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杏々の異世界さんぽ~召喚されたのに勇者ではありませんでした。なので冒険者になって、ご飯を食べます~  作者: わかめ
王都と下積み冒険者

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食べたあとの鎧


 翌朝、杏々が目を覚まして最初に確認したのは、昨日残しておいた川鎧魚の半身だった。


 冷たい場所へ置き、軽く塩をしてある。見たところ状態に問題はなく、身にもまだしっかり張りが残っていた。


「今日は鍋」


 昨日の夜からほとんど決めていた。


 焼いた皮があれだけ美味しかったので、もう一度焼きたい気持ちもある。蒸した時の身の柔らかさも気になるし、濃いめに煮付けても脂のある白身なら合いそうだった。


 けれど、頭と骨から取った出汁が予想以上に美味しかった。


 なら、その出汁で身そのものを煮てみたい。


 朝食を済ませてギルドへ行き、午前中だけで終わる近場の仕事を一本受けた杏々は、昼過ぎにはもう家へ戻っていた。昨日ほど急いでいるわけではないが、寄り道はしない。市場なら夕方にも行けるし、川鎧魚は先に食べたかった。


 昨日残しておいた出汁を鍋へ移し、水を少し足す。そこへ土玉芋、葉物、茸を入れ、火が通りにくいものから順番に煮ていった。


 味付けは薄めの塩だけにする。


 川鎧魚の身を入れるのは最後だった。


「煮すぎない」


 昨日焼いた時に、身そのものは思ったより柔らかいと分かっている。出汁を取りたいわけではないので、長く煮込んで崩す必要はなかった。


 大きめに切った身を鍋へ入れる。


 白かった表面がゆっくり色を変え、身と身の間から脂が浮いてきた。昨日の焼き物では皮の下に集まっていた脂が、今日は汁の表面へ薄く広がっていく。


 杏々は少しだけ味を見る。


「昨日より濃い」


 当然だった。


 昨日取った頭と骨の出汁に、さらに身の味が加わっている。


 それでも塩気は強くない。魚の味そのものが濃くなっていた。


 火を止め、少し待つ。


 最初に器へ取ったのは汁だった。


 一口飲む。


「……いい」


 昨日の骨から取った汁より丸い味になっている。頭や骨から出た強い旨味の中へ、今日入れた身から出た脂が加わり、舌に残る感じが少し柔らかい。


 次に土玉芋を食べる。


「お」


 こちらの方が分かりやすかった。


 芋そのものはいつも食べているものと同じなのに、表面へ魚の脂と出汁が入り込んでいる。噛むと最初に土玉芋のほくっとした甘さが出て、その後から川鎧魚の味が追ってきた。


「芋いい」


 今度は茸。


「これもいい」


 何を食べてもだいたい「いい」と言っているように聞こえるが、杏々の中では違いがはっきりしていた。


 葉物は汁を絡める。


 茸は香りを吸う。


 土玉芋は出汁そのものを中へ抱える。


 そして川鎧魚の身は、焼いた時とはかなり違った。


 箸を入れる。


 昨日よりさらに柔らかく、力を入れなくても身が大きくほぐれた。


 一口食べる。


「焼いたのよりやわらかい」


 皮の香ばしさがない分、最初の味はおとなしい。


 けれど汁を含んだ身はしっとりしていて、噛むほど出てきた昨日の甘さが、今日は最初から少し分かりやすい。


 腹側の身を食べると、脂の強さも残っている。


「鍋もかなりいい」


 杏々は食べながら、昨日の日記に書いた内容を頭の中で直していく。


 焼くなら皮。


 鍋なら身。


 どちらが上というより、良いところが違う。


「次は蒸したい」


 一匹目をまだ食べ切っていないのに、もう二匹目の料理を考えていた。


 鍋の最後には、残してあったパンを汁へ浸してみた。


 これも悪くない。


 ただ、杏々は少し考える。


「パンより米ほしい」


 この世界へ来てから何度目か分からない感想だった。


 元の世界なら、この汁に米を入れて最後まで食べたい。


 ないものは仕方がないので、今日はパンで全部さらう。


 食べ終えた鍋には、ほとんど何も残らなかった。


「二日で一匹」


 高かった。


 でも満足した。


 もう一度食べたい。


 杏々の中で、川鎧魚はかなり上の位置へ入った。


 次に市場へ来たら知らせてもらう約束はすでにしてある。


 問題は、いつ来るかだけだった。


 片付けを終えた杏々は、窓際へ目を向けた。


 そこには昨日洗って並べた川鎧魚の鱗がある。


 一晩経ち、表面は完全に乾いていた。


 杏々は一枚取る。


「昨日より硬い」


 濡れていた時にも硬かったが、乾くとさらに張りが出ている。軽く曲げようとすれば少しはしなるものの、普通の魚の鱗のように簡単には折れない。


 大きいものなら、杏々の今の手のひらにかなり近い大きさがあった。


 昨日、自分の腕へ当てた時よりも、装備の材料という話が現実味を持って見える。


「持ってく」


 食べ終わった。


 乾いた。


 なら、次は魚屋だった。


     ◆


 午後の西市場は、昼前とはまた違う賑わいになっていた。


 杏々は布で包んだ鱗を抱えて魚屋へ向かう。


 店主は別の客へ魚を渡しているところだったので、杏々は横で待った。客が離れてから、台の上へ包みを置く。


「これ」


「何だ」


「鱗」


「ああ、昨日のか」


 店主が布を開く。


 乾いた灰銀色の鱗が並んでいた。


 一枚手に取り、表裏を見る。


「ちゃんと洗ったな」


「うん」


「身も残ってない。これなら十分だ」


「売れる?」


「売れる売れる。だから昨日言っただろ」


「いくら?」


「本当にそこは早いな」


 店主がざっと量を見て提示した額は、川鎧魚そのものの値段と比べればごく小さかった。


 杏々も特に驚かなかった。


「ほんとに大したことない」


「俺もそう言っただろうが」


「でもご飯一回分くらい」


「何を食うかによるな」


「ならいい」


 捨てれば何も残らない。


 それが一食分くらいにはなるなら十分だった。


 店主が鱗をまとめようとしたので、杏々は昨日から気になっていたことを聞いた。


「これ、防具屋に行く?」


「全部じゃねえよ。大きくて欠けてないのは、その可能性もある。小さいのは細工物や漁具だな」


「腕当て見たい」


「お前が?」


「うん」


 店主が杏々の姿を見る。


 視線が頭から足まで一度下がった。


「お前の大きさで?」


「今は」


「今は?」


「大きい方もある」


 店主が黙った。


 杏々も黙る。


「……何の話だ?」


「戻ると大きい」


「前からたまに妙なこと言うなお前」


 まだ杏々の本来の身体を見たことがない店主には説明が足りなかった。


 杏々は少し考える。


 小さい身体で詳しく説明するのが面倒になってきた。


「とにかく見たい」


「分かった分かった。防具屋に持ってく分があるから、一緒に行くか?」


「行く」


 鱗を売りに来ただけだったはずが、そのまま店を少し空けることになった。


 店主は隣の店へ一声掛け、川鎧魚の鱗が入った小さな箱を持ち出す。


 杏々が昨日取ったものだけではない。


「他のもある」


「前に入った魚の分だ。うちだけじゃなく、漁師がまとめて持ってくることもある」


「いっぱいある?」


「昔よりは少ない」


 その言葉で、杏々は箱を見る。


 以前ならもっと量があったのだろう。


 食べる魚が減れば、当然、鱗も減る。


「防具作る人も困る?」


「川鎧魚だけ使ってるわけじゃねえから、すぐ困るってほどじゃないだろ。ただ、これを好んで使う職人なら値は上がってるんじゃねえか?」


「魚高い。鱗も少ない」


「そういうことだ」


 食べ物が減る。


 市場から減る。


 値段が上がる。


 そして、それを材料にしていた別の仕事にも少しずつ影響する。


 杏々はそこまで考えてから、箱の中の鱗を一枚見た。


「リネットちゃん喜びそう」


「誰だそりゃ」


「研究する人」


「研究する奴が魚の鱗見て喜ぶのか?」


「たぶん仕事増える」


「喜んでねえだろ、それ」


 確かにそうかもしれなかった。


 まだ話さないでおこう。


     ◆


 魚屋からそれほど離れていない職人通りの一角に、その店はあった。


 表に大きな剣や鎧を並べるような店ではない。入口近くには革帯、手袋、膝当て、腕当てなどが掛けられ、奥には金属だけでなく革や布を扱うための道具も見える。


「軽装の補修とか、小物作ってるところだ」


 魚屋が言う。


「全身鎧が欲しいなら別の店だぞ」


「いらない」


「だろうな」


 杏々の服装を見れば、重装備を好むようには見えない。


 店の奥から出てきた職人は、魚屋の箱を見るとすぐに内容を理解した。


「川鎧魚か。今月は少ないな」


「魚そのものが入らんからな」


「状態は?」


「悪くねえ。こいつが昨日一匹食って、自分で処理した分も入ってる」


 職人が杏々を見る。


「お前が?」


「うん」


「食ったのか」


「美味しかった」


「そっちじゃないんだが……まあいい」


 職人が一枚を取り出す。


 杏々が処理したものだった。


「きれいに取れてる。割れも少ないな」


「褒めた?」


「そこ拾うのか?」


 杏々が待つ。


「……褒めた」


「一個」


 魚屋が横で笑った。


「何なんだそれ」


「気にすんな」


 職人は分からないまま鱗を箱へ戻し、代わりに壁から一つの腕当てを外した。


「見たかったのはこういうのか?」


 杏々が近づく。


 見た目は普通の革製の腕当てに近い。


 ただし表面の一部が厚く、その内側へ何かが仕込まれている。


「鱗見えない」


「これは革の間に入れてるからな」


 職人が裏側を見せる。


「川鎧魚の鱗は、そのまま表へ並べることもあるが、冒険者向けならこっちの方が多い。鱗を少し削って形を揃えて、重なるように入れる。外から見れば革の腕当てだ」


「軽い」


 杏々が受け取る。


 確かに金属の手甲よりずっと軽かった。


「だから使う。鉄みたいにまともに剣を受けるもんじゃないが、枝や小さい魔物の爪、浅く入った刃なんかなら革だけよりずっとマシだ。それに錆びない」


「水は?」


「加工前のままじゃ駄目だ。乾燥させてから油と樹脂で処理する。革の方も手入れは要るがな」


 杏々は腕当てを自分の腕へ当ててみる。


 当然、大きい。


 今の身体には合わなかった。


「小さいの作れる?」


「そりゃ作れるが……」


 職人の視線が杏々の腕へ落ちる。


「この大きさだと、鱗一枚がでかすぎるな。削れば作れるが、せっかくの強いところをかなり落とすことになる」


「じゃあ大きい時?」


「さっきからその『大きい時』ってのは何だ?」


 魚屋も頷いた。


「俺も聞いたけど分からん」


 杏々は少し迷った。


 説明するより見せた方が早い。


 店の中を見る。


 十分な広さはある。


「ここ、戻っていい?」


「何に?」


「身体」


 二人とも分かっていない。


 杏々は小さく息を吐いた。


「見た方が早い」


 身体の圧縮を解く。


 急激に何かが膨らんだわけではない。


 押し込めていた身体を、本来あるべき状態へ戻していく。


 重心が上がる。


 手足が伸びる。


 視線が店内の棚と同じ高さを越え、衣服に作ってある折り返しと結び目がほどけるように展開していく。


 数瞬後、そこに立っていたのは、さっきまでの小さな杏々ではなかった。


 長身ではあるが、極端に大きいわけではない。本来の年齢に相応しい成人女性の身体へ戻った杏々が、同じ赤とクリーム色の服を身につけて立っていた。


 魚屋が口を開けている。


 職人も黙っている。


 杏々は二人を見た。


「これが元です」


 声も先ほどまでより落ち着き、言葉が自然に長くなる。


「普段は食事量を抑えるために身体を小さく維持しているだけなので、装備を作るなら、できればどちらの状態でも使える形にしたいんです」


 魚屋がようやく声を出した。


「いや待て」


「はい」


「お前、それ先に説明しろよ」


「言葉だけでは分かりにくいと思ったので、見てもらった方が早いかと」


「そういう意味じゃねえんだが……」


「すみません」


 職人は魚屋より立ち直るのが早かった。


 杏々の腕を見る。


「……なるほど。こっちなら鱗の大きさはちょうどいいな」


 さすがに職人だった。


 驚くべきところより、寸法の方へ意識が移り始めている。


「腕、出してくれ」


「はい」


 杏々が袖を少し上げる。


 職人は先ほどの腕当てを当て、大まかな幅を見る。


「既製品でも近いが、少し細い方がいいな。お前、重いのは嫌いか?」


「できるだけ軽い方がいいです。攻撃を腕で正面から受け止めるつもりはありません。刃や爪が接触した時に、皮膚まで届くのを少し防いでくれれば十分です」


「受け流す使い方か」


「はい。腕を置いて軌道を変えることがあるので、表面が引っ掛かりすぎるのも困ります」


 職人の表情が少し変わった。


「それなら鱗を表に出すより、中に入れた方がいい。表へ並べると段差ができるからな」


「その方が良さそうですね。手首もかなり使うので、硬い部分が手の動きに干渉しない形にしたいです」


「じゃあ長さも欲張らない方がいいな。手首から肘まで一枚で固めるより、前腕の中央を守る程度にした方が動きやすい」


「はい。防御力を上げるために動きが鈍くなるなら、私には逆効果なので」


「そこまで用途が決まってるなら話は早い」


 職人は杏々の腕を見ながら、指でいくつか位置を示す。


「この辺から、この辺までだな。内側は薄くして、外側へ鱗を寄せる。手首側は革だけにしておけば、掌を返しても邪魔になりにくい」


 杏々も自分の腕を動かしてみる。


 掌を上へ。


 下へ。


 肘を曲げる。


 軽く拳を握る。


「その範囲なら問題なさそうです」


「実際に仮組みしてから確認だな。戦い方によっては、あと一枚減らした方がいいかもしれん」


「分かりました」


 話が急に具体的になった。


 小さな身体だった時とは違い、杏々も質問の意図を一つずつ整理し、自分が何を必要として何が不要なのかを言葉にできる。


「ただ、やっぱり問題は小さい状態ですね」


 杏々が今の自分の腕と、先ほどまでの姿を思い返す。


「この寸法で作れば、普段の身体ではそのまま使えません。服のように折り返しだけで対応するのも難しそうです」


「さすがに同じ腕当てをあそこまで縮めるのは無理だぞ」


「ですよね」


「服はどうしてる?」


「布そのものに余裕を持たせて、折り返しと紐の位置を変えています。ただ、防具で同じことをすると余った部分が邪魔になりますし、鱗の位置もずれるでしょうから」


「その通りだ」


 職人が腕を組む。


「別々に作るのが一番素直だな」


「小さい方も作るなら、川鎧魚の鱗を使う意味はありますか?」


「全くないわけじゃない。ただ、そのままだと一枚が大きすぎる。小さい鱗だけ選ぶか、かなり削ることになる。加工の手間に対して得られる補強は少し落ちるな」


「それなら、無理に同じ素材へ揃える必要はなさそうですね」


「俺もそう思う」


 杏々は少し考えた。


「では、まずは本来の身体用だけでお願いします。普段の小さい状態で防具が必要になったら、その時に改めて用途に合うものを考えた方がよさそうです」


「それがいいだろう」


「今のところ、防具がないことで困っているわけではありませんし。今回のものも、あくまで動きを邪魔せずに安全性を少し上げられるか試してみたいだけなので、もし使ってみて合わなければ外します」


「装備はそれでいい。強い素材だからって、合わないもんを無理に着ける必要はない」


「はい」


 職人はもう一度、箱の中の鱗を見る。


「問題は数だな」


「足りませんか?」


「お前が昨日食った一匹分だけでも片腕なら作れなくはない。ただ、同じ大きさで揃えようとすると、他の分も混ぜた方が作りやすい」


 杏々は箱の中へ目を向けた。


 自分が剥がした鱗と、それ以前に魚屋へ集まっていた鱗が混ざっている。


 少し考えてから、職人へ聞いた。


「できれば、私が持ってきた鱗を中心に使ってもらうことはできますか?」


「別の鱗を混ぜるのは嫌なのか?」


「嫌というほどではありません。強度や形を揃えるために必要なら、他のものを使ってもらって構いません」


 杏々は一度言葉を選んだ。


「ただ、これは私がずっと食べてみたくて、ようやく買えた川鎧魚から取ったものなんです。せっかく食べた後に鱗まで残ったので、それがそのまま自分の装備になるなら、少し嬉しいなと思って」


 魚屋が少し意外そうな顔をする。


「完成したら、どれがお前の魚の鱗だったかなんて分からなくなるぞ」


「それは構いません」


 杏々は穏やかに答えた。


「見分けたいわけではないですから。私が持ってきた鱗が、この腕当ての中に使われていると分かっていれば、それで十分です」


「なるほどな」


 職人は箱の中を見てから頷いた。


「なら、お前が持ってきた分を中心に組む。大きさや重なりが合わないところだけ他のを足す。それでいいか?」


「はい。お願いします」


「そういう希望なら最初から言ってくれりゃいい」


「すみません。自分でも、そこまで気にするとは思っていなかったので」


「食った魚に愛着湧いたのか」


 魚屋が言う。


 杏々は少し考える。


「たぶん、そういうことだと思います。かなり美味しかったので」


「最後はそこかよ」


「そこは大事です」


 杏々は少し笑った。


 食べたかったから買った。


 食べて、美味しかった。


 その魚の一部が別の形になって残る。


 防具そのものが欲しくて素材を探したわけではないからこそ、少し面白く感じているのかもしれなかった。


 魚屋が改めて杏々を見る。


「小さい時とずいぶん喋り方違うな」


「こちらの身体の方が、考えをまとめたり説明したりする余裕がありますから」


 杏々は自分の手を軽く開く。


「小さい状態は、身体全体を低い消費で維持するためにかなり絞っているんです。記憶や知識がなくなるわけではないんですが、複雑なことを整理して言葉にするのが面倒になりやすくて」


「さっきまでの『腕当て見たい』が、今はこれか」


「自分でも差があるのは分かっています」


「それ、魔法じゃないのか?」


「違います」


 そこだけは即答だった。


「身体の使い方です。詳しく説明するとかなり長くなるので、身体操術だと思ってください」


「それで人間がこんなに縮むのかよ」


「普通はしないと思います」


「お前だからできるのか?」


「たぶん、その認識で大きくは間違っていません」


 魚屋はますます分からない顔をした。


 職人はというと、杏々の身体そのものより腕の寸法へ興味が戻っていた。


「腕当ての話へ戻すぞ」


「はい」


「今日はまだ作らない。まず鱗を処理して、それから革を選ぶ。お前の寸法に合わせて仮組みしたところで、一度来てもらって実際に腕を動かしてもらう」


「その段階で、型の一部を動かして確認してもいいですか?」


「店の中で人を殴らなきゃな」


「それはしません。腕の返しや肘の曲げ伸ばし、それから受け流す時の軌道だけ確認できれば十分です」


「なら問題ない」


「完成後も、実際に使ってみて当たり方が悪ければ調整できますか?」


「もちろんだ。むしろこういう軽装は、着けて動かないと分からん。革が擦れる場所や、鱗が当たる場所が出ることもある」


「分かりました。その方が助かります」


「急ぎじゃないんだろ?」


「はい。今すぐ必要な装備ではありません」


「なら一週間くらい見とけ。仕事の合間にやる」


「お願いします」


 代金についても確認した。


 鱗そのものは杏々の持ち込み分があるので、その分は多少安くなる。ただし加工の手間と革代は必要になるし、仮組み後に調整が増えれば、その分だけ少し追加になる可能性もある。


 払えない金額ではない。


 赤ランクになってから、こういうところでも選べるものが増えた。


 以前なら「なくても困らない防具」に金を使うより、食費を残した方がよかった。


 今は、美味しいものを食べた上で、こういう試し方もできる。


「では、それでお願いします」


「任された」


 話が決まった。


 杏々はもう一度、自分の前腕を見る。


 今まで、防具はそれほど必要だと思っていなかった。


 攻撃をまともに受け止める戦い方ではない。


 身体を硬くすればいいという話でもない。


 むしろ重さや可動域の制限で、自分の身体操作を邪魔される方が困る。


 それでも、薄く。


 軽く。


 動きを邪魔せず。


 触れた刃や爪から皮膚を守る。


 その程度のものなら、自分の戦い方にも意味があるかもしれない。


 しかも使われるのは、昨日ようやく食べられた川鎧魚の鱗だ。


 杏々は箱に残った灰銀色の鱗を見ながら、少しだけ表情を緩めた。


「食べるために買った魚の鱗が、自分の装備になるとは思いませんでした。こういう使い方もあるんですね」


「まだ装備になってねえぞ」


 魚屋が言う。


 杏々は小さく笑った。


「そうでした。まずは試作品ですね」


「出来上がってから喜べ」


「はい。一週間後を楽しみにしておきます」


 職人も頷く。


「期待しすぎるなよ。お前みたいな使い方は実際に動かしてみないと相性が分からん」


「そのつもりです。合わなければ直せばいいですし、それでも駄目なら使わなければいいので」


「それくらいの方が助かる」


 ここまで話して、杏々はようやく用事が終わったことを確認した。


「では、今日はこれで失礼します」


「おう」


 店を出る前に、杏々は身体を再び圧縮した。


 呼吸を一つ整え、全身の出力と循環を切り替えていく。


 視線が下がり、手足が短くなり、衣服もいつもの小さな姿に収まっていった。


 さっきまで職人と装備の構造を細かく話し合っていた成人女性が消え、見慣れた小さな杏々がそこに立つ。


 魚屋は二度目でもまだ慣れないらしく、黙って見ていた。


「……ほんとに小さくなるんだな」


「うん」


「どっちが元なんだ?」


「大きい方」


「じゃあ今は?」


「小さくしてる」


「さっきと説明の長さが全然違うな」


「今、小さいから」


「本当にそういうことなのか……」


「うん」


 魚屋はしばらく杏々を見ていたが、結局理解するのを諦めたらしい。


「まあいい。防具できたら見せろよ」


「見せる」


 杏々は店を出た。


 さっきまで自分がどんな言葉で装備の構造を説明していたかは、もちろん全部覚えている。


 ただ、今それをもう一度長く話せと言われたら面倒だった。


 それより市場で夕食を買いたい。


 今日の昼は川鎧魚の鍋をかなり食べたので、夜は軽めでいい。


 そう思ってパン屋の前を通ったところで、美味しそうな焼きたてのパンが並んでいた。


「……これも」


 軽めの予定は少し増えた。


 家へ戻ると、日記を開く。


『川鎧魚の残り 鍋』

『焼くより身やわらかい』

『芋が出汁吸っておいしい』

『次は蒸すのもしたい』


 その下へ、今日の鱗について書いていく。


『鱗売れた』

『一食分くらい』

『防具屋見た』

『革の中に鱗重ねる』

『軽い』

『錆びない』

『爪とか浅い刃の補強』

『重い攻撃受けるものじゃない』


 さらに、


『大きい方の腕当て作ってもらう』

『私の川鎧魚の鱗を中心に使う』

『足りないところは他の鱗』

『一週間くらい』

『仮に作ってから動いて調整する』


 と残した。


 杏々はそこで少し筆を止めた。


 川鎧魚を食べたいと思った時、鱗が装備になるとは考えていなかった。


 ただ美味しい魚が食べたかっただけである。


 食べた。


 美味しかった。


 頭と骨は出汁になった。


 皮も美味しかった。


 鱗は売れて、その一部が今度は腕当てになる。


 しかも、その中心になるのは自分が食べた一匹から取った鱗だ。


 完成した時にどれがその鱗なのか見分ける必要はない。


 それでも、自分がずっと待って食べた魚の一部がそこに残っていると思えば、少し愛着が湧きそうだった。


「ほんとに全部使う」


 一匹の魚が、二日分の美味しいご飯になって、その後も少し残る。


 そう思うと、高かった値段も昨日より少しだけ納得できた。


 日記の最後へ、


『また川鎧魚来たら買う』


 と書いた。


 装備の材料が欲しいからではない。


 次は蒸して食べたいからだった。


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