凍てつく霊峰と、温かな手袋
温泉街の温もりをあとにした荷馬車は、日が落ちるにつれて一層険しくなる山道を進んでいた。
紅葉で色づいていた木々はいつしか姿を消し、代わりにそびえ立つのは、白銀の雪と氷に閉ざされた巨峰――『極寒の霊峰・アルヴィス』。
馬車の車輪がザクッ、ザクッ、と硬い霜を踏みしめる音が静かな山道に響く。
「……うぅ……寒い……。蓮、私の精霊回路が凍りついて破裂しそうよ……」
御者台の横で、毛布を三重に巻き付けたシルフィが、鼻を真っ赤にしながらガタガタと震えていた。尖った耳も寒さで力なく垂れ下がっている。
「だから言ったろ、もっと厚着してこいって。ほら、これ使えよ」
蓮が荷台から取り出したのは、途中の麓の村で買っておいた羊毛の厚手の手袋とマフラーだった。
「……あったかい……。蓮、あなたって本当に気が利く下僕ね……」
「下僕って言うな。ルチア、お前も震えてないでこれ着ろ」
「ぬぅ……我は暗殺者だぞ……! この程度の極寒、精神力で押し殺してみせる……ハックショイッ! ぶはっ!」
大きな盛大なくしゃみを放ったルチアに、蓮は無言で分厚い毛織物のコートを被せた。ルチアは「むぐぐ……屈辱だ……」と小さく呟きながらも、素直にコートに包まり、温かさに顔をほころばせた。
「……ねえ、蓮。こんな極寒の地に、本当に5つ目の秘宝があるの?」
シルフィがマフラーに顔をうずめながら尋ねる。
「ああ。マリアさんからもらった地図だと、この霊峰の山頂付近にある古代の祭壇に『霜凍の宝珠』が封印されているはずだ」
蓮が片目に当てた『神の単眼鏡』を覗くと、猛ふぶきの奥、はるか山頂の方向から重苦しく不気味な青い魔力の光が空へと伸びているのが見えた。
「……急ごう。この寒さ、ただの気候じゃない。秘宝の魔力が暴走して、山全体の冷気を引き上げてるんだ」
手綱を握り直す蓮の表情が、引き締まる。
山頂へ続く細い崖道を登り詰めると、そこには吹き荒れる吹雪の中にたたずむ、巨大な石造りの古代祭壇があった。
祭壇の中央、凍りついた台座の上に浮かんでいるのは、不気味な白銀の光を放つ青い宝珠――『霜凍の宝珠』。
そして、その宝珠の前に立っていたのは、漆黒の外套を纏った男――帝国『黒薔薇の天秤』幹部第三位、『凍血のゼノ』だった。
「――遅かったな、裏切り者ども」
ゼノが振り向く。その顔の半分は凍りついた氷の結晶で覆われ、瞳は無機質な殺意で澄み切っていた。
「この秘宝の覚醒は既に完了した。この霊峰の冷気をもって、貴様らを永久の氷の棺へと封印してやる」
ゼノが手を掲げると、宝珠が狂ったように明滅し、全方位から吹雪を超えた「絶対零度の氷の刃」が一斉に三人に襲いかかった!
ズバババババッ!!
「『大気遮断壁』!」
シルフィが即座に風のバリアを展開するが、冷気があまりにも強烈なため、風のバリアそのものが瞬時に凍りつき、ガラガラと崩れ落ちていく。
「くっ……! 風すら凍らせるなんて……!」
「ハハハ! くだらん! 人間もエルフも、温もりを求める弱者など、この絶対零度の前には等しくゴミくずだ!」
嘲笑うゼノ。
だが、激しい吹雪と極寒の中、蓮は片目に単眼鏡を押し当て、必死に解を導き出していた。
『――【神の鑑定眼】起動――』
視界に広がる凍てつく数式。宝珠から吐き出される冷気は無制限に見えて、明確な「波」が存在していた。
(冷気を一気に放出した直後、コンマ数秒だけ宝珠が周囲の熱を再吸収する『吸熱の隙』がある……!)
蓮は吹雪を突いて叫んだ!
「シルフィ! ルチア! 聞け!」
「指示を! 蓮!」
「あいつの氷は無敵じゃない! 次の攻撃を放った直後の『0.3秒』だけ、宝珠の真下が熱吸収で防御が手薄になる!」
蓮はゼノの足元、凍りついた台座の亀裂を指差した。
「ルチア! お前のハサミで、その0.3秒の隙に台座の亀裂を切り開け! 内部の魔力ルートを絶つんだ!」
「任せろ!! 我の刃に絶てぬ回路などない!」
「そしてシルフィ! 台座が壊れた瞬間に、お前の持ってる一番『温かい風』を叩き込め! 急激な寒暖差で宝珠の晶石を割るんだ!!」
「……『温かい風』ね! 了解よ!!」
ゼノが再び手を掲げ、最大出力の氷嵐を叩きつけようとした、まさにその瞬間――。
ズバァァァンッ!!
ルチアが極寒の風を切り裂いて跳躍し、指示通りの「0.3秒の隙」に台座の亀裂へハサミを突き立て、一閃した!
「な……なにっ!?」
台座が派手に砕け散り、ゼノの足元から魔力の供給が途絶える。
「そこよ――ッ!!」
シルフィが『風断ちの弦』を引き絞る。
彼女が放ったのは、破壊の風ではない。あの旅の途中で、寒がる誰かのために温かいお茶を淹れた時のように――優しく、温かな【温熱の奔流】!
シュオォォォォォンッ――――!!!!
絶対零度の空間に解き放たれた、真っ赤な熱を帯びた風の嵐。
極寒と激熱が激しく衝突し、猛烈な熱膨張が宝珠を襲う!
パリィィィィィィン――――ッ!!
甲高い音と共に、白銀の宝珠は過剰な寒暖差に耐えきれず、一瞬で微塵に砕け散った。
「ば……バカな……!? 我が……絶対零度の秘宝が……たかが『温もり』ごときに……ッ!?」
魔力の逆流を起こしたゼノは、自らの放った氷の衝撃波に吹き飛ばされ、悲鳴と共に深い谷底へと滑り落ちていった。
静寂が戻った祭壇。
吹き荒れていた猛ふぶきが急に止み、雲の切れ間から柔らかい日の光が差し込んできた。
「ふぅ……勝ったわね……」
シルフィが安堵の息を吐き、へたり込む。
「ふん! 見たか、我らの絆の強さを!」
ルチアもドヤ顔で胸を張るが、その体はガクガガクと寒さで震えていた。
蓮は砕け散った宝珠の残骸から光る結晶を拾い上げ、単眼鏡に吸収させた。これで5つ目の秘宝の回収が完了した。
「よし……これで山を下りられるな。早く下りて、温かいものでも食おう」
「賛成……! 蓮、下山したら一番に温かいスープとお肉ね!」
「我はホットミルクに蜂蜜をなみなみと入れるぞ!」
三人はお互いの顔を見合わせ、晴れ渡る雪山の中で温かく笑い合った。
冷たい氷の秘宝を打ち破ったのは、旅の中で育んできた、ささやかで温かな仲間との日常。
12の神造遺物を巡る旅は、残り7個。
どんなに厳しい試練が待ち受けていようとも、この温もりがある限り、彼らの足が止まることはないのだった。




