく、しんみりしおって下僕もエルフもバカ者め。我を置いて仲間外れにするな。……それと、明日の朝食もあのアップルパイが良いぞ!」
「お前は本当に台なしにする天才だな……」
蓮が呆れ果てると、シルフィは涙を拭いながら「ふふっ、あはははっ!」と声を上げて笑った。
夜空に輝く満天の星々と、穏やかな湖の羽音。
途方もない時を生きるエルフと、限られた時間を生きる人間たち。
けれど、絆という名の温かな魔法は、どんな時の隔たりをも越えて、彼らの心に深く、優しく刻み込まれていた。
12の神造遺物を巡る大冒険は、いよいよ終盤戦――残り五つの秘宝と、帝国の真の野望が待つ決戦の地へと進んでいくのだった。




